[短編小説]満たされない症候群

どうすれば満たされるのだろう。充分わかっているつもりでも体が頭と同じように反応してくれるとは限らない。

僕は大学を卒業後、東京に出てきてとある大手企業に就職することができ、現在も細々とその仕事を続けている。上京して3年目。収入も貯金も不満がない程度になってきた頃だ。

信号が青に変わり車を走らせた。今は付き合って2年になる彼女の家に向かう途中だ。ラジオからは流行りのJPOPが流れている。この頃はお笑いも、音楽も、映画も、分かりやすい、僕の言葉で表現すると「ちゃっちい」もので溢れている気がする。なんだか、「お前らはセンスがないんだからこれくらいレベルを落とさないと理解できないだろう」と言われてる気がして腹がたつ。

ポケットから携帯を取り出し、「もう着くよ!」とLINEを送った。いつからだろうか、LINEを送るのに昔のようにドキドキしなくなった。なんだか恋人というより家族という表現の方が近い。かつてのドキドキと刺激 が時たま恋しくはなるが浮気する勇気も別れる理由もない。ただ恋愛には、波に揺られるクラゲのように抵抗せず、自然に身を任せてきた。お互いが求めあっている内は、まだこの波に揺られていたいと思う。白のトヨタの軽からは流行りのJPOPが流れていた。「ちゃっちい」音楽は彼女からの「了解!」の通知音をかき消した。

 僕の周りは物で満たされている。テレビを始めとした電化製品にインターネット、ファッションに趣味のスノボーセットまで必需品だけでなく欲しいものも僕は手に入れた。1人1台スマートフォンを持てる時代なんて誰が想像しただろうか。どうして僕たちは現状に不満を漏らすのだろう。僕たちは常に満たされない。お腹いっぱいご飯を食べても、またすぐにお腹が空くように、常に欲望にハングリーだ。僕はこれを「満たされない症候群」と呼んでいる。これは人間の向上心の副作用で、タチの悪い病気だ。この病気にかかった人間はまず、これから何を買おうが満たされるのはほんのひと時で、水分を求めるミイラのようにまた新しいものを求める。そしてこれは他人と比較して相対的にどちらが裕福かどうかで満たされる度合いが変化する。加えて比較する対象は身近な人である。例えば、昔の人より裕福でも、アフリカの人たちより贅沢な暮らしができてても幸福を感じないである。あ〜、江戸時代の人間より交通が便利だ!幸せ!なんて普段から感じる人はまあいないだろう。この病気の治療薬は今持ってるものへの感謝の気持ちしかない。それでもって現状に満足せず、上を目指す気持ちも忘れてはいけない。神は人間を複雑に作り過ぎた。1度絡まった糸はほぐすことができないように、僕たちはありとあらゆる場面でシーソーゲームのようにバランスをとり続けるしかない。

「久しぶり、奈緒子。」「遅い!」「悪い、会うのに緊張してお腹壊してた。」「嘘つき。」僕たちも日々シーソーゲームを繰り返す。

 窓から漏れた眩しい朝日が僕の目を刺した。眠い目をこすり起き上がる。横には奈緒子が気持ちよさそうに寝ている。昨夜は一緒にご飯を作り、映画を見て、ベットに潜り込んだ。その時間だけは日々の絡まりあった複雑な糸は解け、綺麗な一本の線となって2人を繋いだ。僕はラジオでJAZZをかけ、眠っている奈緒子の頬ににキスをした。奈緒子が「満足?」と目を瞑りながら呟いた。僕は静かに目を閉じ答えた。「 うん。」

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