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母を想う⑩母の大切なともだちがわたしの大切な人になりました

母の様子がおかしい・・・と気づいたころのことです。
母が若いころに同じ職場で仲良くしていた方から
電話がかかってきました。


「東京からT子さんが来るのよ!
 3人で会いましょう!」

「あら、いいわねえ!
 うちに来ていいいわよ!」


まだ、おしゃべりは、すらすらと楽しくでき
ましたので、計画はどんどん進んでいった
ようです。


そのときにはわかって話をしているのですが、
電話を切るときれいさっぱり忘れています。
傍で聞いていた父から相談を受け、わたしは
母の年賀状の中から、電話の相手の方のそれを
捜し、急いで手紙を書きました。


母が認知症を患っていること・・・
その頃のわたしはまだ、他人にそのことを
伝えることに抵抗を感じていました。
ばやけた言葉で濁そうとすることがあったと
思います。
でも、なぜかその時はきちんとはっきりと
伝えなくてはいけない、
そう思えて、正直に母の現状を
書きました。


わたしの住所と電話番号も書いた手紙への
返事はすぐに電話できました。


その方、K子さんは、看護師の娘さんに相談
されたそうです。
自分はそれでも会いたいけれど、その思いを
娘さん(わたし)に伝えてもいいものだろうか・・・
介護福祉士として働いた経験のあるT子さんにも
相談されたそうです。

そして、わたしが会ってもいいと思ってくれる
なら是非、会いたい・・・と。

わたしは、迷わず答えました。


「是非、おねがいします」


久しぶりに故郷を訪れるT子さん、
車で1時間以上かけて来てくださるK子さん、
母とわたしの4人で会いました。


そのときは個室のあるお店で待ち合わせを
しました。


お店へ向かう車中、
母は楽しそうに話してくれました。
「2人とも楽しいひとだよ、
 あなたもすぐ仲良くなれるよ」

嬉しそうに話した直後には、
「今、どこに行くんだっけ?」


お店での再会に母は、笑顔でしたが、
話がつながったり、わからなくなったり
していることは感じとれました。
それでもK子さん、T子さんの
同じことにも初めて聞くように答えて
くださるやさしい心遣いで楽しく過ごす
ことができました。
若いころの写真をみながらの会話に
若いころの母のことをまた知ることが
できました。



「そろそろ、おいとましよう」

とわたしに囁く母のことばで
お二人との時間は終わりと
なりました。
認知症が始まってからの母は、混乱して
くると、そう言ってくることが多かったです。
ことばのきれいな母でした。



母のことをそのままに受け入れて
会ってくださったこと、
そのことにわたしも救われる思いでした。


そして、お礼の手紙をお二人に書きました。
それから、手紙のやりとりが続き、
母が特養の施設に入所し、
今年の6月に亡くなってからも交流は続いて
います。


母の大切なともだちが今では、わたしにとって、
かけがえのない大切なひととなり、
手料理を味合わせていただくほどに甘えさせて
もらっています。


母はわたしに、第2のおかあさんのような
大切なひとを残してくれました。
認知症の母の付き添いのつもりで
お会いしてきた方々でした。
でも違ったようです。
母はわたしを繋いでくれていたのですね。



母の大切なともだちが
  わたしの大切なひとになりました















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