井口潔氏に学ぶ⑶一「敗れて目覚める」とは何か?

 井口潔氏の講演資料の続きを紹介したい。

ソクラテスの生涯に学ぶ

 哲人ソクラテスはアテナイの街角で小机を隔てて「無知の知」について市民と対話を交わしていました。彼は何を目指していたのでしょうか?
 彼は哲学者でしたが、思考する内容よりも思考する人間そのものに関心を持っていました。彼はアテナイの民衆と個人対話の形式で対話するうちに、民衆は彼の訴えを理解して共感していることに気づきました。彼には著書はないのですが、弟子プラトンとの対話「ソクラテスの弁明」の中に彼の生き方が表されています。彼の哲学の理解を深めるにあたってのキーワードに、
①無知の知、②魂の気遣い、➂魂とは自分自身のこと、④徳の気遣い、⑤勇気とは魂の忍耐、などがあります。
 民衆の一部の若者はソクラテスに警戒感を抱き、彼の生き方を死罪とする
市条例を作り、告訴したので、彼は「自分の考えが死罪ならばそれ自体に意味がある」として、独杯を干して自死しました。
 ソクラテスの哲学は学問的なものではなく、人間の活動そのものと考えていました。「正義と不正」「善悪の倫理」の選択に直面した時の現実の内部世界に関するものだから、哲学者は単に思考者、学者であってはならないのです。
 徳の探究は単なる抽象理念にあってはならず、日常の生の実践でなければなりません。哲学は究極のところ、一つの「ホロイムズ(人間の誇り)」なのです。「人間の誇り」を子に教えるのが親の躾であり、それが親の子に対する感化です。ソクラテスは哲学を学問ではなく、生の人間で表そうとしたのです。「自己犠牲の生贄」に彼は「人間生物学」を見通していたのです。
 ソクラテスの思想の核心は次のようにまとめられます。

<「身体」は物理的で世俗的で死すべきもの、快楽と物質的貪欲を求め、利己的である。これを制御しないと悪の場所となる。
 「魂」は道徳の側面をもち不死で、生まれつき善きことを成し、自らを改善していく傾向を備えている。これを適切に訓練すれば「徳」の場所となる。
 「人間の最も重要な仕事」は自分の身体的欲望を抑えて、魂の教えに従うように自らを訓練することである。>

 人間はこの思想を暗誦すべきです。自分の内部世界の声であることを確認してください。人間は伝統の昔、宗教という「超人間秩序」の導きを経て、自我の迷いに陥らぬようように心掛けてきました。

●「敗れて目覚める」とはどういうことか

 ルネッサンスにより、「神との対話」を「自然との対話」に切り替え、しばらくは気づかなかったが、科学という知性を己の欲望のままに育てることが正しいと誤認して、宇宙の秩序に従う道を逸脱しました。
 人間は心で生きる生き方について「全く無知」であったのです。人間は平和であることの訓練を、昭和維新から今次大戦後も放棄してしまったことの報いが、今現れています。「敗けて目覚める」とはこのことなのです。

 昭和維新の時代は「知性の自我」が起こした過誤でした。「敗けて目覚める」とは、この人間の「自我」との闘いに敢然として向かっていく勇気の決意をすることです。戦艦大和のガンルームでの兵学校の出身と学徒出身者の果ては鉄拳制裁の激論ではなく、自我との闘いにおける「魂の忍耐」「徳への気遣い」「学問上の哲学ではなく人間性に立脚した哲学」からの真の智慧を求める「静謐な自我との内的闘い」が必要なのです。

●「人間教育不在」の元凶は「自分自身」!

 戦争は群集心理がかき立てます。人間にはどうしようもない「性(さが)」があり、「性」が責任の所在を不明にしています。この元凶は「人間自分自身」ですから、このような失望の「性」と対峙して、人間本来の希望を創り出す魂の新生のエネルギーのために人間は立ち上がらなければならないのです。
 百歳を迎えた私は、この「魔の群集心理」の「性」の運命を駆逐するために「人間教育不在」を犯した「人間自身の過ちの償い」をすべきだと決意しました。そうでなければ百歳のわが人生は敗北になり、これでは死に切れません。
 人間の「性」が日本伝統の子育ての家庭教育を抹殺し、学校教育の第1種教育(人間は平和時にいかに生きるべきかの徳育)を消滅して、「躾・人間教育の良機」を不明にしました。

百歳翁、天命を奉じて二度目の出征

 百歳にして天命を奉じて平和戦線に生涯二度目の出征を行います。「人間教育物語」をどのようにして我が事として「自己犠牲の仕事」とするのか?
これを創造主から試されているのが「人間」自身なのです。
 ペシャワール会の中村哲さんは私の現役時代の師弟関係にあたります。師は弟子から学びます。「靖国での再会を待っています。百歳翁は虚無僧に姿を変えました」これが百歳老生の遺言です。 
 「一心に」稽古に未来のままに進め!「どのような生き方をしろ」ということではなく、どのような生き方でもよいから、「一心に」未完のままに進め!生かされていることの感謝の緊張感の張りつめが、心で生きる命なのです。
 


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