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ジャイキーのこと

昨日までのつづきです。


※今回の投稿では、傷口を映した写真が出てきます。あまりそういうものが苦手な人はお気を付けください。


父もまた地雷の被害を負っていた

僕はマイシンと共に爆発の被害を受けた友人に会うことにした。
彼にも話しを聞きたかったのだ。
マイシンの家から坂を下ってすそこに家があった。

右手を失ったとされる友人に僕は平静さを保ち話しができるだろうか。
不安が胸にかげりはしたが、家を訪ねるも友人の姿はなかった。

家にいたのは彼の父親と母親、弟と妹たちだった。
父親にマイシンの友人、つまり彼の息子を探している訳を話すと、実は父親も爆弾の被害に合っているのだという。

父親の名前はジャイキーといった。
僕が話しを聞かせてくれないかと頼むと、彼はこう返した。

「話しをするのは構わない。

けれど、写真を撮るのは私たちのために何かしてくれる人や団体だけにしている。
傷跡を見せることは、とても恥ずかしいことでね。

だから傷跡を見せることによって何かこの村が良くなるのなら、私は見せて、写真も撮らせているよ」

彼の切実な声だと思った。
傷跡を見せることは決して心地いいものではない。

僕は正直に話した。

「僕はボランティア組織に所属しているわけではなく、団体を動かす力も人脈もありません。
僕にできることは、webなどであなた達の現状を書いて発信したり、声を出して直接話したりして、日本の友人たちに伝えることです。」

写真を撮ることを承諾してくれたのかは分からなかったが、ジャイキーは家の中へ案内してくれた。
無理にお願いするつもりはない。

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語り ジャイキーの場合

家の中の灯りは、火の光が入口から差し込むだけで、薄暗かった。
ここに来て、悲劇を見過ぎたからだろうか。
一家団らんの楽し気な光を僕は見つけられなかった。

ジャイキーは3人の子を持つ一家の大黒柱だ。
話しはその日から20年ほど遡った1991年の時。

「あの日はいつもと変わらず、私は農作業に勤しんでいたよ。
けれど、あの日は不運だった。
鍬を入れた土の中に不発弾が埋まっていたんだ。
不発弾は爆発して私の身体を吹き飛ばした。

幸いにも私は生きていた。
かろうじて意識を保っていたが、足の被害がひどかった。
私は血まみれのままドクターの家に行ったんだ。

私のあり様を見てドクターはこう言ったんだ。
「急いで町の病院へ行くべきだ!治療を受けなさい。おそらく足の付け根から切断することになるだろう」

それを聞いた私は病院には行かず、家に帰ったんだ」

家に帰った?
僕の語学力か、通訳の言葉を聞き違ったか。
ジャイキーは続ける。

「どうしても足を切断したくなかったんだ。

治療費もばかにならないということもある。
けれどそれよりも、足を切断したら働けなくなるだろう。
そしたら誰が家族を養うんだ。
逆に私の面倒を見るために、さらに人でとお金がかかる。
家族に迷惑がかかる。

ならば足を切断するならば死んだ方がましだと思ったんだ。

家に帰り、足を補強して、回復するのを待ったよ。
幸いにも私は回復して、足は足首から下を失うだけですんだんだ。
私はまだ働ける」

からがら繋いだ命も投げ出す覚悟だったのだ。
家族には迷惑はかけられない、と。

目を横にやると部屋が続く。
奥に見えるその部屋の床で、彼は今にも死ぬかもしれない恐怖と共に、いくつの夜を超えたのだろう。

戦争を恨むか、アメリカを恨むか。
なんにしても恨むべき対象は大きくてぼやけている。

ジャイキーは事件のことを一通り話し終えると、はいていた長靴を脱ぎ、裾をめくって見せた。
失った足首を見せてくれた。

「多くの日本人に伝えてくれ」

そう言って写真を撮ることを許してくれた。

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同じ釜の飯を食う

ジャイキーは僕に「昼飯を食べていかないか」と誘ってくれた。
そのことが単純に嬉しかった。

自分たちで採った米に豚肉と野菜をいためたもの。
塩がきつめに味付けされていた。
ベトナムのモン族を訪ねた時と同じ味だ。

スプーンはあのスプーン村で作られたスプーンだった。

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続く問答

「また農作業をすることは怖くないですか?」
僕は訊ねた。

「怖いけれど、家族を養うためには農作業をするしかないんだ。
私たちは他に選ぶことが出来ないんだよ」

選ぶことができない…
村を訪ねて何人かの人と話しをして、幾度か聞いた返答だった。

僕は訪ねて回って気になっていたことを聞いた。
「たくさんの村人が被害を受け、今もなお不発弾や地雷に苦しんでいるのに、どこかほかの場所へ移る気はないのだろうか」ということだ。
ジャイキーは間をおいてこう答えた。

「ここは不発弾や地雷があるが、私たちの畑がある。
家もあって、何より家族や友人がいる。
私たちは助け合って生きていくことができるんだ」

生きていく上で大切なコト

ジャイキーの言葉を受けて、考える。

人が生きていく上で、何より大切なコトとは、深く信頼しきった人の中で人生を過ごせることなのかもしれない。
迫害の歴史を持つモン族なら尚さら身に染みているはずだ。

彼らは不発弾から逃れるよりも、愛し合った人たちと爆発の恐怖に耐えながら支え合うことを選んだ。
それとも、それすらも選ぶことができなかったことなのだろうか。


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