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最高の別れ

「こんばんは。いかがお過ごしですか。」

またか、と思う。今度は半年振りになるだろうか。いや、もっとだな。

「飲みに寄っても大丈夫ですか?だめなら全然大丈夫です。」

逃げ道を作っているのは私のためでなく、自分のためなのだろう。決断をいつも人任せにして、責任を負いたくない彼らしさが文面から滲み出ている。それなのに私は彼に弱い。ふと浮かんだ恋人の顔をなかったことにして返信を打つ。

「こちらは大丈夫だよー。」

いつも応じてしまうのだが、人との縁なんていつどうなるか分からないものだから、切りたいと思わない縁はかろうじてでもとりあえず繋げておく、というのが私の持論だ。

30分程経ち、インターホンが鳴る。ドアを開けると、久しぶりに見た彼は髪が伸びていて、耳にはエスニックを思わせる奇抜な色のピアスが揺れている。顔立ちが少し大人になったように感じた。近所のスーパーで缶チューハイをたくさん買って来た彼は、まるで頻繁に会っているかのような雰囲気で冷蔵庫にそれらを入れ、当たり前のようにソファに座った。何だこれ、と思う。

「久しぶりだね。髪伸びた?」

「伸びたかもしれない。伸ばそうかと思ってるんですけど。」

「ピアス開けたの?」

「これは前から開いてたんですけど。してなかっただけで。」

いつものように当たり障りない会話が始まる。それから大学を無事卒業できるようになったこと、今度就く仕事のことを話す彼を見ていて、出会ってもうすぐ2年が経つことを実感している。大人になると2年なんて歳をとるだけで何も変わらないが、学生の2年というのはこんなにも変化するものだったなあ、なんて思い出している。私が22歳の頃は不安しかなかった。親元に帰ることをなんとなく止めて1人暮らしを継続したが、なぜ知らない土地に残って働かないといけないのか、自分で下した選択を後悔ばかりして泣いたりした。社会人になれば自分が思い立った時にいくらでも方向転換ができるのに、それはとてつもなく大きな決断で、そこに辿り着くまでの数年は果てしなく遠いものに感じていた。今思えば本当に大したことではなく、あの頃の自分に会えたら大丈夫だよ、と言って抱きしめたいのだけど。彼の話を聞きながらそんなことを考えていて、久しぶりに会った彼の呑むスピードが早かったことを思い出す。私もついついお酒が進んでいることに気付く。もう頭はぼわっとしていて酔いが回っている。

「あの時は・・・」

彼が言いかけたことを制すように、すかさず言う。

「もう遅いよー。」

「遅いの・・・?」

「そう。私たちはやっぱり歳が違い過ぎたんだよ。」

「・・・」

「あなたはこれからたくさんの人に出会って、色んなことを経験すると思うんだよね。」

そんなことを言った気もするが、正直酔っていて覚えていない。その後は2人とも眠ってしまって、朝になって別れた。結局彼の気持ちを聞けなかった。自分がそれをさせないようにしたんだけど。でも言わない彼に少し苛立っている。どうして私は彼に対しては腹を立ててしまうんだろう。核心的なことにいつも触れたがらないのは、若さからきているだけとは思えない。幼さを理由にして逃げているだけだ。そんな風に思う。

数日後に再び突然やって来た彼は、少し飲んでいたようでテンションがいつもより高い。いつもは私にあまり興味がなさそうだけど、その日は何かと聞いてきた。昔住んでいた街の話、22歳の頃の話、今の話。私も楽しくなって、2人が好きなくるりの曲をかけた。愉快なピーナッツが流れてくる。

さっきは一瞬だったけれど 僕たちはうまくいきそうだった

こんなに考えてるんだけど 全然答えが出てこない

「え?どうしたの?」

「いや・・・こんなにいい曲だったかなと思って。」

そう言う彼の小さな目からは、どんどん涙が溢れてきている。涙が止まらず泣きじゃくる彼を見て、こんなに感情が動く人だったんだと初めて知る。私たちはまだお互いのことをよく知らないんだと思う。知ろうとしただろうか。この曲は、彼と待ち合わせている時によく聴いていた曲だ。もちろんそれを話したことはない。そして彼と別れた日のことを思い出している。あの日、私は1人部屋で大泣きした。それはもう嗚咽が漏れる程泣いて、頭から彼が離れるまでかなりの時間がかかった。それなのに忘れた頃にまた何もなかったかのように現れて、こうして身勝手に泣いている。そして太陽のブルースが流れ出す。

太陽は言った

今日までの日々は永遠じゃなくて

そう 一瞬だったさ

岸田が良い声で歌うものだから、つられて私も泣いてしまう。彼と出会った時のことや、一緒に行ったライブ、よく飲んだ店々。彼が言ったこと、私が言ってしまったこと。色んなことが思い出されて、昨日のことのように思い出せるものだと自分に感心する。でも時間が経っているようにも感じて、不思議な感覚に陥る。

歩いて戻っていった

来た道へ吸い込まれた

振り返れ 前はこっちだ

そう、全ては終わったことだ。それなのにこれまでのことも、たった今私たちに起こっているこの出来事も、全てが美しいのだから悔しくなる。結局私たちは、色んなことを考えてしまって、どちらも踏み出せなかったんだ。2人のしがらみとか、将来とか、はっきりしていない現状だとか。そういうものが邪魔をしたとも言えるが、お互いそれを乗り越えてまで決断する力がなかった。要はそれだけのことだ。なのにそれでも全てが美しいのなら、もうそれで良いのだろう。

今でもそんなことを考えながら、日々を過ごしている。彼と出会えたことは、遠回りばかりしてきた自分の人生を肯定できる要因になっている。

私たちは、一生懸命恋をしたのだ。

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