見出し画像

【観劇レポ】僕は島民になれるか? ミュージカル「カムフロムアウェイ」その4

ミュージカル「カムフロムアウェイ」の感想レポ、とうとう第4弾。

今回は作品から受け取ったメッセージ編。僕の文章力と記憶力が乏しいのもありますが、どれだけ書いても書ききれないですが、100分間に詰まったあれこれを、いつも以上に好き勝手に書いております。もはや「観劇レポ」ではないような…というのは心のうちに秘めて。

僕はこの作品を、ノンフィクションに近いけれどもあくまでエンタメ作品として観ており、その前提で書いていますが、宗教や政治(実際に起こったテロ)に関する思想に触れるところもあるかもしれません。
ただ、ここで僕の政治的思想等々をひけらかすつもりはないという旨だけ最初にお断りしておきます。

乗客の皆様へご案内

その1(全体編)、その2(キャスト編)、その3(楽曲・シーン編)はこちら。


祈りを

特定の宗教を信じているわけではない僕にとって、宗教は歴史の授業での知識程度しか理解できていないですが、この作品を観て思ったのは、「祈り」という行為の神秘性の裏にある日常性、あるいは普遍性。

信じるものは違えど、日々欠かさず祈りを捧げるという行為は、信じるものへの敬意であると同時に、彼らにとっては生活の一部であり、自分を形成するアイデンティティの一部でもある。
例えが適切でないかもしれませんが、祈りは顔を洗ったり、歯を磨いたり、夜は眠ったりということと近いのかもしれないし、「祈りを捧げない」ということが生きるうえで想定できないくらい、人生そのものになっているのかもしれない。

様々な宗教を信じる人たちが集う「Player」の場面。緊急事態にあっても、静かに祈ることができる環境があることで、どれだけの乗客が救われたのだろう。
ニューファンドランドの人たちは一生懸命にカムフロムアウェイズをもてなしますが、やはり不安や恐怖を完全に拭えるわけではない。その中で、信じる神の存在を確かめるという意味での祈りの機会は、文字通りの「救い」になったと信じたいし、その祈る行為への敬意は、ビューラやアネットがアリにそうしたように、最大限払われるものであってほしい。たとえ異なる神を信じていたとしても。

声を

2001年、当時はまだ全員が携帯電話を持っているわけではないし、ましてやスマホなんて存在しない世界。飛行機に閉じ込められた人たちが何より欲したのは、「愛する人たちの声」でした。

やっと何人かの電話が使え、家族に連絡を取れた時の表情は、筆舌に尽くしがたい。仕事上の責務を優先することに徹するビバリーですらも、夫の声を聞けたときの安堵は大きなものでした。ダイアンやケビンJもそうです。そして皆が家族の声を聞く中、一向に息子と連絡が取れないハンナの辛さが一層深く感じる。

僕は、あまり電話は得意でない(他の手段で足りるならそれでいい)のですが、「声」がもつ力を感じるのも事実。今でこそ連絡手段は数あり、チャットやメールが主流になっても、電話が人の世から消えることはない気がします。

ひとを繋げるもの

ガースとムフムザ夫妻は、言語は通じずとも聖書によってコミュニケーションを取ることに成功します。そうやって俺達は同じ言葉を喋り始めた、と。
笑顔は言語を超えたコミュニケーションと言われますが、国や民族を超えて信奉されている宗教(特に三大宗教)というものもまた、言語を超えた意思疎通の手段になりうる。

またビューラとハンナは、消防士の息子を持つという共通点だけでなく、ジョークによって心を通わせます。奇しくもジョークは、ハンナの息子も大好きなもの。共通点で仲良くなるというと当たり前かもしれませんが、不安と心配で押しつぶされそうなハンナの心の拠り所になりました。

ニックとダイアンは、一見共通点があるようには見えず、接触回数による親密度という側面もありそうですが、自分の人生にどこか空虚さを感じている共通点があります。
仕事ばかり、出張ばかりのうえ、特に会社から心配されることもないニック。夫と別れ、息子もある程度成長した今、これからどう生きようかと迷いがあるダイアン。二人が第二の人生を歩むのに必要なパートナーとして、互いを引き寄せたのかもしれません。

アリとビューラは、料理を通じて親交を深めます。もっと言うと、料理というより異文化を知ろうとする気持ちや探究心・好奇心なのかもしれませんが、白い目で見られ続けるアリにとって、ビューラの親切で分け隔てない態度がどれほどありがたかっただろうと思うと目頭が熱くなる。アリがキッチンに迎えられるところは一瞬のシーンですが、常に固い表情をしているアリが顔を綻ばせる瞬間でした。

ひとを別つもの

この作品でスパイス的な位置づけにいるのがムスリムのアリの存在。テロとの関連性から、ムスリムに対する風当たりは強く、緊張感が漂うシーンも多い。「Player」で彼がお祈りをする時に向けられる視線、「On The Edge」であからさまに誹謗中傷を受けるシーンなど。

差別はいけない、みんな仲良くわかり合おう。

言うのは簡単だけど、この緊迫した状況で、この正しく清い考えを言葉に、行動にできる人がどれだけいるだろうか。例えば、日本のある地域で外国人が殺人事件を起こしました、犯人は逃走中って言われたときに、外国人とすれ違ったら、彼らに対して僕らはどんな目をしているだろう。

みんな違ってみんないい。それはそうなんだけども、「違うこと」は時に「恐怖」につながることもあり、その恐怖は差別的対応や、そこまではなくとも遠ざけたり、関わりを持たないようにしたり、という行動に人を走らせる。

それでもなお、人の良心を信じることができれば。酷な一面もエッセンスとして取り入れつつ、あくまでこの作品は「人の可能性」にフォーカスしていると思う。思いたい。

ひとを育むもの

決して穏やかとは言えない気候・環境の島、ニューファンドランド。その島で育った人たちは、手を取り合って強く生きることがDNAに刻まれている。

一方ニューヨーク育ちのボブ。決して油断してはいけない、決してヘマをやらかしてはいけない。一度誤れば、背中から銃で撃たれる。そんな世界が彼の世界。

どっちが良い悪いではなく、その人が生まれ育った環境は、人格・行動・思考に強く影響するんだなと言うのがわかる。でも同時に、ボブがそうであったように、それは絶対に不変というわけでもない。環境が変われば、異なる文化と触れあえば、人はこうも変わることもできる。環境が人を育て、環境が人を変える

また新米リポーターのジャニスは、作品を通じて困難に立ち向かいながら成長していく様が描かれます。命や心の健康を脅かすほどの困難までは不要かもしれないけれど、人として成長するにあたっては、一定の困難や壁も必要。そしてそのために、正解などわからなくても、今自分ができることを精一杯やることも

裏表の人生

この作品は、テロを背景にしながらも基本的にハートウォーミングなストーリー。あくまで人の温かさが表にはでていますが、テロの恐怖や悲しみも忘れ去られているわけではありません。

皮肉と言うべきか、人生はこういうものと言うべきなのか、この凄惨なテロはあってほしくないものである一方、このテロがなければ生まれなかった絆や出会いも確かにある。
後に夫婦となるニックとダイアンはこのテロがなければ出会わなかっただろうし、ビューラとハンナも生涯の友になりえなかった。ジャニスもリポーターとして注目されることはなかっただろうし、ケビンTとロビンも出会わなかったはず。

あのテロがあったから、ニューヨークは炎に包まれたし、ハンナは息子を亡くしたし、ケビンカップルは別れることになるし、やはり悲しい出来事はなかったことにはできないけれども、良いことと悪いことは紙一重の裏表の関係なんだということも事実なんだと思う。

人生こんなもんと言うのは簡単ですが、そうではなくて、悲しみから目を背けず、かつそれでもなお得られたものに目を向けることも大事なのかも。

女性の人生

終盤の「Me And The Sky」では、ビバリーがアメリカンエアラインの初の女性機長として歩んできた人生が語られます。第二次大戦時代の男性パイロットが幅を利かせる時代。女はお茶でも入れてこいと言われながらも、自身の夢に向かってキャリアを積んできた。

この曲は数少ないソロ曲で、一人の人物にスポットをあてた曲。お祭り騒ぎの「Screech In」の次に披露されることもあって、ストーリー全体の中でも唐突感を感じる人もいそうな曲。アフタートークでの吉原光夫さんによると、その唐突感は意図的なものだそうで、「それだけ女性のキャリアは突然の出来事に阻まれる」ということだそう。

ジェンダーの話をするのは難しい面もありますが、そして「突然」という言葉が適切かはわからないけども、妊娠・出産といったライフイベント、女性の社会進出、働き方改革、自分だけではどうしようもない生物としてのタイミングや社会の流れによって、描いていた人生ビジョンから外れることもある。これは男性も少なからずそうだけれども、特に女性はこうした局面に立ち向かわざるを得ない機会が多いのかもしれない。

ビバリーだけでなく、ダイアンにも似た要素を感じます。彼女は「妻」「母」の役割を終えた自分のこれからを見つめ直すことになりますが、逆に言うと、今までは「妻」なり「母」なりの女性としての役割を果たしてきた、果たさざるを得なかったとも捉えられる。

また細かいですが、アネットとビューラが資材を集める際、生理用品や赤ちゃん用品の必要性がナチュラルに思い浮かぶというところでは、男性であるオズは戸惑ってしまいます。動物のために奔走するボニーの行動力もですが、いざと言う時の女性の力強さも、この作品での一つの大事なテーマなのかもしれません。

火花と爆炎

前段と同じ「Me And The Sky」では、ビバリーが8歳で飛行機に魅了され、生涯飛び続けることを決めたという一節があります。

飛行機を見て、心がスパークした。そんな出会いを得ることができる人は、もしかしたら希少なのかもしれません。でも大きい小さいはあれど、誰にでも心がスパークするような出会いがあると信じたいし、それを人生の糧とできることがどれだけ幸せなことかを噛み締めたいとも思います。
動物を愛するボニーや、料理を生業とするアリも、それが彼らをスパークさせたものなのかも。

ビバリーが旧世代の男性たち、あるいは同性の同調圧力にも屈せずに夢を叶えたのは、ビバリーがすごい人だというのではなく、誰にでも起こりえる、起こしえることだとも思いたい。
彼女の想いは、ただ愛を語るだけではなく、人命を預かるパイロットとしての責任にも繋がっています。

一方、この曲のラストでは、「愛する飛行機が使われた 爆弾に…」という彼女の怒りと哀しみを凝縮した一節もあります。大好きなものが、殺人兵器に使われた。彼女の心をスパークさせたものが、あろうことか現実で多くの人々を爆散させた。これほどショックなことはありません。

このテロをきっかけに飛行機の各種ルールも厳しくなっていったのですよね。作中では最後にビバリーが一瞬言及するだけですが、愛する飛行機を二度と爆弾にさせないために、飛行機が恐怖の象徴ではなく、新たな出会いや夢を実現するものであるように。

ありのまま

作中でゲイのカップルとして登場するケビンカップル。この時代におけるアメリカ、あるいはカナダや欧米諸国での性的マイノリティの立ち位置は不勉強なのですが、少なくともケビンカップルは決してオープンにはしていないようでした(ダイアンにはすぐ察されたようですが)。

バーで意図せず自分たちがゲイだと言ってしまったケビンJは、「ヤバいぃぃ…」と萎縮してしまいますが、「ああ、うちの娘もゲイなんだ」「ご近所の奥さんも親友と駆け落ちしたのよ」「親戚のおじさんはこの年になって自分がバイだと知ったんだよ」と、あっさり受け入れられます。

厳密には、「娘がゲイ」というのは「娘はマイノリティ」なのか、「娘も男性が好き」という意味なのか分かりませんが、少なくともあの場にいた人たちにとって、性的志向はいい意味で「そんなもん」という感じなのかもしれません。

田舎=保守的というイメージもありますが、必ずしもそういうわけではない(寛容だから先進的ってこともないけど)。ありのままをありのままに受け入れる。性的マイノリティに関わらず、「違い」に共通するスタンスが、作品の一つのメッセージとして表れていると思います。

いきている

ボニーが奔走する動物たちの保護。人命優先となる中で、動物愛護協会のボニーはまず動物たちに思いを致して行動する。

少し前に、「飛行機でペットは貨物扱いであるべきか」というのが騒がれました。その答えを僕は持ち合わせていないけど、ボニーは検疫に引っかからないようにあくまで飛行機内で、できる限りの手当をする。彼女は動物を優先に考えてはいて、夫にあたりが強かったり、立入禁止の貨物エリアに入ったりはするけれど、人やルールを闇雲に蔑ろにしているわけではないようにも思います。

「動物の命と人の命は平等」と言うのは簡単。そのためにどうすればいいのかを考えることが大事なのかな。

ここにいる

一曲目、フィナーレ、そしてハンナのソロなど、作中で度々登場する「あなたはここにいる」というメッセージ。

場面やキャラクターによって、その言葉に含まれる感情や背景は様々。
本来いるべき場所に自分がいないという絶望(ハンナやケビンJ)。愛する家族に居場所を伝えることができる安心感(多くの乗客)。何にも縛られず新たな一歩を踏み出せる場所にいる解放感(ダイアン)。今日も自分がやりたいことをすることができる充実感(ジャニス)。

帰りの飛行機で乗客たちは、「心の一部を置いてきた」と歌う。それはビバリーとトムが地図にピンをさすように。

予期せぬ着陸であったとしても、自ら足を運んだ旅行だとしても、訪れた地に僕らは心の一部を置いていくのかもしれない。そしてそれは僕らの人生の轍になる。それが積み重なって、今「ここ」にいる。
それは現地で触れ合った人の心にも「置かれる」。そうして「そこ」にいる人たちにとっても、人生の轍として刻まれる。彼らもまた、そうして今、「ここ」にいる。「ここ」が交差する。

あなたも同じことしただろう

突如として島の人口に匹敵する7000人の乗客を受け入れたニューファンドランドの島民たち。戸惑いこそすれ、彼らは自分の家族や友人をもてなすように、カムフロムアウェイズに衣食住をこれでもかというくらいに提供します。この5日間で、島民は痩せていったが、カムフロムアウェイズは太っていったそう。

緊急事態において、人にやさしくできるか。困っている人を前に、小さなことでもできることを行動として発揮できるか。

決して気候が穏やかとは言えないニューファンドランドで、助け合って生きてきた島の人達にとって、それは「普通」のこととして語られるのですが、果たして同じような状況になったとき、自分も同じようにできるだろうか。

ニューファンドランドはテロで直接的に被害を受けたわけではないので、「自分たちも大変な中で更に大変な人たちを助けた」というような、お涙頂戴な美談ではない。でも、自己犠牲的な献身ではないからこそ、島の人達が困っているカムフロムアウェイズを放っておくなんてことはせず、進んでもてなした事実が、そしてそれを「あなたたちも同じようにしたでしょう」と言えるしなやかな強かさが、観客の心に温かい風を届かせるのだと思うのです。

キャストのインタビューなどでも触れられている通り、僕ら日本人にとっては震災のときの対応が思い浮かぶかもしれません。もちろん、人災であるテロと天災とは別物ですが、自分の身近にある経験と重ねることでメッセージが伝わっていくというのも、観劇の醍醐味だと思う。

さてしかし、この作品は観客に「いい話だね」とほっこりさせて終わるのではない。ラストのシーンで、キャストが指を地面に向け、「ここにあなたはいます」と歌う。その時観客に、今あなたはここにいて、この物語を目撃したはずだということを突きつける。傍観者ではなく、この劇場でこのストーリーを体験したあなたも、当事者なのだと示される。「あなたも同じようにしたでしょう」の「あなた」は、観客自身であることを

あくまで人の可能性を信じているこの作品。

「Screech In」では、タラとキスをしてスクリーチを飲んで名誉島民になることができる。これは儀礼的な伝統だけれども、この歌の最後には「これであなたも島の民」と歌われる。観ている我々観客も、島民になれたかのような高揚感を味わえるシーン。

でも、「島の民」を少し概念的に捉えるとすれば。
ニューファンドランドの民が大事にしているマインドを、この作品を観た人間は感じることができたか。それを行動に移し、あなたも「島民になる」ことができるか。タラにキスをするのではなく、隣の人に優しさを与えることができているか。
あの大団円の中で、実はこんなことを伝えているのではないかとも思うのです。

総括

100分間ノンストップ、そして緻密に細かく練られた演出により、怒涛のように上演される本作。そんなスピード感のある作品でも、作品のメッセージまで流されずに心にちゃんと届くというのが、この作品のすばらしいところだと思う。

それは12人+スタンバイのキャストの力ももちろんですし、翻訳・訳詞の日本語、メロディ、総合的にそう組み立てられているのだとも思います。

群像劇なので、僕が書いたこと以外にも、あんなことやこんなことを受け取ったという方もいると思いますが、やっぱりコアなメッセージは「人の温かさ(を信じている)」ということだと思いますし、それは一貫して描かれているテーマです。

テロの是非とか、アメリカに対する評価、中東の情勢、色んなことも背景にはあるし、この作品もあくまで一部を切り取ったものだと思いますが、僕はこの物語はミュージカル作品として「真実の物語」を語っていると思う。
なにより、真実がどうとかではなく、僕はこの作品が好き。ただそれだけです。

僕自身はどちらかと言うと性悪説に立ちがちな人ですが、人の優しさ・温かさを、もう少し信じてもいいんじゃないかと思えたし、ニューファンドランドの人たちのように、手を差し伸べることを厭わない人でありたいとも思います。

このすばらしい作品を、母国語で味わえるということはこの上ない幸せです。


…ということで、4回に及ぶ観劇レポ(というか最早ファンレター)でした。こんだけ書いておいて、まだ書き足りない、もっと書き足そうと思っている自分が怖い。

そしてもし偉い人に少しでも届くなら声を大にして言いたい。
円盤化が無理なら、ほんまに誠に心からせめて、音源化だけでも!!お願いします!!布教しようよカムフロムアウェイ!!日本初演の伝説!!

ミッキー「あの皆が待ちかねているあれ〜」
ミッキー&テリー「うーん。音源さ〜」
乗客(そわそわ…そわそわ…)
ミッキー「出す準備ができたら出してくれる」

脳内ガンダー

ボニー「観客には音源は売られてるわけ?」
ダグ「ボニー!偉い人の周りには警官やら軍隊やらがたっくさんいて…」
ボニー「じゃあ音源を出すことね!!」
ダグ「ボニー?ボニー!」

脳内ガンダー

ドローレス「すみませーん!音源がほしいのー…カムフロムアウェイロスなのよ!」
ケビンJ「すみませーん精神安定剤飲むぅ?あんたがパニくってると僕もパニクるし…全員音源欲しがっちまうんだよっ!」

脳内ガンダー

管制官「はい権利関係が厳しいのは承知しました、承知しましたがこれは日本初演の伝説作品なんです今すぐ音源化しなさい!」

脳内ガンダー

アリ「お、おんげんとぅ…?」
ビューラ「音源と!円盤!」
アリ「ビューラさん…本当に音源化してはいけませんか…?!」

脳内ガンダー

ニック「すみません、お隣よろしいですか?後ろの席で音源化音源化とみんな騒いでまして…」
ダイアン「ええ、どうぞ」

脳内ガンダー

ビューラ「その前に…どれだけ音源化してほしいか聞かせてー!……」
ハンナ「なんてバカな妄想…もっと聞かせて?」

脳内ガンダー

アネット「ごめんビューラ、こどもたちどう?」
ビューラ「大して元気じゃないわ、こんなすばらしい作品なのに映像化されないんだもの。だから私、音源化しましょうって言った!こどもたちは大喜び。権利関係とか色々厳しいって言うまでは!」

脳内ガンダー

ご覧の通り、僕の脳内ガンダーが暴走し始める前に、どうか音源だけでも(血眼)。

カムフロムアウェイ、LOVE!!

この記事が参加している募集

おすすめミュージカル

舞台感想

おすすめミュージカル

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?