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平成スクールバックアーカイブ

高校生活という青春時代をともにするだけあって、卒業する頃にはくたびれた状態になる「スクールバッグ」も、時代とともにさまざまな流行の変化があった。現代ではスクールバッグ以外にリュック派もいたりと多様化やカジュアル化が進んでいるが、まだまだ「スクバ」の流行は存在するみたいだ。

指定がある学校ならしぶしぶ使うしかないスクールバッグだが、流行のアイテムとして見たときのスクバに対するあこがれは、いつの時代も計り知れないものがある。

規定のスクールバッグの金額よりはるかに高くなっても欲してしまうのはなぜなのだろう。

今回はスクールバッグについて、90年代前半のブランドブームから同年代後半の有名校バッグブーム、そして00年代まで、現代の流行とともに振り返ってみたいと思う。

▪90年代前半、90年代後半、00年代までのスクバの歴史


平成の女子高生といえばルーズソックをアイコンにした90年代後半の印象が強いが、歴史を振り返ると女子高校が流行をけん引し始めた、所謂「女子高生ブーム」が生まれたのは1993年あたりから。このときから「コギャル」という呼称はすでに存在していた。

必須アイテムであるスクールバッグも、たかがバッグと言えないほど流行スタイルが様変わりしていくのがわかる。

「女子高生ブーム」初期ともいえる90年代前半は、バブル期の時代の流れもあり「エスプリ」の大きいトートバッグや「GUESS」の大きいトートバッグ、「エルベシャプリエ」が人気だった。カジュアル派も「L.L.Bean」のリュックなど、いずれにしてもややブランド志向なのが時代を感じる。

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※1993年プチセブンno.4・5  /  小学館
92年、93年の女子高生特集は常に「エスプリ」と「GUESS」が人気だった。

写真・私物のコレクション。かなり大きいサイズの「エスプリ」「GUESS」のトート。耐久性で考えるとあまり良くないが、当時は大人気だった。

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またショップバッグを持つ平成の女子高生の定番のスタイルも、この頃から「ムラサキ・スポーツ」や「バハマパーティ」「ラブラドール・リトリーバー」などの人気ブランドを筆頭に定着していった。

90年代中期から後半にかけては雑誌やストリートが熱を帯び始め、女子高生たちもより「女子高生」であることの価値を意識し始めた時代だったと私は思う。スクールバッグはこの辺りから、有名校のものを持つのが流行したり、ポスカでタギングや落書きを書いたりといった特徴がみられる。

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※1994年プチセブンno.23 / 小学館

※1994年プチセブンno.23 / 小学館
エスプリトートの人気からたった2年でスクバの流行もだいぶ変化した。意外にも「サーフブランドのシール」や「タギング」もこの頃から。皆のスクバへの愛着がうかがえる。

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女子高生にとってスクールバッグのそれ自体が、自身の「価値や個性」を定めるアイコン的なポジションにまで登り詰めたのだ。

そして、95年辺りからジワジワと人気だった他校のスクバは1997年頃になると、今度は「有名校のスクールバッグ」へと様変わりし、「有名校のスクールバッグ」は一気に人気になり始めた。現代で言うメルカリのようなフリマアプリがない時代にも関わらず、本物のブランドバッグ同様の値段で取引されていたぐらいだった。

この有名校スクールバッグブームの背景にはファッション誌「東京ストリートニュース」や「POPteen」などの人気読者モデルの存在がひと役買っている。

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写真・私物のコレクション。一番人気は昭和第一高校だったが、法政二高や他にも人気の高校が多数あった。「有名校のスクールバッグ」に関しては、各学校や地域によって人気の順位付けも多少変わっていたと思う。

※1997年Popteen10月号 / 角川春樹事務所

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2000年代に入ると、女子高生ポジションの価値は十分あれど、過剰なまでの90年代の「女子高生ブーム」は過ぎ去り、徐々に時代の空気は変わり始めた。

00年代初めは90年代後半の先輩たちの影響を少なからず受けてか、昭和第一高校や法政二高など有名高校のスクールバックの人気も健在。

その一方で、2003年頃から「イーストボーイ」のスクールバッグや都立片倉高校の「ワールドペガサス」の流行など、今までとはまた違った雰囲気になる。

またそれまで少しスレた雰囲気だった制服の着こなしも、「清楚ギャル」という言葉の登場からルーズソックスが紺ハイソに変わり、リボンの付け方から見直しが入った。

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写真・私物コレクション。まだまだ「有名校のスクールバッグ」は人気だが00年代に入って「ワールドペガサス」と「イーストボーイ」が仲間入りした。

※2003年Cawail!11月号 / 主婦の友社
似たり寄ったりのスクバだったが、通称「ワッペ」こと「ワールドペガサス」はカラー展開も含めてポップなのが印象的だ。

※2003年Seventeen4月1日号 / 集英社

※2003年Seventeen4月1日号 / 集英社
90年代にはどちらかというと、「真面目」な印象が強かったEAS BOYが人気になる。STを始め、HARTA等コラボが多かった。

※2003年Cawail!11月号 / 主婦の友社
「清潔ギャル」という言葉が生まれた。この辺りから制服の着こなしも含めて徐々に変化していったように感じる。 

※写真・私物コレクション。品の良いこげ茶の「イーストボーイ」のスクバも00年代の印象がある。

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▪令和時代のライトな感覚と地方都市ブーム

そして平成の終わりが近づくとともに制服はカジュアル化が進んでいった。

以前ほど「制服」「女子高生」というアイコンにとらわれることがなくなり、またその考え方自体が古臭くなってきている。

スクールバッグのチョイスもまた然りで街中でよく見掛けるようになった「リュック派」に、その勢いを感じている人もいるかもしれない。

とりわけスクールバッグに関しては、東京の女子高生が「地方都市」の女子高生のスクールバッグを志向していると私は感じる。

▪スクールバックからみる「モノ」の価値観と女子高生らしさへの憧れ

良くも悪くも現代ではSNSを通じて皆がさまざまな意見を言いやすくなったし、またその声は届きやすくもなった。

制服に対する意見もさまざまな見直しをへて、今のスタイルにたどり着いた結果だと思う。

90年代のルーズソックや紺ハイソ、ラルフローレンのカーディガンなど女子高生を象徴する統一的なアイコンは排除され、学校の校則を除けば現代は「自由な選択肢」を得た時代になった。

この自由は大人が提示した「自由」ではなく、女子高生たち自身が自ら選択した「自由」だ。

スクールバッグも無理して他校のものを買い求めなくてもよく、着崩し・着こなしに関しても私の世代ほどの細かな「ドレスコード」もなくなった。

それを「ダサい」など咎める時代ではなくなり、平和な「平均化の自由」こそが現代だと感じる。そんな「自由な時代」の中、私が最近驚いたのは、今なお他校のスクールバッグに一定の人気があるということだ。

メルカリやオークションサイトを覗けば、まるで90年代のような「使い込んだスクールバッグ」が規定以上の値段で取引されていてほぼ売れ切れの状態だ。

手に入りにくくなればなるほど余計欲しくなるのは人間の性だが、そこに「スクールバッグ」がいまだ含まれているのが面白いところだ。

下の画像を見ると、横浜高校や「工大」こと東北工業大学高等学校など、東京でも地方の有名校のスクールバックに人気が集中している。この東京・地方の逆転も令和の新しい時代性を感じさせられる。

写真・私物のコレクション。90年代程ではなくとも「有名高校のスクールバック」の人気はまだ残っていた。近年では工大と横浜高校が人気。(私が知らないだけで他の学校もあるかも)またリュック派も増えた。

※メルカリのスクバ人気も相変わらず凄い。当時はメルカリがなかった為、知人を辿ってなんとかお願いして購入していたが現代は対面せずにアプリでサクッと購入出来るのことに驚いてしまう。

もうひとつ私が肌で感じている変化は、現代の女子高生たちの「90年代後半の女子高生のスタイル」への憧れだ。

私から見ると現代の制服は、先述の通り、大人たちの指摘もそれに対する反抗もない「平和な雰囲気」が魅力だと感じるのだが、10代の女の子たちと話をしていると「90年代の女子高生のあの自由な感じがうらやましい」という意見をたびたび耳にする。

90年代の女子高生たちがとらわれていた、執拗な「価値」や「ルール」から解放され現代は、制服カルチャーが一旦“ゼロリセット”された状態とも言えるのだが、…自分の過ごした青春時代と比べて改めて考えると少し不思議な感じがする。

そう思うと、ここから新たな価値やルールな産み出されるかもしれないし、令和の女子高生の「価値」や「ルール」がどのように変化していくのかとても楽しみになってしまうのだ。




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