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発達障害の子にはそれぞれの方程式がある

おはようございます(o´Д`o)ノ゙
立花です。

お盆休み突入で保育園もおやすみ。
というわけで、今日からしばらく3人の子供達が平日ずっと(長女以外)自宅にいるというカオスを味わうことになります。

それぞれに母では理解不能な独自ルールをもつ子供達。色々突っ込みどころが多い、彼女達の偏食について取り上げてみます。

《それぞれの食ルール》

・いち子の場合


4歳まで白いものしか食べられなかった人。
例外は「からあげ」「カレー」のみ。
うどん、ごはん、おかゆ、そーめん、何もかかっていないパスタをルーティン。

→最初は栄養を考えて野菜やお魚をバランスよく食べさせようと努力しましたが、自我の芽生え頃(離乳食が終わり、完全食移行の時期)から、特性が強くなり「白いものオンリーガール」へ

現在はやや偏食の傾向はあるものの、軒並み食べられるように。保育園と小学校の給食のお陰です。ありがとうございます。

現在:トンカツにはソースをかけ、パスタはトマトソースのみおKに。野菜全般は相変わらず苦手だが、汁物を少量。魚、エビフライが好き。オムライスは完全NG。ハンバーグやオムライス、エビフライを食べるときケチャップは完全NG、そのまま食べる。


・にこの場合


とにかく味覚が過敏すぎて、調味料を新しいものに変えたり、味がちょっと濃くなる(醤油が濃いなど)と食べなくなる。熱いもの、冷たいものが苦手で氷NG。

揚げたてや出来立ての揚げ物やカレーをうっかり出すと、熱すぎて食べれないことや、口にいれたとき熱すぎることに悲鳴を上げて、箸やスプーンを放り投げ癇癪を起こしてぶちギレ。

現在:ケチャップ、ソース、ポン酢。多種多様な液体ソースをかけて食べることをこよなく愛するガールへ。偏食はあるものの全般的に食べることが好きなので、出されたものは基本的に食べる。最近レトルトカレー、加工肉食品(ソーセージ、ベーコン。ただ、ハムは好き)を食べなくなりました。消化吸収の効率が悪いらしく、たくさん食べるのにとても痩せている(羨ましい:定型発達内の肉体成長)。

追記:味覚過敏の感覚鈍麻なため、刺激を求めて奥までスプーンや箸を突っ込んで「オエッ」となることがよくある。他人に見られて恥ずかしい、という意識が皆無なので身だしなみに鈍感(シャツが出ていてもそのまま)、食べこぼしが一番多い(最近少しだけ減った)。ディズニープリンセスが大好きなので、「プリンセスみたいにゆっくり食べようね」「プリンセスだからシャツを入れてお洋服着ようね」とサポート。


・さんちゃんの場合


偏食大魔王。夏はとうもろこし、秋冬はサツマイモをこよなく愛し、3食それにしたいくらい大好き。にこの影響でソースをやたらとかけたがるが、「かける行為が好き」なだけでほとんど食べない。気分のムラが一番激しく、昨日食べたからとおにぎりを朝食に握っても今日は食べない、気分じゃないということがザラ。栄養面が心配の場合、とりあえずお素麺ととうもろこしと、ふかしたお芋を食べさせる。

現在:上記の様子。冷凍庫には冷凍のとうもろこしを常備。お芋は定期的にふかしておやつか朝食か冷凍へ。食べるペースもとにかく遅い。

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・それぞれの解が違えば方程式も違う

3人発達障害の子供達を育てていて思うのは、同じ方程式では解けないということ。

それぞれが違う方程式で動いていて、それぞれが違う答えをそれぞれの中で、都度都度のタイミングで持っているということ。

これまでに子供達との生活をもう少し向上したり、改善しようと思い調べものをしたり本を読んだり、主治医の先生やリハビリの先生、相談員の先生に相談したのですが、

それぞれには
「独自のパターン」があり、そのパターンに当てはまる範囲の中の解答をいくつも持ち合わせている

ということだけが私の心を一番軽くさせてくれました。

定型発達用に書かれた育児書を投げ捨て(めっちゃ惨めな気持ちにもなるので)、自閉症スペクトラム育児書を話し半分に頭に入れておく。

A+B=Cという公式を信じるのではなく、解は同時並行的にいくつも存在するのだと思っておくだけで、心の負担がぐっと少なくなりました。

「広汎性発達障害」「ADHD」「PDD」「ASD」「自閉症スペクトラム」と色々な表記やカテゴライズがあり、混乱したりするので(カテゴライズされた症状ひとつではなく、複数にまたがって生じるため)私がたどり着いた大体の考えの基盤が

「彼女達にはそれぞれの方程式と解がある」
と思うだけでいい

ということです。

もちろん最終的な着地点としてこうなってほしい、ああしてほしいというものはあるのですが、世の中で言われている「常識的な行動」や「当たり前の考え」がそっくりそのまま当てはまる訳ではない※1ので、「最終的な自立」に向けての方向性を持ったまま、日々接しているというわけなのです。

最終的にAという状態になれれば
最終的にBということができれば

そこに至るまでの過程や方法は色々ある。

大人は色々やり方を知っていて、一番やり易い方法、一番簡単な方法、一番最短の方法を伝えることができます。

けれどそれが、「常識の枠」をめいっぱい飛び出している彼らにそのまま出来たり、当てはまるかというと必ずしもそうではないですよね。

サポートや支援は必要だったり、必要に応じてというところはもちろんあるのですが、本人が失敗しても立ち直れる力。失敗してもチャレンジする、チャレンジしてもいい心や自信を育てていくのも大切だと考えています。

(ただ、特性上どうしても難しいこともあるので、それは特性に合わせて周囲が支援していくことも重要だと考えます)

※1:この考えの基盤は大学時代の専攻である「社会学」の影響が大きいです。「常識を疑う」を根底に学んできたため、「一般的な常識というもの」が社会でどう作られ、どう認知され、どう利用されているかを考える能力が身に付いたおかげ。定型発達と言われ成長した人々の間でも、それぞれの「常識」は千差万別です。

そんなこんなで、毎年のことながらお盆(といわず毎日ですが)は私にとっても学びの多い時間となりそうですー。


毎日なんとかなる。

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