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なぜ飛行機をハイジャックしてはいけないのか? カントの3つの理論を用いて考える

「なぜ飛行機をハイジャックしてはいけないのか?」

こう聞かれたとき、皆さんはどのように答えるでしょうか。

「ハイジャックは良くないことだから」
「周りの乗客に迷惑がかかるから」
「飛行機の運行ダイヤを大きく乱してしまうから」

だいたい、こんな感じの答えになると思います。

しかし、これらの答えはなんとなく的を得ていないように感じませんか?

「ハイジャックは良くないから、ハイジャックをしてはいけない」というのは、トートロジー(同じことの反復)ですし、他の2つの答えも、正しいことは正しいですが、もっと倫理的に正当な理由がありそうです。

今回は、カントという哲学者の理論を用いて、この問いへの正しい答えを模索していきたいと思います。


他人を単なる手段としてはいけない

カントの言葉に、「他の人格を目的自体として扱え」というのがあります。

これだけだと、何を言っているのかよくわかりません。なので、ゆっくりと順番に解説していきます。

「人格」というのは、理性を持った存在のことです。理性は、正確には人間に備わった思考する能力を指しますが、ここでは「他人のことを思いやって、自分の欲望を我慢する」ぐらいの意味で捉えてください。

たとえば、「早く店に入りたいのを我慢して、行列に並ぶ」「大皿に乗った料理を、独り占めせずみんなに分けることができる」。このような人が、カントの言うところの理性を持った存在、つまり人格になります。

この説明が難しかったら、人間のことだと考えてもらっても大丈夫です。

次に、「目的自体」という言葉の説明をします。

この言葉は少し難しいので、反対の意味の言葉に置き換えて考えてみましょう。

この言葉の反対は、「単なる手段」です。

鉛筆や机、車など、私たちが何かの目的を達成するために用いるものが、単なる手段にあたります。肉を取るためだけに動物を育てたり、奴隷に厳しい労働をさせることなども、単なる手段になります。

このように、場合によっては道具だけでなく動物や人間も、単なる手段となることがあります。

目的自体という言葉は、その反対なので「単なる手段として扱わないこと」を指します。平たく言うと、「その存在を尊重し、丁寧に扱う」ということです。

これは、ひとまず生物だけに当てはまる概念だと考えてください。お気に入りの鉛筆を大事に使っていたり、愛車の手入れをこまめに行っていたとしても、それは目的自体として扱っていることにはなりません。

他人に親切にしたり、友人が楽しく過ごせるように気を配ることは、その人を目的自体として扱っていることになります。飼っているペットの世話をしっかりとすることも、ペットを目的自体として扱っていることになるでしょう。

これらを踏まえて、「他の人格を目的自体として扱え」という言葉の意味を考えると、「他の人(動物)を、尊重して丁寧に扱いなさい」となります。

一見、当たり前のことを言っているだけに思えますが、実は重要な意味を持った言葉なのです。

ハイジャックと乗客の違いは?

では、ハイジャックの話に戻ります。

飛行機の例でも良いのですが、分かりやすくするために「タクシーがハイジャックされた場合」について考えてみます。

あなたはタクシーの運転手です。

あなたの運転するタクシーに、ハイジャック犯が乗ってきました。彼はあなたにナイフを突きつけて、「○○に行け!」と命令します。○○の部分には、好きな地名を入れてもらって構いません。

あなたは仕方なく、彼を目的地に連れていきます。目的を達成した犯人は、あなたに危害を加えることなく、車を降りました。

ケースA

次に、普通の乗客が乗ってきた場合を考えてみましょう。

あなたの運転するタクシーに、お客さんが乗ってきました。彼はあなたに「○○までお願いします」と言いました。

あなたが目的地に着くと、乗客はメーターに表示された料金を払って、タクシーを降りていきました。

ケースB

ケースAとケースBの違いは何でしょうか?

ナイフを突きつけたり、乱暴な言葉を使ったり、お金を払わないといった違いはありますが、それ以外はほとんど同じです。

どちらの人物も、あなたに「○○に行ってください」と命令し、あなたはそれを実行しました。

ここで気づいた人もいるかもしれませんが、どちらのケースでも、あなたは「目的地に行くための手段」として扱われています。

これは、先に述べたカントの言葉に反する気がします。

では、私たちがタクシーを使うのは、カント的には悪いことなのでしょうか。

契約を無視するハイジャック犯

実は、ケースAとケースBには、もっと根本的な違いがあります。

それは、あなたがタクシー運転手になるとき、「”お金を払って人を乗せる仕事をする”という契約を結んでいる」ことです。

あなたは、いくつもある仕事の中からタクシー運転手を選び、あなたの自由意志で、人を目的地に送る手段になることを了承したのです。

そのため、タクシー運転手に目的地に連れて行ってくれるようお願いすることは、「単なる手段」として扱うことにはなりません。そのような扱いを受けることは、本人によって事前に了承されているからです。

しかし業務の契約書には、「ナイフを突きつけられた場合、無料で目的地に送れ」とは書かれていないはずです。そのため、ハイジャック犯の行動は、タクシー運転手の自由意志を尊重しない行為となります。

もしあなたが、道行く一般車を呼び止めて、「お金を払うから○○まで連れていけ」といった場合も、それは他人を単なる手段として扱っていることになります。その人は、あなたを連れていく義務は負っていないからです。

もう一つ、「特定の行動をとることを強制している」というのも、ケースAとケースBの違いになります。

たまたまあなたの体調が悪かったり、車が故障していた場合、あなたはお客さんを乗せるのを断ることができるでしょう。

しかし、ケースBの場合はそうはいきません。あなたがどんな状態だったとしても、ハイジャック犯を目的地に連れて行かないと、危険な目に遭うことになります。

さらに、ハイジャック犯の命令が、「金を出せ」「全裸になって踊れ」だったとしても、あなたはそれを実行しなけれはなりません。ですがケースBの場合は、そうした命令は断ることができます。

これは、飛行機でも同じです。

飛行機のパイロットや乗務員が負っている義務は、乗客を安全に目的地に届けることであり、ハイジャック犯の命令を聞くことではありません。

そのため、そうした前提を無視したハイジャック犯の行動は、彼らを単なる手段として用いていることになります。

普遍妥当性を持つ確率を採用せよ

カントは、「採用すべき格率は、普遍妥当性をもつものでなければならない」とも主張しています。

格率というのは、「寝る前に歯を磨く」「毎週金曜日にカレーを食べる」「人に親切にする」など、個人が選択する生き方のことを指します。

格率そのものは、特に決まりがあるわけではなく、個人が選択したものであるなら、「気に入らない人は殴っても良い」など、倫理に反するものでも構いません。

普遍妥当性というのは、「いつ誰が採用しても、問題が起こらない」ことを指します。

「寝る前に歯を磨く」「人に親切にする」といった格率は、いつ誰が採用しても問題は起こらないので、普遍妥当性を持ちます。ですが、「気に入らない人は殴っても良い」という格率は、採用すると大きな問題が起こるので、普遍妥当性を持っていません。

これをタクシーの例に当てはめてみると、タクシーを利用することは、いつ誰が採用しても問題ないので普遍妥当性がありますが、全ての人がハイジャックをするようになれば、タクシーが機能しなくなってしまうため、普遍妥当性を持ちません。

飛行機のハイジャックにも、同じ考えが当てはまるので、良かったら考えてみてください。

ハイジャックは良くない、だからこそ、ハイジャックは良くないと思います

カントは、それ以外にも「義務論」というものを提唱していて、これを使うことで、より簡潔な回答をすることもできます。

義務論というのは、「~すべし」「~すべからず」という単純な命令が人間には与えられているという考え方です。

カントの理論によると、「困っている人を助けるのが義務だから、人を助ける」「人を殺すことは義務に反するから、殺人はしない」。このようなものだけが、価値のある行為となります。

見返りを求めて人助けをしたり、警察に捕まるのが怖くて殺人をしない場合、行動や結果は同じでも、カントの義務論には当てはまりません。

つまり、飛行機をハイジャックすることは義務に反するため、飛行機をハイジャックしてはならないのです。

最初に、「ハイジャックは良くないことだから」という答えをトートロジーと言いましたが、カントの義務論に照らし合わせると、この回答は実は本質をついてたものでした。

今回は、

「他の人格を目的自体として扱え」
「採用すべき格率は、普遍妥当性をもつものでなければならない」
「義務論」

というカントの3つの理論から、飛行機をハイジャックしてはいけない理由について考えてみました。

意外な方向からの回答だったかもしれませんが、ある程度納得していただけたと思います。

参考文献

伊勢田哲治(2008)『動物からの倫理学入門』、名古屋大学出版会

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