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「○○だからあなたの気持ちがわかります」は本当か?

私が生業にしている教育業界には様々な○○だからわかるが存在しています。

私も不登校だったからあなたの気持ちがわかります」

私も帰国子女だったからあなたの気持ちがわかります」

私も成績が悪かったからあなたの気持ちがわかります」

私は思うのです。

本当にそうか?と。

私の尊敬している教育者の一人に阿部伸一さんがいらっしゃいます。阿部さんは『不登校は天才の卵』という書籍を出版されていてREO個別指導塾を経営されていらっしゃる経営者なのですが、以前一度共通の後輩の紹介でお話を聞かせていただいたことがありました。

(『不登校は天才の卵』はなんとKindle unlimitedに登録していたら無料で読めます!)

阿部さんのオフィシャルサイトはこちらから(画像はキャプチャーです)

その当時私はまだ独立して1年も経っていない中で、不登校の方向けにオンラインだからこそできることはあるのではと相談させていただいたのでした。そのときに印象に残ったのはどのような方をスタッフとして雇うのかというお話だったのです。

僕は不登校経験者はなるべく雇わないようにしているのです。これは誤解してほしくないんだけど、不登校経験者”だから”雇うということはしないということ。なぜかというと、不登校経験者の中には自分の経験を相手に当てはめすぎてしまうことがあるから。同時に講師たちにも口を酸っぱくしていっているのはパターン化、マニュアル化をするなということ。この業界が長いと、あぁこの子はこのパターンねと当てはめてしまいがちだけど、そうするとその子を見る目が曇ってしまう。不登校経験者だからわかるということではなく、不登校経験者であってもなくても、その人の経験は唯一無二のものなのだから究極はわからない。だからこそ、その子のことをよく観察し寄り添う姿勢が大事。ときには不登校経験であるということで、生徒を間違ったフィルターで見てしまう危険があることを肝に銘じるべきだと思う。もちろんこれは不登校経験者に限らずなんだけどね。

私も全くそのとおりだと思うのです。

私は確かに帰国子女ですが、アジア圏の日本人学校に通っていたわけで、英語圏の現地校に通っていた生徒とのことが本当の意味で”わかる”かといえば、苦労の仕方は全く異なるわけですから”わからない”わけです。

同時に、英語圏の現地校に通う子どもと非英語圏の現地校に通う子どもでは、たとえ同世代だとしても本当の意味でその苦労をわかることはないのではないでしょうか。

人の経験というものは個別具体的なものです。人間はキャラという一言で表現できるような薄っぺらいものではなく、多面的な存在だと思います。同じ環境にいるように見えて、一人ひとりそこで感じること、考えることは全く異なるのです。それらを無視して”わかるよ”と言ってしまうことに私は怖さを感じます。

もちろん経験は武器になります。しかし同時に自分自身の経験が生徒のありのままを見る上での妨げになる怖さも知っておくべきだと思うのです。

わからないという前提に立つからこそ相手のことをよく観察し、よく話を聞くことができます。

これはもっと言えば、人間関係すべてに当てはまるのではないでしょうか。

血の繋がる我が子といえど、”親だからわかる”と言えないことは多々あるでしょう。「いや私は子どものことはわかる」と言える人は、自分の親はどうでしょう。親だからすべての行動を理解できますか?逆に、親だからあなたの行動をすべて理解してくれましたか?残念ながらなかなかそうとは言い切れないのではないこともあったのではないでしょうか。

慣れほど怖いものはありません。同じ生徒といえども毎回毎回の授業が真剣勝負です。私はオンライン家庭教師を専門していますが、オンラインならなおさら些細な表情の変化に敏感に察知できるようにアンテナを張ってなくてはいけません。

”わかる”と決めつけるのではなく、よくよく観察して目の前の人そのものと向き合うこと。自分や世間というものさしで人を判断するのではなく、相手を理解しようと寄り添うこと。

阿部さんとお話したのはもう2年も前になりますがいまでも大事にしている教えです。

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