見出し画像

母を想う⑧ 気持ちをそそぐということ~介護と子育てと~

母がまだ自宅で過ごしていた頃、
土曜日は、父に休息の時間をとって
欲しかったので、母を連れて出かける日に
していました。
不要不急の外出を制限されるまでは、
主人の実家や
(母を想う⑥耳の遠いおじいささんと母のゆるく優しい時間)、
わたしと母の理解者であった友人の家、
イオン・・・とにかくどんな天候の日も
ゆっくり歩けてありがたかったです。
階段を数を数えながら下りたり、
頭と体を使わせてもらいました。
スーパーでは、片手にカート、片手は手を繋ぎ、
ゆっくりゆっくりお買い物。



不要不急の外出が制限されると買い物にも一緒に
行けなくなりました。

なので、私の家で過ごしました。
家にいるとつい家事を終わらせようとしてしまうのですね。
母と向かい合わずに、動いてしまう・・・
認知症は進んでいましたので、母は、とにかく
不安でいっぱいになってしまうのです。
ひとり、放り出されたような気持ちだったの
だろうと今はわかります。


認知症によって、視野も狭くなってきますし、
空間を認知する機能も落ちていきますので、
側にわたしがいなくなると、さらわれ、
放り出されたような
感覚だったのかと思います。


そんな寂しく辛い気持ちを味合わせてしまった
ときの焦点があわなくなっていた不安な表情と
動きを思い出し、その気持ちにもっと早くから
気付いて寄り添ってあげれば良かったと後悔しています。


ふたりで並んで座り、手を繋いでテレビを
観たり、話しているときは、穏やかないい表情を
していましたもの。


子育てと認知症の介護は似ているところがあるのかなあ、
と母を亡くした今になって感じています。


だいすきだよ、
だいじょうぶだよ、
あなたのことをみているよ、
そばにいるからね、



きもちをそそぐ・・・

真剣にきもちをそそぐ・・・













この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?