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アイルランドと黒ビールと差別

昔、アイルランドに住んでたことがある。
コークというアイルランドの南部に位置する
第二都市にいた。

第二都市といっても日本の大阪のような規模の都市ではなく、
せいぜい名古屋、いや、それよりもはるかに小さい、
何にもないところだ。

アイルランドは天気が悪く、
一日中小雨が降る、鬱々とした、
外にいるだけでどんどん悲しい気持ちになる街だった。

何もないといったが、何故だかパブだけは大量にあった。
そして、天気も悪いといったらパブで酒を飲むくらいしか
やることがない。

アイルランドにいるときは勉強はほぼせずに、
学校が終われば仲の良い友人と
毎日のように酒を飲みにパブに行っていた。

ちなみにアイルランドの酒といえば黒ビールだ。
ギネスビールは日本でも有名だろう。

しかし、コークのパブではギネスビールはあんまり人気がない。
何故ならギネスビールは首都のダブリン原産のビール。
ダブリンと仲があんまり良くないコークでは
ギネスは敵性アルコールのような扱いをされる時がままあった。

かわりに、コークではビーミッシュという黒ビールが主流であった。
このビールはコーク原産のビールである。
ビーミッシュはギネスに比べて黒ビール特有の焦げ臭い苦味が少なく、
ギネスをどっしりとした濃厚なエスプレッソだとするならば、
ビーミッシュはアメリカンのような、
さっぱりとしていて苦味の少ない黒ビールであった。

さて、ビールの話は置いといて、
私が気に入っていたパブ(私の友人たちはみなお気に入りのパブがあった)
の一つに、’Hi-B’というパブがあった。

このパブ、一癖あるパブであり、
’スマホ禁止’
という張り紙があちらこちらに貼られていたのだ。

噂によると、店の店主は大のテクノロジー嫌いであるとのことだ。

店内は、新聞か本、話し相手がいないと
暇を持て余してしまうようなところだった。
壁にはたくさんのモノクロ写真が貼り付けられ、
シンプルな年季の入った木製の机が数脚。
無駄な装飾がなく、少し殺風景で、
パブというよりは、小さな教室ような雰囲気であった。

また、’スマホ禁止’と釘打っているだけに、
そのパブ一角だけが時代に取り残されているかのような、
ノスタルジックな何かを感じられずにはいられなかった。

もちろん客も、時代に取り残されているような初老の人間ばかり。

大抵、ヨーロッパにあるこのような雰囲気のパブというのは
非常に排他的であったりする。
特に私のようなアジア人が入店した際は、
明らかに悪意のある視線で、じろじろと舐め回すように見られ、
よそ者は早く帰れ、という雰囲気を感じずにはいられない。

しかし、この’Hi-B’では、というかコークでは
このような事象は一度たりともなかった。

皆、私のことを何も気にしないような、
あたかも私がそこにいるのが当たり前であるかのような
雰囲気であった。

ちなみに’Hi-B’にいる客たちは私の良い英語の先生でもあった。

大抵友人たちと飲んでいると話しかけられ、
どこから来たんだ、どれくらいコークにいるんだ、という話題から
会話がスタートする。
ネイティブと話す機会というのは実はあんまり多くなかったりするので
いい英語の勉強になった。

そして、決まってギネスかビーミッシュはどちらが好きかと聞かれ、
もちろんビーミッシュと答えれば嬉しそうな顔で一杯おごってくれるのだ。
疎外感、というものは全く感じず、
暖かく歓迎されている、というのがひしひしと伝わってきていた。

アイルランド人は白人ながら長く差別されていた歴史がある。
つい 100年ちょっと前まで、イギリスの植民地であり、
いまだに北アイルランドの領土問題があったりと、その傷は深い。

’誰かに虐げられて生きてきた’
こそ
'誰かを虐げないで生きていく'
ということができるのではないのか。

時代に取り残されたパブの中で、
酒で顔が赤くなった初老のアイルランド人たち囲まれ、

’コークにようこそ、乾杯’

こう言われてビーミッシュを一杯渡される光景は
スマホの写真では切り取り取れなくて、
自分の頭の中にあるアナログカメラで撮影された
モノクロ写真になって、
暖かい一瞬として大切に頭の片隅に保管されている。


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