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できる、できないは別にして、理想の教育制度を語ろう9


*magenta-hikari様のコメント

様々な歴史・社会情勢・文化背景をももって、現在の日本の教育があります。
それらを踏まえ、今後も一所集中で、国内の公教育を管理している体制が効果的かどうか、一考の価値があるかもしれません。
私が感じた範囲のことですが、日本の先生方は良くおやりになっているという印象があります。重責な上、負担が重すぎるのに。もっと保護者、コミュニティ、外部に子供達の教育を委託し、慣例の校務を見直して、本来の職務「授業をする」ことにフォーカスできるようになればいいなと思います。
子供・保護者トラブルなども、スクールカウンセラー、福祉施設、警察が介入してもいいのでしょうね。ヨコになる例かもしれませんが不登校問題は、私がいるところでは児童・生徒の不登校状態が続けられないようになっています。(様々な理由により、学校と政府機関、司法が即介入します)



*小鳥遊 樹のコメント


magenta-hikari様、いつも素敵なコメントありがとうございます。

公教育の管理体制については、
非常に不思議なところがあるのです。
誰かの強い熱意があれば、
意外にすんなりことが動いたり、
どんなに不都合があっても積極的に動かなければ、
ずっとそのままという事も多々あります。

具体的に申しますと、
公教育であっても、
以前は通知表(法律で通知表の発行の義務はない)のない学校があったり、
制服のない学校があったり、
校則のない学校があったりします。
部活の創設や廃止も、親の要望の強さ次第だったりもします。

高校であれば電子辞書を許可しているところもあれば、
紙の辞書でなければいけないところも。
携帯の持ち込み方の決まりも、それぞればらばらです。

誰かが、何かを変えたいと思っても、
どこにどのように働きかければ、要望が叶うのか不透明なのです。

要望を出したところで、
希望が叶うまでに時間がかかり、
卒業になると思ってしまえば、なかなか改善が進みません。

何でもかんでも個人の希望を通すことが良いわけではありません。
ですが地球の温暖化も進み、天候の不順も多い中で、
それぞれの体調や体温に合わせて洋服を選べる自由はあっても良いと思います。

テストに関しても、子どもたちが自分の希望に合わせて学習したものを、
希望する子が希望する時に、学年問わずテストを受ければ良いのです。

好みの鮮やかな色や音響で育っているデジタルネイティブの子ども達が、
希望を聞かれることもなしに、
同じ授業を受けるのも効率が悪い気がします。
好きなジャンルを好きな時に好きなだけビデオ学習すれば良いだけです。

子どもって自由にすればするほど、
礼儀を覚え責任感を持つようになります。
大人が敬意を払って接すれば、子どもも真似るのです。
少なくとも、私のアトリエの生徒さん達に私は敬語で接しますが、
みんなそれ以上の敬意と愛情を持って返してくれます。

それはきっと大人の世界も同じですね。
押し付けられた人生や仕事に、責任感や礼儀は持ちにくいのです。
自分に裁量権があればあるほど、
多くのことを希望を持って経験し謙虚になっていく気がします。

公立でも世田谷区の桜丘中学のように熱心な校長先生がいれば、
子ども達が自分の資質を思う存分伸ばす校舎で、
廊下で自習をしている生徒を、
ロボットのペッパー君が見守るという学校にもできる訳です。

学校は、子ども達が1日の大半を過ごす場所です。
誰にとっても居心地のいい場所である方が良いに決まっています。
居心地を良くするためには、
子どもの多様な個性に合わせて可能な限りフレキシブルであること。

子ども達の意見を聞き取り入れる自由がある、
お母さん達の要望を聞き入れる自由がある、
先生達のアイディアや熱意ある指導が生かされる自由がある、
校長先生や教育委員会の方達のアイディアが反映される自由がある、
そんな裁量権を各地方に委ねることはとても大切なことのように思います。

判断を下す手順が短いほど、意見が反映されやすくなるからです。
大切なのは一人ひとりの個性をより伸ばすことであって、
同じように列に行儀よく並ぶことを教えるわけではないのですから。
中央で管理している必要を、誰が何のために感じるのでしょうね?

もっとそれぞれの地方にあった、楽しい教育があって良いはずです。
お金も自由に使えて良いはずです。
命令系統が複雑であればあるほど窮屈になって、閉鎖的になっていきます。
子どもたちが生き生きするためには、先生が生き生きしていることが大切。
親も生きることの楽しさを知っていなくてはと思います。

学校の先生方は自由な裁量権を持たない中で、
どれだけ懸命に職務を果たされていることか。
私は中学の講師を短期間経験したことがあるのですが、
いくら基本的な人間力が高い人たちがなるとはいえ、
本当に過酷なお仕事だと思います。

なぜもっと休みがないのでしょう?
我慢できれば良いというのでは困ります。
なぜ、困るか?
先生たちにゆとりがなければ、
結果的に追い詰められるのは子ども達だからです。

昔のように、先生に絶対的な威厳があった時代は良かったのです。
でも、体罰が禁止になり、
すべての教科を平均的にこなせるエリートが先生になるようになってからは、
上からも言われ、親からも言われ、生徒たちからも反抗的にされる、
とても過酷な立ち位置にあります。

先生になりたてでも、すぐに責任のある立場にさせられます。
いくら何でも、もう少し先生たちを守ってあげるシステムがなければ。
そんなふうに思っています。
と、同時に先生方も社会でいろいろな職種を経験してくる余裕も欲しいですね。
多種多様なご家庭やお子さんの資質を指導される立場になるわけだから、
もっと多様性を感じるゆとりが必要な気がします。

学校に来るのが楽しみな子どもを、
十分休養のできた先生達が待っていて、
ワクワクしながら自分の教えたい分野を学びたい子ども達に教える。
これって、そんなに難しいことでしょうか?

おそらく、今からみんなで議論し始めれば、
ひとり一台の人工知能ロボくんやiPadを持つ時代に、
より理想に近い教育制度に変えることができるのだと思うのです。

でも真剣に話す人が増えなかったら、
どんなに世の中が変わっても、教育がずっと後手後手に回ります。
納めた税金はどんどん防衛費などに使われていきます。
声をあげなかったら、
それが望みだというサイレントマジョリティになってしまいますよ。

声を上げるというと、何かのデモや運動の先頭に立たされそうですが、
そんな必要はありません。
匿名でも何でも、穏やかに自分の考えをネット上で語れば良いだけです。
誰かや、何かを攻撃することなく、
ただ“自分はこう思う”を、いうだけで良いのです。
ひと声が小さくても、波紋になれば大きな波になっていきます。

ぜひ皆さんの声をお聞かせください。
コメント欄にお書き頂ければ、参考にさせて頂きます。
教育を大切にできない社会は、画期的なものも生まれず
活気のない社会になります。

どんな学校になったら、
多くの先生方が、“先生になりたい!”と思った、
志を果たすことができるのかお聞きしてみたいです。

「もっと保護者、コミュニティ…」については後日書きたいと思います。

今日もおかげ様🙏

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