小説『オスカルな女たち』46
第 12 章 『 決 断 』・・・2
《 いちばんいい? 》
それはクリスマスイブのちょうど一週間前の月曜日のことだった。
午前中の診察を終え、ようやっと昼休みというわずかな合間に「来客」だと言われ、ふてくされながら玄関口に向かうと、意外な顔ぶれに出迎えられた。
「よぉ…最後の客帰ったみたいだから」
こちらの都合を踏まえて今まで待ってやった…というマウントからの押しつけがましい得意顔は昔とちっとも変っていない。
「客じゃない。患者だ」
冬の低い日差しを受けながら、南向きの玄関口で目を細め、不機嫌を隠さず応える真実(まこと)。
「どっちでもいいじゃん」
「よくねーんだよ、ここでは」
「マコちゃん…」
見た目は他人を威嚇するようなファッションセンスではあるが、しょぼくれて肩を落とす姿はまだまだ子どもの、
「羽子(わこ)…」
と、その隣に柱のようにそそり立ち、
「見つけてきたぞ。てか、案外解りやすかったぞ」
そう語るのは、その容姿もマウンテンな、
「佑介…」
捜索を頼んでおきながら…だが、あまりあてにしてはいなかった感を隠さない真実。
「俺に捜索させる意味あったのか? 俺に会いたかっただけか!」
「いや…ホントに探してきたんだ」
そんなあからさまな態度が気に入らないのか、
「心外だな、その言葉は」
目を細め、一歩前に出ようとする。
だが、そんな言葉は耳に入らない真実は佑介を押しのけ、
「どこにいた? あぁ、いいいい。…とりあえず入って」
と肩に手を回し、羽子だけを受け入れる真実。
「なんだよ…」
当然ながら不満を隠さない佑介は、自分も一緒に院内に上がり込もうとする。
「こっからはデリケートな話だから。お前はもういい」
「なにぃ!? 俺は、交通安全強化月間で忙しい身なんだぞ」
クリスマスシーズンの繁忙期、真実の頼みを最優先に動いていた…と言いたいらしい。
「今度は交通課に回されたのか…?」
先日の大立ち回りを受け、どうやら刑事課から転属されたらしい旨を知る。
「あ? そういうわけじゃ…手伝いだよ」
途端に口ごもる。
「そのうち首になるぞ」
「まだ、まだ配属先はある…」
言葉を濁すあたり、あまりいい待遇を受けてないらしいと解釈する真実だったが、今となっては心配するような間柄ではない。だが、
「バカが、言ってろ…」
(今度はなにやらかした…?)
危なっかしい性質の元夫を労わないわけではない。
「あぁ、そうか」
立ち止まり、仰ぎ見る。
「…ありがとな」
言葉とは裏腹に無表情に返す真実。
(めんどくせー男だ)
「お安い御用だ」
単純なのか、考えないだけなのか、腕組みをして満足げな佑介の言葉を背に談話室の方へと足を向ける真実。だが、途中思い立って受付に戻ろうと踵を返す。
「とりあえず玲(あきら)に連絡入れとくか…」
ぽつりとつぶやく。だがその腕を羽子がきつく握りしめ引き止めた。
「ママには…」
涙目でそう訴えてくる逃げ腰の羽子を訝しむ真実だったが、ちらちらと視線を上下させ、
「おまえ…もしかして」
玲を呼べない理由を察した。
「こっちに来い…」
引かれた腕を握り返し、診察室のある方向に切り返す。
「マコちゃん~」
半べその羽子は引きずられるようにして、それでもしぶしぶ従うしかなかった。
「まこと~…!」
口元に手を当て、目の前を通り過ぎる最愛の元妻に能天気な声を投げる。
「あとで電話するよ、強化月間つづけて」
先ほどとは一変して厳しい顔つきの真実は、佑介には目もくれずに診察室に向かった。
「ずっと待ってるからな~。貸しだぞ~」
それはそれは嬉しそうに、声高らかに言い残して帰っていった。
「あ~めんどくせーめんどくせー」
(ヤなヤツに借り作っちゃったな―)
ずるずると羽子を引きずりながら診察室のドアを勢いよく開け、語気も荒く「座れ」と促す。
おとなしく席に着く羽子は縮こまり、叱られたあとの子どものように押し黙っていた。
「相手はだれだ」
「え…」
単刀直入な真実の言葉に顔色を変える羽子。
「何ヶ月よ? 病院行ったの?」
挨拶を交わすかのようにさらりと言い放ち、デスクの自分の椅子に腰かけながらパソコンの電源を入れる真実。
「おまえ、妊娠してんだろ」
まっすぐと見据えてくる真実の言葉に、喉をつまらせるようなしぐさを見せる羽子。
「病院は?」
なにも言えない羽子に淡々と質問だけを投げかける。そんな真実の顔つきは、厳しくはあったが言葉は柔らかかった。
だが、当然羽子はなにも答えない。
「それで家出か…」
両腕を頭の後ろに組み天井を仰ぐ。真実はこれまでの流れを自分なりに解釈して独り言のようにつぶやいた。
「どうするつもりで逃げた…?」
顔を上にあげたまま視線だけを落とすと、羽子もまた上目遣いに真実を見ていた。
「黙ってたって、腹は膨れるだけ…おいおい、おい~」
言ってるそばから羽子の目からは大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ぅぅ、うぇ~…」
「まじか、勘弁してよ~」
両手を伸ばすがどうしていいのか解らず、指先だけが空を描く。
「悪かったよ、怒っちゃいない」
「うぇ~…ぁ~」
ますます大きくなる泣き声。
「ちょ、わ~こ。玲呼んだ方がいいのか…」
「ひ~ん、うぇ~…」
「あ~あ~あ~」
真実はたまらず立ち上がり「好きなだけ泣け」と言い残して奥に引っ込んだ。
「なにしてるんですか、真実先生! 患者さん泣かせて…」
すぐさま出てきたのは、本日の診察室担当看護師〈木下楓〉だった。
「あたしじゃ、ない…!」
「もう~ほんっとに、それでよくお母さんしてられますね」
真実を押しのけ、羽子に駆け寄る。
(だから、できてないんだってば…)
額を叩く。
「…相手の男はどうした」
ひとしきり涙を流し落ち着いた後、デスクに腰を預けた格好のまま真実はいきなり本題を切り出した。
「先生、もう少しやんわり聞けないんですか?」
診察ベッドに並んで座る看護師〈木下楓〉は、庇うようにして羽子の肩を抱き、きつい視線で真実を見上げた。
「今さらやんわり聞いても同じだろ? 逃げたのか?」
ったく…と、面倒くさそうに腕組みをして見下ろす。
「…自分の親に話をしに行ってる」
憮然と答える羽子。
「おまえはなにしてた…? 自分のマンションの空き部屋にいるとか、なにその『見つけてください』家出」
呆れる…と頭を抱えつつも、それを見つけられない玲を「なにやってんだか」と窘めた。
「帰ろうと思ったの。でも、なんて言っていいかわかんなくて」
「産むつもりなんだな」
「当然でしょ」
反抗的な目を向ける羽子も、真実相手にようやっといつもの調子が戻ったようだった。
「ならなんで逃げた」
畳みかけるように首を垂れる真実に、
「だからっ怒られる、と思って。…普通のことでしょ」
「普通じゃないことしたと思ったから逃げたんだろー」
「先生! またそんな言い方…」
「反対されると思ったのか? 産むつもりなら素直に言やぁいいだろ。玲は反対しないと思うぜ?」
それを当然のように述べる真実。
「なんで?」
「あ?」
「なんで反対しないの?」
まるで反対してほしいような口ぶりの羽子に、腕を外して白衣のポケットに両手を突っ込む。
「なんで?…って」
前屈みに羽子に迫り、
「だって、好きな男なんだろ? そういうところは…」
寛大だ…そう言おうとするも、
「あたしのことなんかどうでもいいから…?」
と逆に鼻声の羽子に言葉を遮られた。
「はぁ? おまえ殴るぞ」
ついいつもの調子で遠慮がない真実は、立場を忘れ腰を浮かせた。
「せんせい!」
すかさずその態度に噛みつく楓。
「ちっ…。ちゃんと予告しただろうが…!」
一歩踏み出すが踏みとどまる。
「予告すれば殴っていいわけじゃないでしょう」
「娘なら、予告もせずに殴ってる」
「もう~。乙女心が解ってないんだから…」
「お~と~め?」
片目をあげて楓を見据える。
「そうですよ~。『反対されたくない』でも『反対してほしい』…そういうものじゃないですか、乙女の心境としては…! 妊娠しちゃって、自分でもどうしたらいいのか解ってないんですから」
震えながら涙をこらえる羽子の肩を引き寄せる楓。
「そういうもの?」
意味が解らない…と羽子を見下ろす。
「だいたい。その言い草『あたしのことなんかどうでもいい』…だと? やっぱり殴らせろ」
ポケットから利き手である左手を出す。
「真実先生。いい加減にしてください」
立ち上がり腕を振り上げようとする真実を制す楓。
当然真実には本気で殴り掛かるつもりはなかった。だが、
「だぁって…!」
真実を上目遣いで見、一瞬躊躇するも、
「どうせあたしは犯罪者の子だもん」
とうとう羽子は地雷を踏んだ。
ぴしゃん・・・・
その瞬間、利き手ではない右手が羽子の頬に当てられた。
「せんせい!」
立ち上がる楓。それより早く、
「ふざけるな!」
有無を言わさず羽子の胸ぐらをつかむ真実。
「おまえ、それを玲に言ったのか!」
その目は見たこともないほどに吊り上がり、びくついて目をそらす羽子に、
「玲に言ったのか!」
さらに声を張り上げる真実。
「先生! 患者さんですよっ」
言われて、声に手を放す。
「い、言わない。言えるわけないじゃん」
(当然か…言えるくらいなら帰ってる…!)
ほっとするも、
「いじけてんじゃねぇよ! そんなちいせぇことで…」
デスクに拳を押しつけた。
「先生!」
「マコちゃんには解らないよ!」
瞬間、真実は顔色を変えた。
「あ~あ~わからないね! おまえは玲が…。玲がどんな想いでおまえを産んだのか解っちゃいない…!」
真実は小さくそう言って背を向けた。
(それこそ命の恩人だぞ…)
もちろん羽子は、当時の玲が激しく周りの反対を受け〈里子〉の話まで出ていたことを知る由もない。
「先生、どこ行くんですか?」
出口に向かう真実を追いかける楓の声。
「あたしじゃだめだ…操先生と交代」
ため息交じりにそう言い残して真実は診察室を後にした。
その週の木曜、休診日・・・・。
「失礼、しま~す」
恐る恐る診察室のドアの隙間から覗き込んできたのは、このところ足しげく見舞いに通ってきている織瀬(おりせ)だった。
「あら、織瀬さん。さぁ入って」
振り返る患者は特別患者の女優〈弥生すみれ〉こと、かつての同級生『観劇のオスカル』と呼ばれた〈花村弥生子(やえこ)〉だ。いつものように「順調よ」と笑顔で答え、主のごとく出迎る。
「まるで自分の家だな…」
憎まれ口を叩くも、
「診察は終わったから、」
いいよ…と立ち上がり、織瀬を受け入れる。
「それじゃぁ…」
そう言ってようやくドアを押し開ける織瀬。
「ごめんなさい。遅くなっちゃって…」
「いいのよ。毎回エコー検査見ててもつまらないでしょ」
回転椅子を揺らしながら答える弥生子。
「あんたが言うなよ」
入口脇に立てかけてある折り畳み椅子を素早く差し出す真実。
「…仕事は? この時期忙しいだろ?」
「うん。今はイベント外してもらってるんだ」
「そうか…」
腰を下ろす織瀬とデスクに戻る真実の一連の流れを眺めながら、
「真実さんて、」
と、言葉を飲み込む弥生子。
「なに?」
不愛想な真実の返事に、織瀬の前では態度を荒げないことを確信し、
「ほんっと、織瀬さんにはジェントルマンね」
本音を漏らす。相変わらず思ったことがそのまま口に出る素直さ。
「マン…? うるせーなー」
毒は吐きながらもいつものトーンではない。
「ほら…」
そういうところ…そう喉まで出かかった言葉はさすがに飲み込んだ。
織瀬が〈里親〉を受け入れることが決まってからは、努めて検診や診察経過を一緒に聞いてもらうようにしていた。いくらその気があるとは言っても、なんの準備もないままでは戸惑うだろうという真実の配慮だったが「少しでも体感したい」と、なによりも織瀬自身がそれを望んだ。
「2度手間になっちゃう?」
もう経過観察は済んでしまったのか…と確認する織瀬に、
「これからよ」
と微笑む弥生子。
「体の方は大丈夫? その…お腹の筋腫は」
「今のところはな…。ただ、これから胎児もどんどん大きくなるし、その成長がどの程度影響するかは様子見だ」
当然のことながら〈子宮筋腫〉の話も織瀬の耳には入っていた。
「隠し事はしたくない」という弥生子の意向でもあったが、産後、生まれてきた赤ちゃんにまったく異常が出ないという保証はなにもないのだ。そればかりか母体に障害がなくとも生まれてくるまではその他〈先天性〉の異常もないとは言い切れない。それらを踏まえ、それでも織瀬は我が子として受け入れ「なにがあってもその後の面倒は引き受ける」と覚悟を決めたようだった。
「そう…」
とはいえ自分もつい最近〈子宮筋腫〉の手術をしたばかりの織瀬には、なにを言われても気がかりでしかない。
「平気よ。わたし、イメージトレーニングしているの。おなかの赤ちゃんがね、わたしのここを蹴り蹴りするたびに『筋腫が縮まる~』ってのをね、脳に焼き付けてるから」
両手をお腹に当て、真顔で織瀬を諭す。
「それって効果あるの?」
「ほんと、そういう前向きなとこ尊敬するよ」
「あら、バカにしてるの? 真実さん、医学じゃ解明できない奇跡っていうのはたくさんあるんですからね」
「そうじゃない。ホントにそう思ってんの。妊娠は病気じゃないけど、中には重く考えすぎる妊婦もいるからさ。まぁあんたの場合、前しか見てねー感じだけどな」
「ほら、ばかにして」
「尊敬してるって言ったろ…。はい、今日のエコー写真」
そう言って真実は、弥生子が一度として受け取ったことのない〈エコー写真〉を織瀬に手渡した。
「ありがとう」
嬉しそうに眺める織瀬を見、真実は複雑な思いを抱いた。
(本当に、これでいいのか・・・・?)
真実の不安は「織瀬が母親になること」ばかりではなかった。小さくくすぶるなにかが、自分でもよく解らない胸のつかえとなっていた。
「じゃ、また来週…」
3人は場所を〈ファミリールーム〉に移し、
「さぁ、ティータイムにしましょう…」
したたか大きくなったお腹を揺らしながら、いつも通りの明るい弥生子。この部屋もすっかり自分の部屋のように使いこなし、病室とは違う温かさが感じられるようになっていた。
「今日は〈ゆず茶〉よ。ビタミンCを摂らないとねぇ…最近寒いから、体を冷やさないようにしないと」
「あんまり飲みすぎるなよ、浮腫むぞ」
低く答える真実。
「解ってますよ~」
弥生子と真実とのやり取りも、初めの頃と比べると幾分柔らかくなってきただろうか。だが、
「砂糖…」
ひとくち口をつけてカップを差し出す真実に、
「これも!? 真実さん、あなた血糖値大丈夫? 医者の不養生なんて全然かっこよくないから…!」
弥生子の態度は相変わらずで、時折真実の口の端が引きつるのは既に癖のひとつになっているのか、
「別にカッコつけてないから」
そういいながらもカップを傾け、あおるように突き出す。
「人間ドックとかどうしてるの?」
ぶつぶつ言いながらも素直に砂糖を足しているあたり、これもいつものことらしい。
「どうでもいいだろ、ひとのことは」
「ねぇ、織瀬さん。このひと、たんぽぽコーヒーに砂糖3つも入れるのよ、信じられる? それともいつものことなの?」
「だぁって、不味いんだもん」
「飲まなきゃいいじゃない…」
「見てると損した気分になるし」
真実と弥生子のやり取りは、人目があろうとあまり変わりはなさそうだ。
「なにそれ。まったくっ…。甘党の大酒飲みなんて…織瀬さん、彼いつもこう?」
「余計なお世話。織瀬、耳栓しとけー」
「ふふ…。彼って言ってるし…」
そのやり取りを見て織瀬はいつも楽しそうに笑っているだけだ。
「診察の時もいつもこうだったの?」
「ん、なわけ…」
否定する真実だが、
「そうよ、ほんっと胎教に悪いったら。もう全部聞こえてるのよ、真実さんのダミ声」
「だれがダミ声だよ。ハスキーボイスって言え」
「ほらほらほら~。きっと泣くわよ~、この声聞いたら。織瀬さん、真実さんに会うときは気をつけて」
弥生子は大げさにお腹をさすりながら真実を避けるしぐさをする。
「あ~そうかよ…」
「仲いいね…」
真実と弥生子も、織瀬同様に学生時代からの交流があったわけではない。この数か月の間に「医師と患者」という枠を超えたようだ。
「なに!? そう見えるのか! やめてくれ」
そんなふたりを見て笑っていた織瀬が、ふっと陰りを見せた。
「どうした?」
顔を覗き込む真実に、
「子ども産むの…こわくないの?」
急に真顔で問い出した。
「今さらなに言ってるの?」
弥生子は目をきょとんとさせ、
「入っちゃったものは出すしかないでしょ」
ねぇ…と、真実を見遣る。
「ねぇ…って」
「でも…こわくないのかな…と思って」
「ちょっと~妊婦を怖がらせないでよ」
「あぁ、ごめんなさい。…最近、いろいろ考えるの。もし自分が妊娠していたらどんな気持ちだろうって…女ならだれでも考えたことでしょ?」
「織瀬…」
「誤解しないでね。そういう不安とか楽しみとかが、嬉しいの」
そういうと織瀬は、とても幸せそうに微笑んだ。
「大丈夫。苦しいのはわたしだけじゃないわ、赤ちゃんだって同じ。赤ちゃんのペースに任せるわ」
愛おしそうにお腹をさすり、
「ねぇ~あなたのタイミングで出てらっしゃい」
その姿を見る限り、真実にも織瀬にも、弥生子自身が楽しんでいるように見てとれる。それゆえ織瀬は逆に不安に駆られた。口にこそ出さないが、未だ〈里親〉の件に関して疑心暗鬼になっている部分があった。
「そんな顔しな~い、の。わたしはこの子のために『産道という花道』を提供するだけよ」
さすが「女優」というべきか、ときどき妙な説得力に圧倒される。
「そんな悠長なこと言ってられるかどうか…」
「やめて、真実さん…! あなたの言葉が一番怖いわ」
「なにもいってねーし」
「お、きたなー」
翌日、真実からの電話を待ちきれない佑介は、夜勤明けの真実を捕まえようと向かいの喫茶店で待ち伏せていた。
「電話するって言ったろーが」
これ以上にないほどに肩を落とし、コートを着る腕も中途半端に喫茶店の入り口で仁王立ちの真実。
「してくる保証ないだろ」
(確かに…)
しぶしぶと歩を進める。
「あんなに手、ぶんぶん降って、肩外したんだろ、店にも迷惑だろーが」
片手の入っていないコートを脱ぎながら佑介の向かい側に腰かける。
「おや、俺のこと心配なんだ~」
「くだらねーこと言ってないで、立て替えた入院費返せよ」
ちらりと一瞥し、冷ややかな態度で左手を差し出す。
「あ~それは、ちょっと…まだ」
「解ってるよ。期待してない…」
佑介が握り返そうとする手を引っ込める。
「仕事、ホントに首になんぞ」
冷ややかな目を向ける。
「今日は非番なんだよ、ちょうど」
ニヤニヤと頬杖を突きながら真実を見据える。
「チキンカレー頼んどいたぞ」
「なんで?」
「だってお前カレー好きだろ?」
「スキじゃない」
「へ? だっていつも食ってんじゃーん」
頬杖の手を外し、指をさす。真実はその指を睨みつけ「指すな」と言い放ち、
「これから帰って寝るだけなのに、そんな元気になるような食いモン…」
食べるかよ…言い終わらないうちに佑介に遮られる。
「え? そうなの?」
「いらっしゃいませ」
いつもの店員が水を持ってやってきた。
「たまごサンド…卵焼きのやつ…。それとソイラテ」
「かしこまりました」
「なんだ、それ、新しいな」
真実の行動のひとつひとつを楽し気に拾い上げる佑介。その様子はまるで新しいおもちゃにワクワクする子どものようだ。
「うーるせーなー。黙ってろよ」
変わりないその様子がうっとうしい真実。
「なんだ卵焼きのやつって」
「卵焼きのサンドウィッチだよ」
「へぇ~。それ、俺にもくれ」
「子どもかよ。お前は食えねーよ」
「なんで」
「甘焼きだから」
「うぇ…じゃ俺、お前のチキンカレーでいいや」
頼んどいてよかった~…と負け惜しみよろしく得意げに腕を組み、
「やらねーよ」
と、これまたしたり顔の佑介。
「いらねーよ」
こちらは当然の返し。
(バカか…)
「そんで?」
「あ?」
「今日はなにしに来た…?」
背もたれにけだるそうに体を預け、待ち伏せの理由を尋ねる。
「昨日『貸しだ』っていったろ?」
「だから無視せず来てやった。さっさと要件を言え」
「あ、あぁ…」
惚れた弱みか単なる癖か、拒否されると必死に食らいつくわりに、こちらが受け身になると途端に逃げ腰になる。
「なぁ真実。結婚しようぜ」
突飛なセリフに、ゆっくりと瞬きをし「寝ぼけてんのか?」と返す。
「いや、起きてる」
「そうじゃなくて…」
「な、結婚しよう」
「ふざけるな」
「やっぱり、好きなやつがいるのか~」
先日真実の義妹の〈麻琴(まこと)〉に吹き込まれたという理由からか、気がかりなのはなんとなく理解できる。だが、そもそもなぜ「拒まれているのか」という根本的なところが佑介の頭の中から省略されている。
「いるよ」
根が単純な佑介を相手にまどろっこしいやり取りは「無駄」だと知っている真実は、場を濁すよりも直球を投げた方が話が早く済むと判断した。
「そうか…。え!?」
「なんだよ、いちゃおかしいか」
「え~?」
「声がデカいよ」
「いや。…いやいやいや。えぇ!?」
「うるせーなー」
「それは、男か?」
言われて一瞬の沈黙のあと、
「…女だよ」
正直に答えてみる。
「ふ~ん…」
腕組みをして考えるしぐさの佑介。だが、
「あぁ!? だれだよ、玲か」
「でかい声出すな! おまえはなんかあると玲だな」
「玲は、昔から、俺のライバルだからな」
「なんだよ、それ」
「じゃだれだ? いや、いい。…てか、女ならいいじゃん。俺と結婚しても」
「よくないよ」
「なんでだよ、玲じゃないなら勝ち目はある。俺のことそこまで嫌いじゃないだろ」
「嫌いだよ」
「俺は好きだ」
「どうだか…」
「いや。大丈夫だ」
「なにが」
「おまえが女好きでも、女とは結婚できねーじゃん。俺はとはできる」
「あのなぁ…」
頭を抱える真実。
「そういうカップルいるじゃんか」
(どうしたらそういう考えになる…?)
「バカなの?」
「ここ最近で一番賢いこと言ったぞ」
「しらねーよ。てか、普通そう言われたら、もっと違うだろ?」
呆れすぎてため息も出やしない。
「なにが」
「気持ちわりーとか、嘘だろとか、もっと違うこと言うもんじゃないのか? 普通」
「普通は女好きにならないのか?」
「は?」
「今はいろんなことがまかり通る世の中だ。別に気持ち悪くねーし。お前が俺に嘘ついてなんの得がある。それに、女なら、別に構わない。男に負けたわけじゃないし、ケンカする必要もない」
言い返せない。
(こいつは、あたしなら怪獣でもいいのか…?)
「意味わかんね」
言い返せないことに腹が立つ上、ここ最近で一番「佑介が解らない」と思う真実だった。
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まだまだ未熟者ですが、夢に向かって邁進します