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もう何も疑うな

5月はイタリアに行っていた。
僕はイタリアに行くのは初めてで、ローマに2日ほど滞在し、1週間を友人が住んでいるフィレンツェで過ごした。

イタリアは子供の頃から何だか惹かれる土地だった。
20代の時にもなぜかフィレンツェに移住を考えていたけれど、決心が付かずニューヨークに留まっていた。

だからやっと行けた土地だった。
けれど本当はタイミングから何から全てが完璧だった。
イタリアではのんびり過ごせたけれど、自分の深い部分を浄化してくれるようなことがいくつかあったから。
このタイミングで行けたことをありがたく感じている。
ニューヨークに戻って来て、まるで生まれ変わったかのように気分がガラリと変った。

ローマにて


イタリアは、行く前から実は何かがある予感がしていた。
だから出発前には行くことへの必要性のようなものを感じていた。
頭は今世での過去しか知らないから、イタリアが自分とどんな関わりがあるのかは教えてくれないけれど。

イタリアに行く数週間前に、僕はインターネットでとある写真に出会った。
趣のある佇まいのレストラン。
映画のセットみたいで素敵だなと思って、クリックしてみたらローマにあるレストランとのこと。
ローマには行く予定にしていたので、折角なのでそのレストランに行ってみようと思っていた。
レストランがローマのどの地区にあるかなど全く調べもしなかった。

ローマにて

ローマの宿泊先には早朝に到着した。
時差ボケでとりあえず昼頃まで眠った。
それから起きて準備して、フラフラと街を探索し始めた。
地図は見なかった。
ただ何となく、地図なしでも歩ける気がしたから。

ローマはとにかく建築物が素敵だった。
だから僕はそこら中の建築物の写真を撮りながら歩いていた。
「これも素敵だな、あれも素敵だな~」みたいな感じで。
そうやって素敵さを辿りながらローマの街をゆっくり歩いていた。

そうすると、とても雰囲気の良い光景が視界に入ってきた。

「あっ!」


Cucina del Teatro
すみません
これはPinterestのスクショです


そう、それは僕がイタリアに出発する前にネットで出会っていた例のレストランだった。
予期していなかったことに心が湧いた。
ローマ中にどれだけのレストランがあるだろう。
しかも場所も調べずに、行きたかったレストランに何の努力もなしに辿り着けた。
例えばネットで知り合って好き同士になった人と「この日東京で偶然会ってみよう」と言って、場所も調べず、何のテクノロジーも使わず、その人に出会える確率ってどのくらいだろう。
頭で考えるとそんなことを思う。

でも僕は何だか自然なことのように感じた。
まず知らせを受けて、それが三次元的に目の前に現れてくれた。
気分良く過ごしていれば、素敵さとただつながる。
そういうシンプルさ。
あえて何か意味を付けるならば、「もう何も疑うな」と言われている気がしたことだった。

自分が感じていること。
受け取っていること。
起こっていること。
起こったこと。
アーティストとして表現していること。
そのどれもを疑うな、と。

つづく
もう何も疑うな Part.2

太陽

僕が訪れたレストランはCucina del Teatroというカジュアルに素敵なダイニングを楽しめるところ。レストランの横には階段があるのですが、以前はそこを上がったところに劇場があったそう。レストランの名前もそこから来ているのですね。

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