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(小説)笈の花かご #34

13章  君が袖振る(2)

モクレン館の自室にて

(何やら落ち着かない)
モクレン館の自室に戻り、何度も思い返した。
(私の名前を呼び、手を振ってくれた人がいる。今までそんな事があったかしら)

若い頃、好きで額田王ぬかたのおおきみを学んだ。
今は高齢になってしまったイチョウ。
(肝心の額田王ぬかたのおおきみに袖を振った人が、何という天皇だったか? 曖昧……)
袖振る場面は、アリアリと思い浮かべられる、しかし歌の詳細はどうも不確か。どうしても袖振る君が、誰であったか、思い出せない。

そこで、手持ちの電子辞書で【額田王】を調べる事にした。

こうして、ヨシキタ PTのお手振りが、イチョウを万葉の世界へといざなう事になった。

イチョウが記憶の迷路へ入り込みます。
(たいへん長い話になりますので、こちらは次の章にて #35 )




まずは気になる 翌週の火曜リハの話から

フロアのアシスタントに指示されて、イチョウは、施術台に仰臥ぎょうがして待っていた。いつまで経ってもヨシキタPTは来ない。
しびれを切らし、イチョウは、普段は次のメニューであるバイクマシンでもしようと隣へ向かうとトウダPTがいた。
「ヨシキタ先生にホゥラレタァ*」
施術室に誰も来てくれなかったと伝えると、
「ヨシキタ先生は休みや」
と大阪弁で返答された。代行のPTがトチっていた。

(大阪ではこんな日をさんりんぼうと言う、今日はまさにさんりんぼう、ふぅー)
しかたなしにイチョウは、他のPTの施術を受け、シオシオと、モクレン館に帰って行った。

(*放られた、スッポカされた)


更に翌週の火曜日、リハビリ

(まさかまさか……)
彼の声は独特でよく響く。リハビリフロアに、ヨシキタPTの気配がない。
(きっと入院病棟から順に廻っているのね)
イチョウが待ちに待っていると、
またしてもトウダPT。目が笑っている。
「ヨシキタ先生はお休みや」
と知らせて来た。
ヨシキタPTの家の都合で、2週間、火曜が公休のシフトになっていると教えてくれた。

入院棟2階からのあのお手振りは、
「ごめん、ごめん」
のお詫びの  君が手を振る だったとイチョウは知った。結局、ヨシキタPTと再会出来たのは3週間後。


野守は見ずや

4月の下旬、イチョウは、またまたザワザワ病院へヨタヨタやって来た。
出張受付のヒラカワ職員が笑顔で、
「おはようございます。今日は、ヨシキタ先生、おいでです」
と出迎えた。そして、
「今日、わたくしは11時に失礼します」
と、誠に丁寧な挨拶まであった。

(ヒラカワさんは、私が、ヨシキタPTのファンとわかっている。お手振りまで知っているかしら。ちょっと恥ずかしい……)

あかねさす 紫野行むらさきのゆ標野行しめのゆき 野守のもりは見ずや きみ袖振そでふ

イチョウの中にまたあの句が浮かんだ。
出張受付のヒラカワ職員は、イチョウにとって、額田王ぬかたのおおきみの歌の、紫野むらさきの野守のもりとなった。

イチョウがリハビリを終え、玄関に戻って来ると、既にヒラカワ職員の姿はなく、出張受付の記入台も消えていた。
しかし、廊下の壁際に、ヒラカワ職員の心尽くしのパイプ椅子が1脚ポツンと置いてあった。
そこは、タクシーが入って来るのが見えるエリアで、ゆっくりと座って待てる。


次の話は、迷路へ入り込む話。長い万葉の世界が続きます。

→(小説)笈の花かご #35
14章  万葉の世界へようこそ(1) へ続く


(小説)笈の花かご #34 13章  君が袖振る(2)
をお読みいただきましてありがとうございました
2023年10月21日#1 連載開始
著:田嶋 静  Tajima Shizuka
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