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【大人の読書感想文】今の自分から見える世界をつづる①〜僕はイエローでホワイトでちょっとブルー〜

みなさんご無沙汰しております。
帰国後は何かと忙しい、人道支援家のTaichiroSatoです。

パレスチナに行く前、飛行機で読もうと思って持っていった「僕はイエローでホワイトでちょっとブルー」

3ヶ月の時を経て、日本で読み始め、日本で読み終えました。この本からしたら、色んな国に行けていい経験になったかな。

さて、日本に帰ってくると、いつもものすごい勢いで本を読む傾向にあります。海外では日本語の本は手に入らないので、ここぞとばかりに読みます。
そして本を読み、沢山の人の考え方に触れることができて、本から学ばせてもらい、考えるんだけど、せっかくnoteを始めたので感じたことを書いてみようかと思います。
大人の読書感想文ってやつを、自分の視点からそのまま文字におこしてみます。

本の内容については、皆さんにぜひ本を読んでほしいので、書かないようにしますね。

「僕はイエローでホワイトでちょっとブルー」を読んで

東洋人としての自分
まず最初に考えるのは、僕が日本人として、東洋人として、現地コミュニティ(ここでは、派遣先に当たる中東地域を主に指す)に入り現地の人達から見られること。現地の彼らは主には東洋人として、彼らのイメージから僕を見る。僕らが、ヨーロッパの人たちや中東の人たちを見たときに、どこの国の人か、判別が難しいのと同じように、彼らも日本人なのか、中国人なのか、東洋人間の違いはわからない。

海外、特にヨーロッパ、アフリカ、中東のコミュニティに一人東洋人が入るということ。これは良くも悪くもいろんなチャレンジや理不尽に触れることになる。

子どもたちは、「ニーハオ!」
女子高生達は、「アニョハセヨ」(韓国ドラマが大人気)
大人たちは、それぞれに好きなことを言うが、外見が違うということ、その場所で圧倒的なマイノリティになることは、注目を浴びることであり、珍しいものを見るように、とにかくどこに行っても目立ち声をかけられるものだ。
残念ながら、僕には理解できない様な呼ばれ方をすることもあるが、ここで僕が言いたいことは、この国が悪い、偏見だ、と言いたいのではなくて、そーゆーイメージを持つ何かが必ず背景にある、ということだ。

ニュースで流れるアジアの話、おじいさんお父さんが持つその時代のアジアのイメージを伝えられる子どもたち。
それが、その地域の中でのアジアのイメージを作る。
国際的な団体で働いていると理解のある人もたくさんいる反面、一歩団体を離れ道を歩けば、そこには一人のアジア人がいる、という事実しか残らない。
これは、圧倒的なマイノリティになったことがある人にしか、もしかしたらわからないかもしれないが、慣れないと不安になるものだ。

僕の仕事は、人種的なマイノリティの中(それを活用して、とも言える)現地で活動をするわけだが、マイノリティが故に困難に直面することもたくさんある。
みなさんも、日本人のコミュニティ中で普段働いてるとして、そこに一人違う国の人が、ポン、と入ってきたとしたら、なかなかのインパクトがあるのは想像がつくことかと思う。
先日、日本語を習得し今は日本で看護師として働いているインドネシア人の友達にあって話したが、コミュニティに入っていく大変さ、周りから見られるということと、わかっていても消すことのできないイメージ(悪く言うと偏見だろうか)や異文化を乗り越えていく彼の努力は、うんうん、と自分のことのように聞いていた。

ナショナリティ、人種
僕自身のナショナリティについて。本に登場する息子さんのナショナリティについての葛藤やのみこみ方は、日本人の両親を持つ自分にはないのかもしれない。
交通が劇的に発達し、国際化が進んだ近代100年で人種の交わりも今はまで以上に進んでいるのだと思う。

日本でも「ハーフ」と呼ばれる、両親の国籍が違う子供(本書でもハーフの呼び方については疑問を投げかけている)がいるように、陸繋がりの国々、多国籍の国々では当たり前のように父母の国籍が違う子供たちがいる。
今後、混血ブラジル型と呼ばれる人種が圧倒的多数になると書いている本もある。
更に世代が進み、日本的に表現するとハーフのハーフ、クォーター、もっともっと複雑化していくことは間違いないだろう。

今でも純血思想の人たちはいるし、彼らの考え方も尊重するわけなのだが、今後世代が進むに連れて、混血の割合が増え、マジョリティが逆転することになるときが来るのかもしれない。

自分か、他人か、
自国か、他国か、

日本的に外の国から来た人たちを「外国人」と呼ぶが、僕は海外で働いているときはこの「外国人」になるわけである。
陸繋がりの国々は、外からの人の区別も日本人とは少し違った感覚を持っているのだが、
そもそも、
自分たちか、それ以外の誰か、
として2つに分けるということが、もう難しくなってきているのではないだろうか。

アメリカと日本の両親を持ちオーストラリアに住む人と、フランスに生まれ育ちながら別々の国からの移民の両親を持つ人。
少し飛躍するが、LGBT(僕はたくさんの友達がいるので、彼らを応援している)をマイノリティとして一つにくくってみたり、人は何かとグループに分けることが好きなのかもしれない。

もちろん、制度上くくらないと難しい部分などもあるから、理解はできるのだが、ここで言いたいのは、自分たちかそれ以外か、そもそも自分たちってなんだろうか。どうくくろうというのか、ということである。
僕自身のあり方、心の中にある考え方として、
世界は、ここからここまで、とくくれるほど単純ではない。もっともっと複雑で、分けることなんてできないように思う。

どこの国で生まれ育ったか、
両親はどこの国の人か、
自分のナショナリティとは、
何を信じるか、

時代と共にどんどんと複雑化していく世界を

僕はシンプルにみたい。

誰かをどこかに当てはめて考えることなく

目の前の人を一人の人として。

それで充分な気がする。


人種や国の違いというだけで、争いのもとになったり、
それによって傷つく人が、今後一人でも減るように。
自分以外の誰かを理解しようとする人が
一人でも増えたらいいな。

そんなことを考えた、本だった。

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また次回お会いしましょう。
Best,
Tai

2022年4月より

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