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人生経験とはつぶやき /「100年の旅」 ハイケ・フォーラ(著)

こんにちは。今日は「100年の旅」という本を紹介したいと思います。0歳から99歳までの人生を鮮やかなイラストと心に刺さるつぶやきで表現された絵本です。


私も中年期と呼ばれることに慣れてきて、近頃は、20代の頃には「オーバーだな」と思っていた大人たちの話が「本当だったよ!」と驚き実感する日々を送っています。それでもパワフルに生きていた彼らに今更ながら凄いわと思います。

この実感、これをこの本では「人生経験」と言います。

人生経験というとなんだか「敬え/従え系」のイメージが付き纏いませんか? 私はそうでした。仕事とか世間知とか説教くさく感じていました。

でも本当は、長く生きてきた中で「その時その時に得た実感」こそ「真の人生経験」じゃないかとこの本は提言するのです。他者ではなく自分へのつぶやきです。

例えば40代なら「いつから、人生はこんなにストレスだらけになったのだろう?」とか「夜通しぐっすり眠れることがどんなに贅沢なことか、わかる」とか「でも、それも良し。小さな幸せを楽しむことを知ったから」とか。気づきとも言えないような、なんとなくいつの間にかそう思っていた実感。場合によっては、痛い目にあって実感することもあります。

「近くにあるものすべて、この手でにぎりしめたくなる」とか「世界は発見だらけ。なんでも近づいて見てみたい」これらはまだ赤ちゃんや幼かった頃のつぶやき。

「いつも自分のことが好きってわけではない。ほかのものになれたらいいのに」これは青年期。

独りで生きていくことに慣れてきた頃には「お母さんのアドバイスは、もう、あまり役に立たない気がする」「ただ、お母さんは、アドバイスといっしょに手作りのブッラックベリージャムをくれる」。

どうやら人は変わっていくようです。変わっていないようでいつの間にか変わる。それが自然なことなのでしょう。

人生のそれぞれの局面で、世界の見え方が変わる

「100年の旅」

これらの気づきは一人でふと呟くものかもしれませんし、あるいは同世代同士で頷きあうものでもあるかもしれません。(そして若い人に教えたくなる時もある)。

また、引用した文の中に書かれている「局面」とは年齢だけとは限らず、置かれた状況によっても世界の見え方は変わると著書は言っています。

人が歳を重ねていくことは、成長や成功や成熟なんて言葉では表しきれない毎日の些細なつぶやき(実感)を経験していくことなのでしょうか。

私がこの本「100年の旅」の中で好きな人生経験のつぶやきはこの二つです。

94  毎年、空になったジャムのびんを食器棚にしまうとき、このびんをまた使うことがあるだろうか?と自分に問いかける。

95  でも、またブラックベリーのジャムをつくっている。

時に限りがあると分かっても今日も同じことを繰り返すのが生きていくことかなと思います。

皆さんは最近、なんてつぶやきましたか?


ここまで読んでくださりありがとうございました!


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