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公共とは?

先日、『ニューヨーク公共図書館』という映画を観てきました。


https://www.iwanami-hall.com/


こちらの図書館の運営資金は、民間の寄付と市の予算で成り立っていて、来年入ってくる資金が今年の運営次第で、どうなっているかわからない状態なので、市と市民のニーズを、社会情勢を読み取って図書館としてどう在るべきかを、常に考え続ける必要性があるが故に、ほんとうに今必要なことを議論や対話を通じて、今じぶんたちにできることを1つ1つ決めていく様が描かれている。


そしてその中でどうしても映像の中から見えてくるのは、アメリカ社会が抱える人種による差別と格差の現実であった。

図書館を運営するのは、議論の場にはやはり白人の方が多く、図書館の福祉の取り組みの利用者には、白人以外の人種の方が多い。

日本でも人種で、人種でなくても、置かれた環境によって手に入る情報や体験に差が出ることがあり、その積み重ねで、人々の、その子ども達の差が著しいというのは問題で、それを補うのが公共(public)の役割だ。


だが、その塩梅が難しい。

誰に、何を、どのくらい、どのように、補うか?


おそらくどれだけ考えても正解も完成形もない。


だけれどそれを皆がじぶんの街で、地域で自分事として考える。
わたしにとっての公共(public)とは何か?と。

この映画が三時間を超える映画で、様々な場所で、様々な人達が悩み、苦しみ、それでも前に進む映像が淡々と続いていたのは、おそらく公共(public)とは各人が考え続けることでしか成り立たないのだという、歩みを止めるな、終わりはない、というメッセージなのではないかと映画から感じられた。


図書館には図書館の役割があるように、各人の今、あるいはなりたいもの、得意なことはそれぞれ違って、でもそれぞれ違うことで補えあえることがある、と。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
考え続けること、変わり続けることが大切なのは、公共(public)だけではないとは思います、いろんなことで大切ですよね。

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