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メンヘラの生き残りのための兵法。仮  作戦第二


孫子 作戦編第二は、メンヘラをメインに書くのは難しい感じだけど、少し広げて、当事者だけでなく、関係者や医療に関わる人も含めた視点も入れてみます。



孫子曰く、戦いにおいて、快速戦車1000輌、輸送車1000輌、武装兵10万を千里の遠くに遠征させ、これに糧秣を送れば、国の内外での軍費、外交費用、武具の膠や漆の購入費、 武装兵や馬を養う費用などのために、1日に1000金を必要とする。10万の軍を動かすにはこれだけの出費が必要なのである。

よって戦で勝っても長期戦になれば、兵力を弱め士気を衰えさせ、城を攻めれば戦力を消耗させる。
また軍を長い間、軍を戦場におけば、国費は不足する。
兵力を鈍らせ、士気を衰えさせ、戦力を使い果たし、国庫を窮乏させれば、諸侯はこの疲弊につけこみ、軍を起こして叛き、たとえ有能な臣がいても収めきれない。

それ故、戦いは速やかに戦って勝利をおさめることは聞いても、長くかかって、よい結果を得たためしがない。
まして長期戦になって国に利益をもたらしたということは、例が無い。
故に兵を用いる危険を知らない者は、兵を用いて利益を得ることを知ることが出来ないのである。

一度心が病むと、それだけ、心身だけでなく、経済面・生活面も、疲弊します。

また長期化すると、医療者も当然に疲弊します。

違う視点から見ると、、、当事者が、治療に関して、「負荷の大きい治療・社会復帰策」を取るのは、それだけ前の準備やある程度の治療・復帰への過程を経てないと、困難である。と言えます。

他の観点から言うと、「治療・社会復帰」に関しては、情報・当事者の心身の健康度やスタミナ、環境整備や、適切な時期とうの、綿密な調整や治療が大事になるので、容易な判断で行うってのは危険が伴うことも考量すべきなのです。


善く兵を用いる者は、二度と徴兵せず、糧秣を三度も戦地に送らず、軍費は本国で調達するが、糧秣は敵地で調達する。
ゆえに糧秣に不足することはない。

戦争で国が貧しくなるのは、遠征して輸送距離が遠くなるからである。
輸送距離が遠くなれば民は貧窮する。
軍の付近にいる者は足もとを見て、品物を高く売る。
高く売るので軍費は増大して、民は困窮する。
民の財が尽きれば労役に駆り立てられる。
力が屈し、国家の財は欠乏し、民の財は空になる。民はその財産の七割を失う。国家は破損した戦車、疲労した馬、甲冑、弓矢、大型矛、大楯、役牛、荷車などの補修のため、 国費の六割を失う。
故に智将はつとめて敵国の食糧によって軍を養う。
敵国の食糧1鐘はわが国の20鐘の価値があり、敵国の馬糧1石はわが国の20石に相当する。

余りに「高遠」な目標を求めると、それまでが大変で消耗しつすことも多々ある。

また、治療には、当事者も時間や経済力・人間関係を消耗していくのだ。

その辺を周囲の人や、医療関係者はみてないといけない。

「病は治りました。でも時間がかかって社会復帰しても・・」て自死してしまうなり自棄になって犯罪に走ることもあるし。生活が崩壊して待っているのですよ・・・病は治っても・・
癌の治療で顕著なように
「病は治っても、身体が持たずに死んでしまった」
みたいなことが、現代医療には多いです。

また、どうも日本の医療思想がそれを容認しているようなところもありま
す。
当事者や当事者を大切に思う家族・周囲はその辺の「落とし穴」に警戒が必要です。


敵を圧倒するには敵愾心が必要である。
敵の利を取るためにはその財貨を奪うことである。
戦車戦にて戦車10乗を奪ったら、真っ先にその者を表彰し、捕獲戦車の旗印を味方の物に代えて戦列に加え、敵の兵をよく待遇してそのまま使う。
これこそ敵に勝って、さらに戦力を増す方法である。

戦いは勝つことが大切であるが、勝っても長引いてはいけないのである。
速戦即決が戦いの要諦であることを知る将は、国民の生死、国家の安危を担うことのできる者である。

病を「敵」とだけみて叩き潰しても、それでは予後・社会復帰後が、大変になります。
その過程で学びや自己の生き方の改善をして「敵の利を取る」のです。


まあ速戦即決が治療・社会復帰で一番ありがたいが、メンヘラはそれは「考慮せずに戦う」ことに直結しやすいので、勧めはしないけど。
その治療や復帰の要を知ることが、当事者が人生の主役になる事であり、その周囲の関係者や医療者も、病からその自分の主体性を奪還することが可能になるのです。



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前の「始計編」 ほど、旨くメンヘラのための知恵を書けたとは思えませんが、なんらかの役に立てば幸いです。


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