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元文科省のキャリア官僚と考える、小難しくない教育改革のお話⑰

その1(病院生活よりも息苦しかった、僕の「小学校生活」)に続いて、「子どもの自殺をゼロにする」という夢と、「学校を、もっともっと『自由な場』にする」というビジョンをなぜ持つようになったのか、僕自身の原体験を記します。

【テレビの企画で、イジメを受けている中高生と対談して】

 僕は、2004年に文部科学省に入省しました。そして、入省9年目、教育改革の司令塔を担当していた時に、次のようなことがありました。
 当時部下だった後輩が、縁あって、テレビ番組に出演させてもらえることになったのです。この番組は、若者たちの「リアルな姿」に迫るドキュメンタリー番組で、約半年間にわたり、継続して、文部科学省の若手キャリア官僚の「素顔」を取材してくれました。
 彼に与えられたテーマは、「みんなが笑顔で通うことのできる、理想の学校を考えよう」というもの。このテーマについて、仕事とも関連付けつつ、省内の若手職員で議論したり、番組視聴者とインターネット上で議論したりもしながら、彼が考えを深めていく過程を追う、という構成でした。
 上記の通り、当時、彼と僕の仕事は、「教育改革の司令塔」。「第2期教育振興基本計画」という、日本全体の教育改革に関するグランドデザインを描くというのが、僕らの最大のミッションでした。

 そんなある日曜日、テレビ局のスタジオで収録がありました。彼から「一緒に来てください」と言われ、軽い気持ちで行ったのですが、実はこの日は、イジメを受けているor受けていた中学生や高校生が集まり、彼ら、彼女らと話をする、という収録だったのです。彼ら、彼女らの話は壮絶なものでした。どう声をかけたらよいのか悩みながら、「その時、相談できる友達はいなかったのかな?」と尋ねたその時です。その女の子は、次のように言いました。
 「ほとんどクラス全員から無視されていた中、1人だけ女の子が声をかけてくれたんです。『私はいつも味方だよ。力になるから何でも相談して』って。私は初めて親友ができたと思いました。その子と過ごす時間が多くなり、色々なことを彼女に打ち明けました。でも、ある時、ふと気付いたんです。私の秘密を、クラスのほとんどの子たちが知っていることに。親友だと思っていた子が、実はクラス中に言いふらしていたんです。その時、私は人を信じることをやめました」

 これを聞いて僕たちは、もう何と言うべきか、全く分からなくなりました。そんな中、ある子から「お二人は、いま、文部科学省でどんな仕事をしているんですか?」と聞かれました。後輩は「教育改革の仕事だよ。『これからの教育は、こういうふうにあるべきだ』っていう計画を作ってるんだ」と答えました。それに対して、その子がポツリ。「それによって、学校からイジメは無くなるんですか?」。僕たちは、何も答えることができませんでした。

 もちろん、この計画の中にも、「基本施策2 豊かな心の育成」として、「2-4 いじめ、暴力行為等の問題への取組の徹底」という項目があります。また、文部科学省として、イジメの問題に対して、計画を策定するだけではなくて、様々な対策を講じていますので、そうしたことを説明することもできました。しかし、僕はどうしてもそんな気にはなれませんでした。なぜなら、そういう次元ではない、もっと根本的なレベルでの、「価値観のズレ」のようなものを感じてしまったのです。

 第2期教育振興基本計画の筆頭施策は「確かな学力を身に付けるための教育内容・方法の充実」です。文部科学省をはじめとする教育行政としては、当然、「学校」は基本的には「学力を育む場」だと考えています。しかし、「この価値観と、同じ価値観を持っている子どもたちが、実際にはどれだけいるだろうか」と考えてしまいました。もちろん、「学力を育む場」としての学校を求めている子どもたちもいます。また、学校によって状況も大分異なります。しかし、この教育行政側の「単一の価値観」(「単一」と言うと言い過ぎなのかもしれませんが、少なくとも「過度に強調された価値観」)が、子どもたちと大人たちの間に、ズレや溝を生じさせていないだろうか。ともすると、子どもたちにとって「学校」を息苦しい存在にしてはいないだろうか。子どもたちにとっての「学校の価値観」というのは、もっと多様でよいのではないだろうか。そして、それを認めてあげられる学校でよいのではないだろうか。この時の僕は、僕自身が退院した後に小学校で感じた息苦しさを思い出しながら、こんな質問を自問自答していました。

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