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疲れた心にこそルーティーン、なぜ?

こんにちは、タビィです。

「ルーティーンを定義します」というエントリーで、私なりにルーティーンとは何かについてお伝えしました。そして、ルーティーンの改善&確立の重要性を強調しました。

今回のトピックは、後悔や悔しさ、焦り・不安・怒りなどで、心が慢性的に疲弊している人。特に、いわゆる「毒親育ち」やアダルトチルドレンに当てはまる人にとって、なぜそんなに死活的にルーティーンが大切なのか?についてです。

結論です。

ルーティーンがないと、一番慣れ親しんだ逃避行動に走るから、です。

一般的にも言える事ですが、CPTSD(複雑性PTSD)を始め、発達段階で長期にわたって心理的に疲弊しながら頑張って生きてきた「わたしたち」には、特に当てはまる事です。

逃避行動。

医療的に介入が必要なものから、特に表面的には、日常生活には支障をきたしていないようなものまで、幅広くあります。一見、逃避行動に見えないものすら逃避行動になっている事もあります。

トリガーになる恐れがあるので、治療が必要な前者に関しては、あまりこのブログでは触れない方向でいますが、この回では、あえて出します→医療的にトリートメントが必要な逃避行動には、薬物・アルコール、性行為、などへの心身両面での依存が代表的なものでしょう。逃避行動が依存症の治療が必要なレベルになると、集団でルーティーンを共有するところから始める場合もあります(監督下の共同生活など)。

一方、後者には、不健康な人間関係、空想・妄想壁、娯楽に没頭、時間にルーズ、片付けられない、眠気、短気・・などなど、たくさんあります。(これに当てはまる「実は逃避のパターンになっているもの」については、個別にまた別の機会に説明させていただきます)

心が慢性的に疲れている人、特に「わたしたち」のように幼少期・成長期に毒性の強い心理的環境にいて、心理的負荷をずっと抱えたまま大人になった場合、この逃避行動に入ってしまう瞬間を自覚し、長期間にわたってアレスト(Arrest=抑止)し続けなければなりません。

ライフワークです。

毎日地道に、ヒーリングに向けて進んでいれば、やがて、トラウマ反応と逃避行動に支配される日々は終わるでしょう。しかし、このプロセスには「ここがゴール」という終わりがありません。

あるのは「静かな心で自分らしさを選択できた」積み重ねと、
「あのころに比べると、今の方がとっても幸せ」という進歩・成熟の実感です。

あと「いかに自分の無意識に抑圧された欲求に対して無自覚だったか」という自覚も。これは、ハッキリ言って、手痛い教訓です。でも、これがヒーリングの元素みたいなものでもあります。

そのために、自分がどういうタイミングで何をきっかけに逃避行動に走りやすいのか、どのような逃避行動のパターンが埋もれているのか、それらのパターンの根底・無意識にあるトラウマ反応は何か、そういった点をよーく観察する必要があります。そして、その観察結果を反映したルーティーンの改善・確立も必須です。

冒頭で触れた「ルーティーンを定義します」の投稿で、「ルーティーンは、動線であり、着火装置だ」ということをお伝えしました。

その上で、強調しておきます。
発達性トラウマ(毒親など)で負荷の取れていない状態の心身にとって、ルーティーンは「逃避行動の種類とパターンをあぶり出してくれる」、そんなあぶり出しのような役割も担ってくれる、とても心強い味方です。

では、今回はこの辺で〜

*前回予告した「ルーティーンで照準を合わせる」のトピックはカバー仕切れなかったので、また次回にします。



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