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話すことでわかる、ほんとう

Instagramをある程度やるとじぶんが繰り返し撮るものの存在に気付くことがある。


僕の場合は、「エルメス銀座」。

もちろんエルメスの常連というわけではない。


なぜ撮りたくなってしまうかと言えば、つい最近までエルメスはこのように見事に見えなかったからだ。



それがソニービルが解体され、ソニーパークが地下を活かす形の施設になったため、小道に入らなければ見れず、光の当たらなかったエルメスに光が当たるようになった。

そこで陽の目を浴びたこのエルメスの建物のデザインがイカしてて、好き。
そう思っていた。


でも先日Instagramのフォロワーの方から、なぜエルメスの写真よくあげてるんですか?
と聞かれ、話していると僕はエルメスのデザイン自体も好きではあるが、どうやらソニーパークをリスペクトしているようだった。


銀座の一等地。経済的な観点から見れば、高く建てて人やお店に貸す、自分たちで使うにしても広く高く建てたくなるものなはずだ、そうした方が当然使える空間が広くなるからだ。

しかしソニーパークは地上を平らにした。
地上は建てません、と話したときの反対意見は多かったはずだが、見事に地球のように、植物だけになった。

おそらく銀座のこのエリアを俯瞰して見たときに自分たちが建てるビル以上に、「エルメスが見える銀座」が銀座の街としての美しさ、そしてエルメスの建物をデザインした人への敬意、のように感じられ、かつ経済的な面から見ても建てないというのは難しいはずなのに、それを形にしてしまった。

そしてそれはそこに何のためにあるのか?
と問われれば、思いやデザイン、美しさの為だ。

僕は実はそこにしびれていた。
銀座を訪れるたびに、せっせとエルメスの写真を撮り、Instagramに投稿しているときは気付いていなかった。


話しているなかで話している本人すら思いもよらぬ、じぶんのほんとうに気付けた、会話の化学反応のスゴさを感じた体験でした。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
文章もそういうことあるよね、一人だけど。





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