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「半分、青い。」という半分ADHDな朝ドラ

 9月29日に、NHK連続テレビ小説「半分、青い。」が最終回を迎えた。既に多くの朝ドラクラスタの方から、鋭く素晴らしい感想や考察がSNSやブログに投稿されている。屋上屋を架すような感想よりは、少し異なる観点から、自身の考察を書き残しておこうと思った。
 「半分、青い。」というドラマは、色々な解釈ができる本当に面白いドラマであったが、私は個人的な経験もあり、次のようにとらえた。

「半分、青い。」は、障害者のドラマを書くことが得意な脚本家・北川悦吏子による、発達障害等の心の問題を抱えた人たち、特にADHDの人の苦悩と成長が描かれた、画期的な朝ドラである。

「「半分、青い。」って、片耳難聴のヒロインのドラマじゃなかったの?」「NHK公式サイトにも説明が無いし、根拠のない決めつけでは?」
 そう思う人も多いだろう。実際、私が「半分、青い。」放送中に、発達障害との関連をTwitterでつぶやいたら、そのような返答をいただくこともあった。確かにNHK公式サイトでもドラマの中でも、台詞や説明等で明示的に、発達障害やADHDを扱っていることを説明しているものはない。
 しかし、最終回まで見たが、やはり発達障害、特にADHDを扱っていると思わざるを得ない間接証拠が数多くある。発達障害の知識や経験をもつ人からは「鈴愛は軽度のADHDをもつヒロインなのでは?」という疑問も多く、精神科医による新聞記事もあった。そこで私は、あくまで多くの解釈のうちの一つでしかないが、「半分、青い。」が発達障害を扱った朝ドラであると仮定して、詳しく解説したいと思う。

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発達障害とは

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 発達障害とは、生まれもった発達上の個性(特性)があることで、日常生活に困難をきたしている状態であり、その中に「ADHD」「ASD」といった種類がある。また生活に困難をきたしている診断基準に到らないが、この特性に悩まされている場合は、発達障害のグレーゾーンと呼ばれる。「発達障害」や「ADHD」のキーワードでインターネットを検索すれば、この障害に関する解説記事は数多あるが、分かりやすく説明されている、次のサイトからASDとADHDの定義を引用してみたい。

ASD(自閉スペクトラム症)
【コミュニケーションおよび対人関係の障害】

人の気持ちを想像・理解するのが苦手、冗談や比喩が理解できない、興味のあることを一方的に話し続けてしまう、非言語的なサイン(表情・目配せなど)を読み取るのが困難 など
【同一性へのこだわりや興味・関心の狭さ】
日課・習慣の変化や予定の変更に弱い、特定の物事に強いこだわりがあるなど
【その他の特性】
聴覚・視覚・触覚など感覚の過敏、鈍磨を伴うこともある
ADHD(注意欠如・多動症)
【不注意】
物をなくすことや忘れ物が多い、人の話を一定時間集中して聞けないなど【衝動性】
予測や考えなしに行動してしまう、相手の話を待てないなど
【多動性】
じっとしていられない、動き回る、しゃべりすぎるなど

 上記の定義を読んだだけで、「半分、青い。」をきちんと見ていた人ならば「ADHDの特徴は鈴愛にあてはまるじゃないか」「もしかして秋風先生ってASD?」といったような感想をもつかもしれない。
 実は上記のサイトは、複数のNHKの番組共同で作られたNHK「あさイチ」内の特設サイト「発達障害プロジェクト」である。そして2017年以降、
朝ドラの前後の番組、「おはよう日本」と「あさイチ」の番組中で、発達障害の特集を何度も放送しているのだ。朝ドラ送りや朝ドラ受けをしている、朝ドラ前後の番組で、こうした特集をしているのも、朝ドラが発達障害を扱っていると思わせる理由である。

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発達障害の兆候が現れているシーン

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 それでは、前述の定義に沿った、ADHD、ASDの兆候が現れているシーンを具体的にピックアップしてみたい。

鈴愛(ADHD)
 不注意:
・授業中に教室の外を眺めているが、先生に注意されると、椅子ごとひっくり返る(第4回)
・和子さんのシフォンケーキの誘いに釣られて、なおちゃんと遊ぶ約束を忘れる(第4回)
・オフィスティンカーベルの初出社日早々に、原稿にコーヒーをぶちまける(第33回)
・結婚式で盛大にこける(第91回)
・岐阜で三オバに会ったことを忘れている(第93回)
 衝動性:
・名前をからかわれたことに激怒しブッチャーに反撃(第4回、第7回)
・秋風先生に五平餅要員・炭水化物要員と言われ激怒して、原稿を窓から捨てようとする(第36回)
・涼ちゃんと出会って6日で結婚を決める(第88回)
 多動性:
・律の家に畑のキャベツを届けに行く途中、ずっと走りまくり。とにかく落ち着きがない(第4回)
・先生に叱られる律を擁護するべく、マシンガントークでずっと喋りまくる (第7回)
涼ちゃん(ADHD)
 不注意:
 ・オリジナル脚本が最後まで書けないこと、何でも三日坊主なことが発覚(第95回) 
 衝動性: 
 ・鈴愛と出会って6日でプロポーズする(第88回)
 ・映画に専念したいという理由で、突然離婚を切り出す(第104回)
秋風先生(ASD・一部ADHD)
   不注意:
 ・「ネームをなくした!」と騒いで鈴愛を犯人と疑っていたが、結局自分が電子レンジに入れていたことをすっかり忘れていた。(第42回)
 知覚過敏:
 ・冷たい水はNG。常温しか受け付けない(第24回)
 対人関係の障害:
 ・持論を秋風塾の弟子たちに長々と語る(漫画家編すべて)
 ・司会の女性(カトパン)の何でもない質問に苛立ち、トークショーの途中で中座(第24回)
 ・失恋した鈴愛に、興味本位で色々聞きだそうとする。あげく鈴愛に「先生、殺意が湧きます」と返される始末(第58回)
 ・「人間嫌い」※但し、秋風塾の弟子たちとの交流で「私の人生を豊かにした」と実感するまでに克服する(第81回)
 特定の物事に強いこだわり:
 ・五平餅は仙吉さんが焼いたものだけが「真実の食べ物」鈴愛の焼いたものは、どちゃくそ不味い(第24回, 第36回) 
 ・亡くなった愛犬の墓に、細かく決められたお供えをする(第35回)
 ・イタリアンならここと決めているレストランがある(第56回)

 以上、思いつくままに挙げてみたが、他にもたくさんあるだろう。また、律の人物像に関しては非常に難解なのだが(律はこのドラマの中で最も解釈が難しい登場人物である)、あえて発達障害のカテゴリにあてはめると、前述の「ASD」の定義の変形である「受動型ASD」と解釈できる。
 「受動型ASD」の特徴は、「相手の期待に応えすぎる」「押しに弱い」「受け身」「優柔不断」「言葉が出てこない」「性格が優しい」といったものである。なお、こういう性格の男性は、鈴愛や清のような女性から共依存のターゲットにされやすい。
 それにしても、第1回冒頭の高校生・鈴愛のモノローグを除けば、鈴愛の片耳難聴の話が出てくるのは第7回が初出であるが、発達障害らしきシーンの初出は第4回の冒頭、小3の鈴愛が初登場のシーンからである。一体どちらの障害をメインに扱っているのか。「どっち、どっちどっち?」である。

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ADHDの有名人と鈴愛との共通点

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 これまでは、「半分、青い。」の登場人物に絡めて、発達障害の人たちが不得意と感じている特性の事例について取り上げてきた。しかし、前述の「発達障害プロジェクト」サイトの記載にもある通り、こうした特性も周囲の理解と適切な配慮で、それらの特性の症状を軽減し、長所を活かして大いに活躍することができる。ここからは、ADHDの特性をもちつつも、社会的に活躍してきた人たちのエピソードを、鈴愛との共通点を絡めながら紹介したい。
 まずはADHDの有名人として最も知られる、発明王エジソンのエピソードである。「半分、青い。」のNHK公式サイトでは、物語の結末は「やがて一大発明をなしとげる」と紹介されていた。そもそも「なぜ鈴愛のようなヒロインが、最後に発明家になるの?」と思う人も多かっただろう。しかしながら、そうした疑問も、エジソンのエピソードを知ることで、少しは理解できるようになると思う。「ADHDナビ」の「ADHDの有名人」から引用する。

その生涯において1300もの発明を成し遂げた偉大な発明家エジソンも、ADHDを抱えていたといわれています。興味の対象がめまぐるしく変わり、何でも知りたがった幼少の頃のエジソンの気質は、まさにADHDの特徴そのものです。彼の特異な才能を信じたエジソンの母親は、学校の先生に代わって自ら彼の教育を手がけました。
(中略)
やがて発明家となったエジソンは、常にいくつもの発明プロジェクトを同時並行に進行させ、1つのプロジェクトに飽きたり行き詰まったりすると次の発明プロジェクトに移っていたといいます。ADHDの特徴を上手に活かし、創造的な仕事へと昇華させたエピソードといえるでしょう。

 エジソンも鈴愛もそうだが、ADHDの特性をもつ人は、興味の対象がめまぐるしく変わる。集中力が無くて、気が散る特性と表裏一体なのだが、頭の中にたくさんアイデアが数珠繋ぎでくるくる巡ってくる感じがあるのだ。
ある時は、晴さんに「あんたの37年間はすべてが思いつきや」(第114回)と呆れられることもあったが、鈴愛がアイデアをポンポンと思いつくシーンは「半分、青い。」で最も楽しいシーンだったと個人的には思う。以下に、その例をあげてみよう。

・祖母と三途の川で話をするための糸電話(第4回)
・鈴愛の左耳を表現した小人のゾートロープ(第12回)
・つけ耳(どんどんバージョンアップする)(第13回)
・マァくんに失恋した後に考案した涙止めマスク(第58回)
・100円ショップを盛り上げるアイデア(第95回)
・センキチカフェの命名経緯と岐阜犬誕生(第120回~第124回)
 「アホあね」からの携帯を着信した健人、ふざけて出る→ココンタに携帯を仕込み、カンちゃんから仙吉さんの2号店の命名を聞き出す→岐阜犬のぬいぐるみに携帯を仕込み、悩みを聞くアイデア→病気の和子さんに新たな仕事
・株式会社ふぎょぎょ(第134回)
カメレオン蛇口・まああかん袋・鏡よ鏡・チヤホヤ粉
・そよ風の扇風機のアイデア(第143回)
 健人の新婚旅行のイースター島のお土産の「モアイ」見つける100円ショップ時代の田辺店長→田辺店長の「壁に風を当てると柔らかくなる」→そよ風の扇風機の問題解決

 次に、ADHDの特性をもつ人は、その時々の自分の興味・関心に基づき、やること、やりたいことがどんどん変わっていく。エジソンとは異なる色々な経緯があるが、鈴愛の仕事も、漫画家→100円ショップ店員→五平餅屋→おひとりさまメーカー→律とそよ風扇風機を共同開発 と、どんどん変わっていった。ここが、一つの仕事に従事し成長をしていくようなヒロインを期待するような人たちにとっては分かりにくく、評判が悪かった点ではある。
 しかし、田舎から都会へ上京し、また帰郷するという「行きて帰りし物語」の現代モノ朝ドラにおいては、ヒロインの職業が変わるのは全く珍しくない。例えば「あまちゃん」のアキちゃんは、海女→南部ダイバー→アイドル→映画女優→震災からの地元復興と、やることが変わっていった。
「半分、青い。」においてヒロインの職業が変わることへの批判は、いささか不当に思える。

 それに、ITを中心とする技術進歩が急速に進む現代において、時代に合わせて、やる仕事が変わっていくというのは、むしろ当たり前ではないか。
鈴愛が漫画家になった1990年代前半は、まだインターネットビジネスや「なんでも作るよオフィス」のような環境は存在していなかった。ADHDの特性をもつ新しい物事が好きな人たちが、こうした新しい分野の開拓者となったのである。そうした人たちの一例として、次に、日本のインターネットショッピングモールの草分けである楽天株式会社を起業した三木谷浩史社長のエピソードを、下記の書評サイトから引用して紹介したい。

三木谷氏本人も、いくつもの事柄を同時進行で考える自身の思考回路について、「他の人と違う。ADHD(注意欠如・多動性障害)の傾向があるかもしれない」(同書より)と自己診断しています。
 もっとも、当の三木谷氏自身は、そのことを気に病む様子はなく「頭の構造が、他の人とちょっと違う。それだけのことでしょ。IT、ネット企業のアントレプレナーは、みんなそんな感じ。僕より、ぶっ飛んでますよ」(同書より)と肯定的に受け止めています。
(中略)
大人になった今でも、その傾向は変わらないという三木谷氏。たとえ相手が大先輩や大事な取引先でも、興味がない話題になると大あくび。本人に悪気はないのですが、相手からは"礼儀知らず""生意気"と悪印象を持たれたり、周囲をヒヤヒヤさせたりすることも多々あります。しかし、ここ一番と判断したときの集中力はすさまじく、問題を一挙に解決していきます。

 三木谷社長のエピソードは、鈴愛の性格と似ている点が多い。
 まずは、自身のハンディキャップに対するポジティブな評価である。三木谷社長の「頭の構造が、他の人とちょっと違う。それだけのことでしょ」という言葉で連想するのは、第1回冒頭の鈴愛のこのモノローグである。

「例えば、私、左の耳が聴こえない。(中略)これを悲しいと思うか、面白いと思うかはその人次第。そして私なんかはちょっとこれ面白い、なんて思うんだ」(第1回)

 そして、相手から「礼儀知らず」「生意気」という悪印象を持たれてしまうな振る舞いも、三木谷社長と鈴愛は共通している。

「だから先生はいい年して独り者で家庭もなくて友達もいないんだ!」
(第63回)
「死んでくれ!」(第105回)
「ブッチャーに使われる位なら物乞いをする。私は人には使われん。
 社長をやる!」(第113回)

ヒロイン鈴愛がアンチを増やした理由は、三木谷社長同様、本人には悪気は無いのだが、こうした歯に衣着せぬストレートな物言いであろう。
 これは、ADHDの特性をもつ人たちが、脳内のワーキングメモリー(短期的記憶)を十分に使えないことが一因かもしれない。相手を気遣うといったことまで考えが及ばない。また「鈴愛の口は羽より軽い」というフレーズがよく出てきたが、ワーキングメモリーを浪費したくないので、人から聞いた話を秘密にしておくことも苦手である。良くいえば、裏表がなく、率直で
分かりやすいし、陰口を言うようなことはない。
 そして、時には、凄まじい集中力を発揮して物事を成し遂げる点が三木谷社長と鈴愛で共通している。この特性が一番よく出ていたのは、律の「おまえ漫画描けば?」というアドバイスを受けて、凄まじい集中力を発揮し、徹夜で漫画を描き上げた描写である(第21~22回)。これは、ADHDの特性の一つである「過集中」の状態である。
 なお「過集中」の状態の描写は、涼ちゃんにもあった。映画監督としての成功のため家族を捨てた描写である。「なぜ家庭を捨てる必要があるのか」「芸術は日常生活を脅かすものではない」「意味が分からない」等と散々批判を浴びたが、涼ちゃん側の理屈を想像すると、映画製作に没頭するため、この「過集中」の状態になることを望んだからかもしれない。加えて、ADHDの特性をもつ人は、前述したワーキングメモリーの問題で、マルチタスクが苦手である。映画の仕事と家庭の両立が難しいと考えたから、涼ちゃんは映画一本に絞り、その結果、映画監督として成功したのかもしれない。

 最後に紹介するのは、経済評論家の勝間和代さんである。勝間さんは、軽度のADHD、LGBTの当事者であることを既に公表している。そしてワーキングマザーやADHDの立場から、部屋掃除、調理をはじめとする家事の本を出版されている。そんな勝間さんが、「半分、青い。」の最終週である、9月28日の「あさイチ」プレミアムトークのゲストであった。

 「朝ドラ最終週のあさイチ・プレミアムトークのゲストは、普通は主役か準主役級の俳優だよなあ」と思ってたところが、なぜか勝間さんだったので、第155回の話の中で、鈴愛がADHDであることを種明かしするか、あるいは、勝間さんがADHDに絡めて「半分、青い。」を語るのではないかと私は勝手に予想していた。
 実際には、ドラマ内でのADHDの種明かしもなく、あさイチでも、勝間さん自身がADHDであることをサラッと触れる程度であり、予想は外れであった。しかし、話を聞いていると、ADHDの特性をもち、離婚を経験しつつも、ワーキングマザーとして創意工夫し活躍する勝間さんは、子育てと仕事に奮闘する、物語終盤の鈴愛の姿と非常に似ているように思えた。

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「半分、青い。」に込められたNHKの意図

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 ここまで「半分、青い。」が発達障害、特にADHDを扱った朝ドラであると仮定して、発達障害の兆候が現れているシーンや、ADHD有名人と登場人物の共通点を紹介してきた。
 ADHDをはじめとする発達障害そのものを示唆する台詞や言葉による説明は、最後まで出てこなかった。ただこうも思う。明示的に発達障害を示唆する台詞や説明を出した場合、視聴者の反応はどのようになるだろうか。
 ここで参考になるのが、NHKで同時期に放送されたドラマ「透明なゆりかご」である。このドラマの第7話では、主人公アオイが医師からADHDの診断を受けたシーンがある。このシーンを見た視聴者の多くは「この人はADHDなんだな」と理解し、その後の言動を冷静に解釈するだろう。
 しかし、現実の場面では、身体的な障害とは違い、発達障害は、周囲からは分かりにくい。発達障害であることを台詞や文字の説明では行わず、映像だけで見せた場合どうなるだろうか。

知識がある人が見ると、
「あれ、もしかして、この人、発達障害のADHDかな? うーん、
 どうだろう。直接本人に確認できないしなあ(モヤモヤ)」

知識がない人が見ると、
「なんて衝動的でわがままな人だ!」「人の話を聞けない変な奴だな!」

 この状態の方がリアルに近い。そして「半分、青い。」は、星野源曰く「アバンギャルドな朝ドラ」この件に限らず、この半年間、色々なことを
視聴者に問いかけ、考えさせてきたドラマである。だから、もし発達障害を取り上げていたのだとしたら、明示するか暗示的にするか「どっち、どっちどっち?」と言ったら、当然、後者を選ぶだろうなと推測される。
 またNHK朝ドラには「あまちゃん」で培われた「分かる奴だけ、分かればいい by 花巻さん」の手法・経験の蓄積もある。分からない人は、SNSや検索サイトで調べたり、分かる人に聞いたりして情報共有するだろうという読みもあっただろうと思われる。

 それでは、なぜNHKは昨年から「発達障害プロジェクト」として複数の番組で発達障害の特集をしたり、発達障害をドラマの中でとりあげたりするのだろうか。推測ではあるが、今日の社会的背景があると考えられる。
 一番大きいのは、下記の厚生労働省の通達の通り、今年2018年4月から施行された精神障害者雇用義務化の件である。

 この精神障害者雇用促進のためには、発達障害を含む精神障害者に対する理解が進む必要がある。そこで、上記の「発達障害プロジェクト」が
組まれ、NHKの多くの番組で特集している
のだと思う。
 今年は、残念なことに、省庁及び地方自治体等の公的機関での、障害者雇用水増し問題が発覚してしまい、なかなか障害者雇用の理解が進んでいないことが露呈されてしまった。また、2020年8月からは、東京パラリンピックが開催される。ホスト国として、世界中からの多くの障害者を受け入れるためにも、障害者に関する最新かつ正しい知識の理解が必要とされる。その理解促進のための番組が今後より増えていくだろうと思われる。

 最後に、登場人物の多様性について触れることにしたい。この概念は、近年ハリウッド映画界隈で言われてきているものだが、NHKのドラマでもこの考え方は取り入れられているように見える。そして「半分、青い。」はその考えを明確に取り入れ、手法を確立させたように思える。
 発達障害以外にも、LGBT(ボクテ)、外国人(健人)、病人(和子さん、晴さん)、いじめられっ子(修次郎、カンちゃん)等が登場し、常識の側にいる人間からは気づきにくい、彼ら独自の視点からの描写がある。
 朝ドラはこれまで「変なおじさん」(by 「ひよっこ」の増田明美ナレーション)を登場させることが多かった。この一見変な人の役回りを、登場人物の多様性の概念を取り入れて拡張し、彼ら独自の視点からの描写を取り入れ、視聴者に新たな気づきを与えるという手法は、今後制作される朝ドラでも取り入れて、アップデートしていってほしいと思っている。

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最後に

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ADHD、発達障害やその他の精神疾患をよく知らなかった方へ:
 まず、最初に紹介したNHK「発達障害プロジェクト」等から、知識を得てください。そして、家族、生徒、部下や同僚等に該当する方がいて、関わる必要があるのだという場合は、心療内科や精神科の範疇になるので、もっと詳しい文献、ガイドを読む、医師に相談するという話になります。
 関わる必要がないという場合は、そういう人たちと思しき人に遭遇した場合、スルーしてください。知らなかったら、イライラするかもしれませんが、知識を得ていれば「そういう人たちなのだ」と理解しスルーできます。最悪なのは、イライラして攻撃したり、病気・障害の呼称を侮蔑的な意味で用いて罵倒することです。

ADHDの特性をもつ方へ:
 ADHDの特性をもつ人から見たら、「半分、青い。」というドラマは、失敗や理不尽なことが多いとはいえ、何だかんだいっても、鈴愛のサクセスストーリーですよね。漫画家として挫折したといっても、仙吉さんの言う通り「9年がんばって本も何冊か出して御の字」(第80回)だったし、涼ちゃんという読者に会えて漫画家になった甲斐もあった(第85回)。センキチカフェで五平餅の販売も復活させたし、おひとりさまメーカーで数多く商品を売ってるし、最後に、律とそよ風扇風機を共同開発してチューしてるし。
「ドラマと違い、現実は厳しいんだ。生きづらいんだ!」と思っているかもしれません。
 ADHD特性をもつ人たちへのこのドラマからのメッセージは、最終話ひとつ前に出てきた、秋風先生の手紙と裕子から鈴愛への遺言を通して、力強いエールをくれたと読み解けるのではないかと私は考えています。特に重要なところを抜粋します。

「人には想像力があります。夢見る力があります。」
「もうダメだと思うか、いや先は明るいと思うかはその人次第。律君と鈴愛には、その強さがあると信じています。」
「何かを成し遂げてくれ。それが私の夢だ!生きろ!鈴愛」
(第155回)

他の方の「半分、青い。」総評リンク:
「半分、青い。」については多くの方が感想や考察を述べられていますが、noteでは、特にsurf_and_literatureさんの考察がとても楽しく読ませていただき、このnoteを書こうというきっかけにもなりました。感謝致します。

最後の最後に:
 その昔「ビューティフルライフ」を面白く見てましたが、後に「バリアフリー」という概念を世に知らしめ、世間の障害者に対する見方を変えた、社会的影響のあったドラマであると知りました。
 その点では、「半分、青い。」も、障害者、病人、マイノリティ等の描き方を新しいものにアップデートした、斬新かつ画期的なドラマだったと思います。SNS上では賛否両論ありましたが、それは斬新であったことの証左であり、「半分、青い。」は、確実にNHK朝ドラの歴史に爪痕を残したと思います。
 北川悦吏子先生には、今後もお体を大切にしつつ、また面白い脚本を書いてほしいなと思っています。どちらかというと個人的には、ぶっ飛んだクレイジーな作品が見たいです(笑)
 「半分、青い。」のBS再放送は、2020年秋頃、東京パラリンピックが終わった直後あたりがいいんじゃないかなーと希望しています。その頃になれば、もう少し、世間の見方も改善されていると思いますし。


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