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世間の常識から外れても罪悪感を抱く必要はない理由【内向的で生きづらい人へ】


 前回の記事での主張を補足する意味で、自分を世間の常識に当てはめず、そこから外れてしまっても罪悪感を抱く必要はない理由について書いていきます。

 本稿が、常識に縛られない考え方ができるきっかけになれば幸いです。


 自分を世間の常識に当てはめようとされている内向的な人の中には、常識に従うことが正しいと思っている方もいるかもしれません

 確かに、常識とは世の中の多数の人が共有する意見や考え方で、一種の正しさのようなものをもっています。それに従う人も同時に正しいと思えるかもしれませんし、容易に従えるなら従いたいと思うのも無理のないことです。

 ですが、例えば以下のような常識についてはどうでしょう。

  • 社交的な方が良い

  • コミュニケーション能力が高い方が良い

  • 行動力があった方が良い

 いずれも、社会において一般的に言われる常識ですが、同時に、内向的な人にとっては実現するハードルの高い、生きづらさの原因ともいえるような常識かもしれません。

 これらも常識とされ、周囲の人もそれに従って行動している以上、自分も従うことが正しいと思うかもしれません。しかし、少し考えてほしいのです。これらの常識は、本当に従うべき正しさを持つ常識であるかを。

 先述の通り、常識とは世の中の多数の人が共有する意見や考え方ですが、この元となっている世の中の多数の人に、果たしてINFJのような内向的な人がどれだけ含まれているでしょうか。

 世の中の多数の意見とは、世の中で意見を主張する人の中での多数派、という意味で、そもそも母数にINFJのような内向的な人が少数である可能性があります。それゆえに、世間の常識には内向的な人の意見が汲み取られておらず、内向的な人にとってはつらいことが多いのではないでしょうか。

 もし、私の考察が正しいのであれば、常識とは自分のような内向的な人を抜きにして作られた、或いはあまり意見が反映されていない、主に外向的な人によって作られた意見や考え方となっている可能性があります。

 そうであれば、その常識に自分を当てはめないことで、自分は正しくないとか、自分が悪いとかいった罪悪感に駆られる必要はないことが分かるかと思います。自分の与り知らぬところで作られたルールを、心の内で守らなくても良いと思ったところで、悪いはずがありません。

 今まで常識に従うことが正しいと思ってこられた方は、すぐに考えを変えることはできないかもしれません。しかし、少しは考えを変えるきっかけになったり、罪悪感を和らげることができるのではないでしょうか。

 最後に、一つ注意点ですが、私は今までの主張によって世の中の常識を憎めとか、外向的な人と対立すべきだとか、そういったことを言いたいのではありません。ただ、現実として、世の中はそのようにできていると認識できるのではないか。そう認識することで、自分が良い方向に変わる際の障害を取り除けるのではないか、そう考えてこの記事を書いています。

 私は、INFJのような内向的な人は、内に素晴らしい可能性を秘めていると思っています。それが世間の常識に縛られて才能を発揮できずに苦しんでいる。そんな状況を少しでも変えられないかと思っています。

 これからも暫くは、このテーマで発信を続けていこうと思っています。


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