見出し画像

私の意見も貴方の意見も解の一つ

絶対的な正解などないのではないか

巷には「○○は常識」や「普通は○○」、「絶対○○した方が良い」や「~するなら○○一択」といった断定の言葉が溢れ返っています。しかし、私は世の中に絶対的な正解はなく、正しさとは、限定された状況の中で、相対的に度合いが変わるもの。正しさの度合いが違うだけで、全てが"解の一つ"なのだと考えています

例えば、東京から大阪まで移動する方法を考えてみます。
新幹線、飛行機、高速バス、自家用車などが現実的な移動方法として思いつきます。自転車、徒歩といった方法でも、時間は掛かっても目的地に到達できる点では間違いとは言えません。

しかし、多くの方は後に挙げた方法を取らず、先に挙げた方法のいずれかを普通として選択するでしょう。これは無意識に「現実的な移動時間で」という前提条件を置き、状況を限定しているからだと考えています。この前提条件においては、自転車や徒歩は目的を達成できる点で間違いではないものの、正しさの度合いは新幹線や飛行機には劣ると考えることができます。
もし、前提条件が「時間を考慮しない」「移動過程を楽しむ」などであれば、この正しさの優劣は変わるかもしれません。

つまり、正しさの度合いは前提条件をどのように置くかで変わる。前提条件に対して相対的であるということです。

他者に寛容に、それでいて高みを目指す

ここで誤解を招かないように書いておきますが、前提条件次第で正しさの度合いが変わるからと言って、全ての解をそのままで良しとしているわけではありません。目的に対して明らかに見当違い(上述の例でいえば、飛行機の国際線や東北新幹線に乗るなど)な場合、それは解は解でも誤解ですから訂正しなくてはなりません。

ただ、最適解ではなくとも目的を達成できる方法や意見であれば、それを全面的に否定するのではなく、それぞれに置かれた前提条件とその長所短所を理解して寛容であるべきだと考えています。そうして、お互いの考えを理解し合えれば、お互いにより良い解に近づいていける、そう考えています。

また、私は、絶対的な正解はないと分かりつつも、それでもなお、限りなく絶対に近い、時間的に不変で空間的にも普遍な真理ともいうべき解を目指していくべきだと考えています。そこを目指すことが、人生の目的の一つといえるかもしれません。そのためには、他者の意見には寛容であり、そこから学んでいくことが重要であると考えています。

ここまで書いてきましたが、そうは言っても、人は己の正しさを信じたいものです。意識しなければ、私も自分と異なる意見を否定してしまいがちです。noteへの投稿を通して、文章を推敲する過程で己の意見を客観的に見て、上述の理想に近づいていければと思う次第です。

人の役に立てる記事を書いていきたいと思います。 宜しければサポート頂けると幸いです。 頂いたサポートは、アウトプットの質向上のためのインプットと、note内の他のクリエイターの方の記事購入やサポートの資金に充てさせて頂きます。