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二度と会うことができなくなってしまった人たち

季節ごとに無性に観たくなってしまう映画というのは1つ2やつ誰しもが持っているものだろう。

私ならばかなりミーハーだが、間違いなくアニメ版「時をかける少女」だ。
なんともキラキラとした高校生活と若者の疾走感が描かれており、ビジュアルもいかにも’夏’という爽やかな雰囲気がある。
作品のような甘酸っぱくて爽やかな高校生活を過ごせていなかった私は、以前はまともに直視できなかったが、最近になってようやく楽しんで観れるようになってきた。

「時をかける少女」は皆さんもご存知の通り、映画版第1作は1983年、原作版である連載小説は1965年に発表されている。
そして、若干シリーズ化されており、定期的に映画化されたり、テレビドラマ化されたりもしている。

私はアニメ版と仲里依紗が主演を務めている映画版の2作品しか観たことないが、
この2つに共通して言えるのは、「永遠の別れ」である。
どちらの作品でもヒロインの少女は恋に落ちた少年と悲劇的な別れ方を迎えてしまう。

アニメ版「時をかける少女」では最後にヒロインである真琴に千昭が「未来で待ってる」という言葉を残して消えてしまう。
待ってる、という言葉を言うくらいだから、遠い未来、いつか会えるのではないか、と思える気もするが、私はこれが永遠の別れの言葉にも思えた。
そもそも千昭がきた世界ははるか未来の世界。
そして、千昭は二度と現代に戻って来れないようにされてしまった。
夢の無い意見かもしれないが、真琴と千昭が再開できる可能性はどんなに優しい言葉でさえも気休めにならないくらい0に近いのかもしれない。

さて、’別れの言葉’と言えば’またね’と言ったきりもう会えなくなってしまった人が私には大勢いる。
別にその人たちが死んでしまったわけでは無い。音信不通になってしまったのだ。

特に私なんかは大学に現時点で5年在学しており、しかもそのうち1年半近く海外に滞在していたために、身近な友人と急に会うことができなくなってしまったことが非常に多い。
風の噂で誰々が大学を辞めた、なんかを聞いてそれを境にSNSの更新なんかが
パッタリと止んでしまったりして、消息がわからなくなったりしているのだ。

つい先日、たまたま高校時代に仲の良かった友人に連絡を取りたくなって久々にラインの友達一覧から彼女の名前を探した。
しかし、どんなに探しても見つからない。
しょうがなくフェイスブック、インスタ、ツイッターなど繋がりがあったもの全てを探し尽くしたが全く見つからない。というかアカウントが削除されていた。
つまり、突如私の目の前から彼女は姿を消したのだ。

多分、この先歳を重ねるごとに、突如として誰かに会えなくなる現象はもっと増えて行くのだろう。
それこそ真琴と千昭が急に自分たちではどうしよもできない何かよって引き裂かれてしまったみたいに。

だからこそ今ある人との繋がりをちょっとでも大事にしてみよう、なんか思い始めたりしている。
でも、そんなことをしたって誰か自分の前からいきなり姿を消してしまうことなんかいくらでもあるのだろうけど。

それこそ今年が’平成最後の夏’と言われているが、
今年が私が誰か友人なんかと会って、とりとめないことをいつでも話せる関係性でいられた、’最後の夏’であるのかもしれない。

’Time waits for no one(歳月人を待たず)’という言葉が劇中に出てくる。
時は常に過ぎ去っていき、過ぎてしまった時間には二度と戻れない。
将来、二度と会えなくなってしまう人が増えることを悲観するよりは、
今会える人たちを大事にして、今を楽しむ方がいい。時間は待ってくれない
今年の夏は仲の良い友人にたくさん会って、今を楽しみ、生きていく。
ビール片手に、平成最後の夏にぴったりな「時をかける少女」を見ながら。

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