過干渉

この間、母の過干渉についての記事を書き
妹にやっぱり母に対してどう思ってるのか興味が湧き聞いてみました

やっぱり妹も過干渉だと思っているそうで
30歳を過ぎてから気付いたし、気になったと言っていました
そして、母も無意識なのだろうとも言っていました

妹曰く
ひとり親だからちゃんとしないと
と、私たちが成人した今でもそう思っているように思う
そして、何でもかんでも話してほしい、知りたいと思っている
とのこと
私もそう思います

私たちはもう大人で
相談相手や話し相手は母だけでもありません
だけど、母は
私が守らないと、困っているなら私が助けてあげないと
とずーっと思っているように感じます

守ってほしいときや助けてほしいとき
私たちは助けてと言うと思います
言える能力もあると思います

だけど、困りきる前に助けてと言う前に
ようは先回りして常に私たちの前に立って私たちを守りたいのだろうと
子どもが1〜2才の頃、高いところに登って落ちたら危ないからとずっと見張っていたように
こうなってはよくない、こうなっては危ないと未だに目を離さずにいるような
そんな感覚でいつまでも見守られている気がします

子どもは成長します
すべり台から落ちたら危ない、気をつけよう
という、知識を身につけ
落ちたら危ないからどうすれば落ちないか
という、考え方も身につき
落ちないための技術や
万が一落ちたときの対処方法ももう考えられます
いつまでも子どもはすべり台から落ちほたら危ないということを知らないわけではないんです
そうなると、見守り方
ようは干渉の仕方も子どもの成長に合わせて変わってきてもいいように思います

落ちないための技術を身につけているのに
いつまでも落ちないように張り付いて見張っているのは過干渉になってくるんではないかな?と私は思います

子どもは成長します
成長とともに出来ることも考え方も変化し、進化していきます
その変化に気付いたら、見守り方を変えていけたらいいなと個人的には思っています

今の時代、危険なこともたくさんありGPSを持たせるご家庭も多いと思います
私も子どもの鍵につけてもらっています
けど、それは万が一のためであって子どもも見張る手段ではありません

子どもが友だちと出掛けていつもと違う道を通ったり
いつもと違う公園に遊びに行くこともありました
けど、ここで「いつもと違うところに行っていたんだね」と言うと、勝手に子どもの世界に介入していくことになります

私自身、子どものときに親に内緒でこっそり学区外に出たり
田んぼの端っこを通って落ちて靴がはまって抜けなくなったり
証拠の隠蔽をするために靴をこっそり洗ったり
ということもありました
親はきっとわかっていた部分もあったと思います
だけど、黙って見守ってくれていました
よっぽどのことがなければそれでいいんだと思います

子育ての最終目標は
親への依存ではなく、親からの自立です
自立の上に共存があり、依存の上は共依存になるのではないかなと思います
干渉から見守りに入ることで依存関係から自立していくんだと思います

人は依存なくして自立はないと思います
自立を目指すのなら、依存の先も見据えていけたらいいなと個人的には思いました

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