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マイシンのこと

昨日までの投稿の続きです


語り マイシンの場合

「僕らはボンビーって呼んでいるけど、テニスボールくらいのまん丸とした形をした爆弾なんだ。
子どもの時に、それを見つけて友達と遊んでいたんだよ。

ボンビーはボールみたいだから、子ども心をとてもくすぐるんだ。
だから何も知らなかった僕は、思わず手にとって遊んでしまった。

僕らはサッカーをして遊んだよ。
それは恐ろしいことだ。
僕の友達がボンビーを蹴った時だった。

…爆発したんだ。

爆発した場所から僕は距離があったからね、死なずにすんだ。
身体に跡が残っただけですんだんだ。

けど友達は…、右腕を失ったよ。

マイシンは、幼い時の事件を語ってくれた。
今では語り口調は淡々としている。

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その時、母は

「爆発を聞いて駆けつけた大人があの子を家に運んできてくれたの。
血だらけの姿を見た時は青ざめ、叫んだわ。」

そう語ったのはマイシンのお母さんだった。

「私はあの子を抱きかかえドクターの所へ走ったわ。
もう気が気でなかった。
死なないで、それだけを思ったの。
気がつくと、私の服も血だらけになっていた。

出血のわりにあの子は無事ですんだ。
あの子の場合は幸運と言えるかもしれない。
胸や腕に突き刺さった破片や火傷の傷が残るだけすんだんだもの。

五体満足にいれたことに感謝している」

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マイシンのお母さんは声を震わせながら当時の話しをしてくれた。
マイシンとは違い、語りに感情が入る。
怒りにも似た感情だ。
その怒りにはどこに矛先が向ければ良いのか。


戦争の悲劇とは

子どもがボンビーで遊んで、爆発にあってしまうことはよくあるという。
無邪気な子どもが多くの被害にあっている。
いったい何人の母親が叫んだのだろう。
何人の父親が点を仰いだのだろう。

戦争は時に、「死者〇万人」という数字で被害が語られる。
けれど、本当の戦争の悲劇を理解しようとした時、その一人ひとりの悲しみを辿るしかない。


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