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【泉谷閑示】「普通がいい」という病【読書感想文】

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この本は「私たちはみんな他の人とは違うツノを持って生まれてきた」という文章で始まります。

ツノというのは自分らしさ、個性を持っているということです。

普通はいいことだと思いこんでいる

広辞苑によると普通とは「広く一般的であること、多くに当てはまること」だと書かれています。

つまり、普通とは人数の多い多数派のことで、普通じゃないというのは人数の少ない「少数派」という意味になります。

多くの人は、少数派の人を「浮いている」とか「あの人は変わり者だ」といって排除しようとします。

これは普通が良いことで、普通じゃないことはダメなことだと勘違いしているからにほかなりません。

人は周りから浮かないように「普通」になろうとする

自分らしく生きていた人も、何度も周りから「浮いている」とか「あの人は変わり者だ」と言われると、「変な人」だと思われないために個性を隠して「普通」になろうとします。

そうすると、自分らしく生きられなくなり、息苦しくなり、ストレスが溜まってしまいます。

本来、心と体はつながっているから、人間は心のままに「したいこと」「やりたいこと」をやろうとします。

子供は心のままに行動をしている子供がうつ病になることはないわけです。

しかし、大人になるとほとんどの人は世間一般にいう「普通」にならなきゃいけないと思い込み、心ではなく頭で考え始めるわけです。

頭は理性です。直ぐに頭で「普通はこうすべきじゃない」と思い込むようになります。

特に現代人は頭でばかり物事を考えていて、心のしたいや、やりたいにまったく従っていません。

心と体が頭の奴隷になっている状態です。

そうやって頭で考えて自分の「したいこと」「やりたいこと」を無視し続けるから、うつ病になったり適応障害になってしまいます。

メンタルが病む人は、心の声を無視して、頭で物事を考え続ける人になります。

頭ではなく心に従ってみる

「普通」というのは「多数派」というだけであって、良いも悪いもないわけです。

わざわざ自分を押し殺してまで普通になろうとする必要はないわけです。

私たちは幼い頃から学校や親から徹底的に合理的な考え方を叩き込まれた結果です。

「普通はそんなことはしない」「誰とでも仲良くすべき」「好き嫌いするな」とか言われてきませんでしたか?

つまり私たちは大人になるにつれて、心ではなく頭で考えなさいと教え込まれてきたわけです。

その結果、私たちは頭が心よりも偉いと思いこんでしまっています。

だから、心ではなく頭で考えてしまうくせがついています。

不眠は心を無視した結果

不眠症は心のままに「やりたいこと」をやらなかったからです。

つまり今日1日好きなこと、やりたいことを全然やれていないから満足して眠ることができないわけです。

もし、心から自分らしい1日を過ごせたら、まるで遊び疲れた子供のように心地よい疲れてを感じ心おきなく眠れるはずです。

不眠やうつ病は頭でばかり考えて、自分の心を無視し続けた代償です。

嫌なことは嫌だと言っていい

まず怒りや嫉妬、嫌いなどのネガティブな感情に素直になることです。

私たちは感情を出すときに、まず最初に「怒り」や「哀しみ」の感情が出てきます。
そして、その後に「喜び」や「楽しい」という感情がやってきます。

人間関係でも好きな人も嫌いな人がいますよね。
それならまず「嫌い」とか「イライラする」という感情に素直になったほうがいいわけです。

そこで「怒り」や「哀しみ」の感情を吐き出すために、イライラをノートに書いて、発散するのが良いわけです。

本当に楽しむためにはまずは嫌いや怒りに素直にならなければいけないわけです。

あと無理に嫌いな人と付き合わないということも大切になります。

孤独になりたくないから自分を隠して普通を選ぶ

実はなんでみんな「普通がいい」と思い込んでいると「孤独になりたくない」からです。

つまり、普通を選んでおけば同じ人が多いから安心するわけです。

だが「普通」を選べば孤独にならないというのは間違っています。

私たちは一人ひとり違う人間です。であれば、みんなと同じ道を歩き、みんなと同じ職業になるはずがない。

なのに孤独なりたくないから自分を偽って、「普通」になろうとしているわけです。

寂しいからみんなと同じものを選んでいるわけです。だが、それだと孤独は消えません。

自分の個性を発揮して生きている人は、自分のやっていることに没頭できるから孤独がつらくないし、本当に価値観の合うともだちができるようになります。

我慢して生きている人は、自分らしく生きている人を叩く

自分の個性を隠して、やりたいことをせずに「普通」を選んできた人は、自分のしたいことができないため鬱憤が溜まってきます。

なにせ普通というのは多くの人がいる道ですが、自分のしたいように生きられないから窮屈です。

毎日窮屈な思いをしている人は、周りの人にも「普段はこうすべき」というのを強要するようになります。

そういう人たちは「自分らしく生きている少数派の人たち」をみるとすごくイライラするわけです。

人を叩くのは、心から自分のしたいことができていないサインということになります。

本当に幸せな人は他人をバッシングすることはない。もし自分が誰かを叩いているのであれば、それは自分らしく生きられていない証拠です。

自分が心から幸せじゃないと、他人を幸せにはできない

誰かに何かをしてあげるとき、まず自分が心の底から満たされていなければ、本当に人のために何かをすることはできないわけです。

もし自分の心が満たされていないのに関わらず、他の誰かの心を満たそうとすると、相手の行動次第で怒り狂うことになります。

自分が満たされていないときには、必ず見返りを求めてしまうからです。

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