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あの時世界中の人から貰った勇気~今、トルコやシリアの人たちに~

【*震災に関する描写があります。閲覧にはご注意下さい。】

2011年3月11日14時46分。
一瞬で、たくさんの人も町も、生まれ育った思い出も身内も、これから未来のあった地元の子供たち、誰それさんの息子、誰それさんの娘、たくさん失くした。

河原グラウンドでは、小中学校、高校の子どもたちが体育をやっていたかも知れない。
河原グラウンドは、一瞬で根こそぎ波に飲まれた。

昔なじみが多かった鍬ヶ崎町。
祖父と毎日通った田老町。
跡形もなく全部、波に流された。

町中で、横断歩道一本 隔てた向こう側が、全部全部、波に流された。

町の小学校の校庭まで波が来たと、ニュースで流れた。

叔母と連絡を取り合いながら、沿岸沿いに住む親戚たちが、逃げたかどうかの確認を一日中した。

父とは 一言「水が…!!」それだけで音信不通になっていた。

あの時。
そしてあの後。

日本中から、世界中から、たくさん 支援してもらった。
たくさんの国から、救助隊の人達が来てくれた。
たくさんの国から、義援金を寄付してもらった。

テレビをつけたら、たくさんの国が、日頃 揉めてる国まで、

「日本人 頑張れ!!東北の人たち 頑張れ!!」

街中に横断幕を掲げて、応援してくれていた。

あんなに心強かったことはなかった。
あんなに有難かったことはなかった。
あんなに世の中に感謝したことはなかった。
あんなに泣いたことはなかった。

あんなに、「人の気持ち」というものに、助けられたことはなかった。

支援物資には、ダンボール いっぱいメッセージが書き込まれ、色んなシールや色のついた紙が貼ってあって、応援の言葉ばかりがびっしり書いてあったと聞いた。

私は北海道から物資を送ったけれど、街中のみんなが、ダンボール いっぱいにメッセージを書いて、応援の言葉を書いて、ものを持ち寄ってくれた。

寄付してくださった方もたくさんいた。

あの時。
日本中の人に助けられた。
世界中の人に助けられた。

忘れられない。
絶対に忘れない。

日本中の、世界中の、たくさんの人に支えられて、私たちの町が復興できたこと。
なんとか頑張れたこと。
頑張る気力をもらったこと。

絶対に忘れられないことだ。

今世の中がなんだかおかしくなっている。
戦争や、紛争や、利害関係。
世界中が緊迫している。

日本も言ってみれば有事かもしれない。

世界中は経済が疲弊し、ヨーロッパの人達は 生活するだけでもいっぱいいっぱいだ。

日本だって物価が上がり、切り詰めて 切り詰めて、なんとか今日のご飯を食べている家庭 ばかりだ。

トルコの地震は、東日本大震災の被害の規模を超えた。
シリアでも困っている人たちがたくさんいる。
みんな命がかかってる。
みんなで助ければ、助かる命があるかもしれない。
一人でも二人でも、助けられるかもしれない。

東日本大震災のとき、私たちにやってくれたみたいに、世界中がもう一度、損得抜きで、利害 抜きで、トルコとかシリアに支援をすれば。

生きられる人たちがいるかもしれない。
助かる人がいるかもしれない。
復興できるかもしれない。
トルコ やシリアで苦しんでいる人たちが、勇気づけられるかもしれない。

今だけは、どうか 本当に、戦争も紛争も諍いを全て止めて、そうならないかな。
世界中のあちこちで、ウクライナとロシアに限らず、緊迫した 情勢が続いているけれど。
もちろん 日本も含めて。

だけど今だけは、どの国も、そういうことをやめないかな。

あの時。
私たちが 助けられたように、勇気をもらったように。

今どの国も余裕がないけれど。 
どの国も緊迫しているけど。
そんなの分かってるけど。

世界中が、街に横断幕を掲げて、トルコの人たちやシリアの人たちに、「頑張って!!」そう 、応援しないかな。

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