考えりゃ、儒学とかの思想は、正しかった。


より

上記文抜粋
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じつに、わかりやすい…!結局「正義や世の中の常識」は、身体的性質や生物学的構造に依存していた「衝撃の事実」


累計43万部を突破し、ベストセラーとなっている脳研究者・池谷裕二さんによる脳講義シリーズ。このたび、『進化しすぎた脳』『単純な脳、複雑な「私」』(講談社ブルーバックス)に続き、15年ぶりとなるシリーズ最新作『夢を叶えるために脳はある』(講談社)が刊行され、早くも話題となっている。

なぜ僕らは脳を持ち、何のために生きているのか。脳科学が最後に辿り着く予想外の結論、そしてタイトルに込められた「本当の意味」とはーー。

高校生に向けておこなわれた脳講義をもとにつくられた本書から、その一部をご紹介しよう。


議論を追求するむずかしさ、結論の曖昧性

いま君らとやり取りしている対話において、僕のやり方は、君らの揚げ足をとっているだけで、日常的な会話では、あまり褒められた態度ではない。

ではなぜ、僕がこうして君らに冷や水を浴びせ、あえて人を不快にさせる言い様をとっているかというと、どんなに些細な話題でも、その対象は決して単純なものではなく、一筋縄には議論を進められないということを知ってほしかったからだ。

ひねくれた禅問答を繰り広げてみることで、議論一つを追求することのむずかしさ、得られる結論の曖昧性を君らに知ってほしかったんだ。

宇宙人の倫理観、ヒトの倫理観

たとえば、僕らの社会では、殺人はもちろん、他人に暴力を振るって怪我をさせることも刑法上罪だ。つまり、暴力は「悪」ということになっている。でも、想像してみてほしい。もし宇宙人がいて、その社会がどんな具合かを。

その宇宙人は、驚いたことに、痛覚神経系を持っていない。痛みを感じない。あくまでも仮定の話ね。しかも、皮膚や組織の再生能力が抜群に秀でていて、怪我をしてもあっという間に回復できる。ということは、怪我をしても損失はないし、心理的な不快感もない。そんなスーパー宇宙人が住む社会だったら、暴力は悪だろうか。

ー考えたこともなかった……。傷つけあっても悪害ではない。

暴力による不利益がないんだったら、悪であるとは言えないよね。もしかしたら暴力を振るう人もいないのかもしれない。だって、暴力は脅迫にも威嚇にもならないから。

ところが、その宇宙人は、耳の鼓膜が敏感で、ちょっとした音量で損傷してしまう。そういう身体を持っていたら、おそらく、大きな声を出すのは、悪になる。きっと刑法上の罪に指定されるだろう。もちろんカラオケは禁止だ。実質的な危害を食らわせているからね。

倫理観は、ヒトの身体的性質や生物学的構造に依存している

もうわかったよね。正しさとか善といった僕らの倫理観は、ヒトの身体的性質や生物学的構造に大きく依存している。
つまり、人間とはなんだろう、生命とはなんだろう、生きているとはなんだろう、という根本的な議論抜きに、社会の常識や正義は語れない。だから、自分が常識だと思い込んでいることを、一旦疑ってみよう、あるいは、保留をつけてみよう、というのが、いま僕が君らとの対話のなかで試みたことだ。

これからの連続講義でも、ときおりそうした論法が顔を出すことになる。「常識」という殻から抜け出すためにね。それは、ときに不快かもしれないけれど、でも、もし不快に感じたら、それは、それほど「常識」が自分を大きく支配していることの裏返しでもある。

一見素っ頓狂な議論を通じて、「生物」の原理の本質は一体どこに根ざしているのか、僕らが感じているこの「現実」の正体とは一体なんなのか……。そんな疑問に、脳の観点、生物学の観点から接近してゆきたい。それが、これから始まる3日間の連続講義だ。いま君らに問うてきた難題についても、実は、僕なりの答えがある。それをチャンスをうかがいながら披露してゆきたい。

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抜粋終わり

もうわかったよね。正しさとか善といった僕らの倫理観は、ヒトの身体的性質や生物学的構造に大きく依存している。

これをもっと洗練された言い方をすると、

「仁義礼智信」が、世界の法則・・・ て話。中医学・漢方でも五行論をもって、そういうこというしね。

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