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うつ病yazuが無職最後の日に思うこと

最後の日曜日、そりゃネガティブになりますわ

2024年4月21日。無職最後の日です。

今の思考はネガティブ。超ネガティブです。

考えることなすことすべて否定気味です。あんなに体調がよかったのはなんだったんだ。やっぱストレスフリーのニート生活は最高でした(ぉぃ

昨日まで関西にいまして、事情を知っている親戚の家を回っておりました。

「就職良かったねえ」と言われました。僕は曖昧な笑顔で返すぐらいしかできませんでした、ショボーン。

僕個人としては全然嬉しいことでもなんでもなくて、社会復帰しなくてもいいならしたくもないし、ニートで許されるならそりゃずっとニートで過ごしたいです。

生きる上でお金は必要です。そのために人は働くわけです。僕の場合はお金に執着がないので、貯金が底をつくまでこの生活を続けることも考えなかったわけじゃないんですが、その先にあるのは明らかに今より悪い世界でしたので、もう仕方なく、やむを得ずです。

社会復帰は僕にとって怖いです。

かつてのように思い込んで再びうつ病になってしまうかもしれない。変な仕事を任されて、自分がどうにもならないような気持ちに追いやられるかもしれない。

「〜かもしれない」ばっかりの思考の通り、悪いことをイメージするのは僕は大の得意技でして、いよいよ死んでしまおうかといういつもの流れにまで追いやるとロクな状況にならないのも理解しています。でも、この流れは僕の脳内にいつだってやってくる、逃げることが出来ないカルマみたいなもんです。

友人からは「やってみなきゃわからないじゃない」なんて言われるんですが、そういうワンチャンかけてやってみろよという心の余裕は僕にはありません。とにかく自己保身、社会からは別に認められなくてもいいから安全な環境のもとで淡々と生きていくぐらいしか僕には出来ることはない。

書いているとすごく情けないんですが、頑張ることが出来ない人間にとって新しいことに取り組むのはとにかく恐怖ですし、怖いです。

別に僕はそういう体験を求めてるわけじゃなく、ただただ毎日を波風立たせること無く生きることに執着します。自分を守ることぐらいしか考えられないです。



なんで生きていくのかを考えない日はない

いつも同じようなことを書いてますが、考えちゃうんですよねえ。

先程書いたとおりなんですが、人の多くは「生きるため」に仕事をしています。金のためです。

でも僕の場合、そんなに生きたいかと言われると別に生きたいわけじゃない。怖い体験をしないのであれば、さっさと死にたいとも思ってます。それでも生きることをしゃーなしで選択してしまっているのは、残念ながら死ぬ行為そのものが怖いだけのことであっての消極的選択です。

だから僕の場合、心が振れてしまうとすぐに揺らいでしまう。

自分にとって生きる軸みたいなものがないことが、とても不安に駆られるところです。仕事で上手く行かないことがあればすぐにネガティブな行動に及んでしまうのではないかと不安になってしまうのはここに理由があります。

例えば僕に家族がいたり子供がいたらおそらく会社を辞めるという選択はしなかったでしょう。そこには一家を守らなければならないという責務、生きる軸があるからだと思います。

僕はそもそも親との関係が最悪でしたから、家族という存在に対してネガティブですし、何よりも人が怖い。そういう人生を選択することはまずできませんでした。

いつまでたっても生きる理由がなくて、一方で社会的にも求められているわけでもないことを理解している。それでいて僕は生きる選択を消極的にとっている自分が情けなくて仕方ないです。

生きてるのではなく、ただただそこにいるだけの人間です。

僕の病気を理解してくれる親戚を前にして、「僕は人生が終わるまでの時間つぶしをしているだけだ」と言いました。

親戚はそれを聞いて「良いことだってあるかもしれない」「きっと心変わりする」と言いました。

でも、それなら今までそういったイベントがなかったのはなんなんだろうと。今の今まで何十年やってきてもダメダメな人生を歩んでるのに、なんで今後の人生でそんなことが起きるといえるのでしょうか。

そんなワンチャンに賭けるぐらいしか僕の人生が好転する可能性がない、まるで宝くじを探しにいくような自分の歩みを続けるのは苦しいです。

そもそも人生の好転は、本人が強い気力を持って動かすだけのパワーがあってこそだと思います。当の自分が生きる気力がない人生を歩んでる中で、そんな良いことがあるはずねーだろと確信めいた気持ちがあります。こんな奇跡があってたまるか。

幸せなんてものは人それぞれが自分の尺度で感じるものですが、僕にはそれがなかなか理解できないですし、世間一般で言われるような普通の幸せ基準(家族とかお金とか友人関係とか)がない以上、もはや僕に何のために生きていくのかが相変わらず行方不明なことに絶望しています。



それでも明日はやってくる

「彼女でも作ればええやろ」なんて親戚は言いました(笑)

今までの話を聞いてましたか?って言い返してしまいました。中年無職おじさんにそんな気力があるはずねえだろと。

まあ、でもそんな冗談ぐらいでしか僕に投げかける言葉がなかったんだろうなとも思います。

金はないし、愛だって知らんし、何なら全てに怯えて隠れ続けてる人生が僕。それぐらいしか体現できない自分はいかに情けないことか。

僕の人生は底辺を這いずり回ってます。たまに良いことはあったかもしれないけど、思い出せるレベルではないということはまーまー大したことはないです。惰性でその場にいる僕は、ある日突然居なくなっても大概の人は気にしないでしょう。あー、人生が終わる時間が分かったらどんなに楽なんだろうかと。

残念ながら時間は進み、明日はやってきます。生きることが辛くて、逃げ出したい気持ちと付き合い続ける人生です。

仕方ない。諦めるしか無いです。自分の人生を好転させるなんて気持ちは持ち合わせていないですが、ただただ死ぬまでの時間つぶしは波風たたせないようにしたい。

別れ際、親戚からは「頑張らないレベルで生きればいい」と言われました。せめてそういう人生で生きられれば御の字だと思ってます。

情けない締めで申し訳ないんですが、こんな野郎ではありますが明日図らずも社会復帰します。おそらく愚痴とか心の叫びをnoteで晒し続けるかと思いますが、もしよろしければお付き合いください。

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