「願望」

 「夢を叶える為に人は生きている」とすれば、それは「願望」だと指摘したくなる。「願望」と言うと、私は何処か「叶わぬ夢」と言ったニュアンスが含まれている様に感じる。「夢」に付いては以前に書いたので、重複した内容になるかも知れない。その時「大きすぎる夢は自分を滅ぼす」と書いたが、「願望」にしても同一視している。ただ「願望」と成ると人間の欲が如実に現れるのではないかと思っている。

 「願望」と聞いて私が一番に思い出すのは結婚だ。私は一度も結婚をせずに四十六年間も生きてしまった。これでも若い頃は「結婚願望」は有ったのだが、機会に恵まれずに今に至る。偶に送られてくるメルマガにお見合いサイトの案内があるのだが、登録する気持ちには成れなかった。理由は女性が四十代の男性に求める要素として、金銭的な経済力を必須としていると思えるからだ。現在、私は結婚して妻と成る人を養うだけの財力は無い。

 女性の結婚に対しての「願望」は年齢や環境によって違うので、財力だけで結婚を望む人は少ない様に感じる。財力以外にも家事、育児など進んで遣る男性で無ければ結婚にまでは行かないだろう。それは結婚が豊かな生活の始まりに成る男性を求めている様にも感じる。だがそれは一言で言って「願望」でしかない。そんな女性の要望に応えられない私なので、結婚なる「願望」は捨てる事にした。同い年の知人を見れば結婚して子供だけでなく孫が居たりする。それを羨ましいと思えないのは結婚よりも大きな「願望」が私を支配しているからだ。

 私を突き動かす衝動たる「願望」とは何かと考えると、世間に対しての「復讐」だとの答えに行き着く。私を取り巻く世間の風当たりは強く、何とも鬱屈とした気分に成るのだ。その原因を詳しく書くのは愚痴にしか成らないので書きたくない。自分の進んで来た人生を否定するのは惨めなものなのである。それでも今の現状を打破する為に齷齪と日々を過ごしている。それは他人から見たら何もしていない様に見えるかも知れないが。

 自分語りをしても憂鬱とした事しか書けないので一旦止めて、何を持って「願望」とするか考察して見るとこんな事が書ける。

 近所の大手チェーン店のレストランで高齢の男性二人が話をして居た。昼時の忙しい店内の中、隣の席で聞き耳を立てて居るとこんな内容の話だった。「今の店員はマニュアル通りしかできないで愛想が悪い」と。この時に私は「個人経営のレストランにでも行けば良い」と心の中で思った。そこには「願望」が有ったのかも知れない。少なくともその男性二人はマニュアル通りの接客では嫌だとの「願望」から出た言葉なのだと。

 レストランでの小さな話だが、よく考えてみると幾つかの問題点が浮かんでくる。何処のレストランでも昼時は忙しく、店員が接客に割ける時間は少ない。店員の質もあるだろう。大手のレストランで食事を何時もして居る人なら、この程度の接客で良いとの感覚に成る。それに対して高齢者は店員が愛想の良いのは当たり前との感覚があるので、ファミレスの店員にも丁寧な歓待を期待する。それなので相互理解に欠けた対立を生む原因と成る。

 では、解決策はと言えば欧米並のシステムにすれば良いと思えた。愛想は無料ではなくチップを払って買うものだ、との認識が進めば解決するだろう。または手厚い歓迎を期待する「願望」を持つ事を捨てるのも一つの手だと思える。いっその事ファーストフード店に行って必要最低限の対応しか期待しないのであれば、要らぬ不満を持つ事もないだろう。ここでは「願望」を持った客に対して、店側はどの様な対応をすれば解決するのかと言った問題かと思う。

 「願望」には「この様にあるべきだ」との思いがあるのが災いを呼ぶ場合がある。また結婚の話を戻すと、就学児童が居る家庭だが夫が家に一銭も金を入れないケースがあった。詳しくは書かないが私が実際によく知っている家庭での話である。そんな夫では離婚対象に成るだろうが未だに一緒に暮らしている。妻の方に話を聞くと「離婚するのも面倒くさい」との返事が返って来たので「夫婦関係はよく分からない」と私は思っった。

 その妻にしても「願望」が無い訳ではないだろう。理想を言えば夫が生活費を入れれば良いとは思うが、それさえしないので自分が働くしかないとの結論に達したのだ。そんな人を間近に見ているせいで、結婚に対して「願望」を抱くのが私には困難に成ったのは言うまでもない。それに付け加えるなら「願望」など初めから無かった様に、私の言動は飛躍して行くのだった。それなので「夢を見る事の素晴らしさ」など霧散した人生を送っている。

 しかし、人は「願望」を持って居ないと生きて行けないのだとも思っている。具体的には物語に対する見方があるだろう。私にはハッピーエンドが好きな人が理解できない。おとぎ話の様に「夢」が叶って幸せに成りました、との内容に嫌悪すら覚える。そう思うのは人生観の現れとも言えるのだろう。多くの人は人生が不条理の様に災難に塗れて居るので、せめて物語の中だけでもハッピーエンドに成って欲しいとの「願望」があるのだろう。

 私が変わっている所は物語に「願望」を入れないのである。勧善懲悪の物語は心地良い物であるのは理解しているが、そこからは何も学べない様な気がする。それは子供の頃からの癖でテレビドラマを見ていても疑問に思うことが多かった。父が時代劇を好んで見ていたので、私も一緒に見ていたが何とも理解に苦しむ内容の物が多かった様な気がする。個別に作品を上げて指摘してみる。

 「忠臣蔵」が理解できないのである。若い人には馴染みが無いので軽く粗筋を書くが、実際にあった話で江戸城殿中で刀を振り回して騒ぎを起こした殿様が切腹を命じられ、その死んだ殿様の敵討ちをする内容なのだが、まずはその殿様が理解できないのだ。一応、ドラマでは分かり易く説明しては居るが腑に落ちない。その辺は歴史を研究している学者の間にも諸説あるそうで、陰謀説や発狂説などあり詳しい事が知りたい人は調べてれば概略は分かるだろう。

 一番の「忠臣蔵」での謎は、殿様に切腹を命じたのは江戸城の家老達であるので、殿様の敵討ちに行くには家老の屋敷に行くのが筋だが、どういう訳か殿様が斬りつけた被害者の吉良上野介の所に行って敵討ちをするのであった。子供の頃から疑問で「被害者の家に行って謝るのではなく、何で斬り殺すの?」と思うのであった。その事を一緒にテレビを見ている父に聞くが、明確な答えが返って来た事は無い。それ所か「うるさい、こういう話なんだから」と怒られる始末であった。

 その後、大人に成り「忠臣蔵」の史実を調べた事があった。細かい点を脚色してドラマにしていたのは分かったが、赤穂浪士が討ち入りをした吉良上野介だがこれと言った理由は分からない。当時の記録にも明確な説明は残っていないので、後は想像するしかないのであった。個人的な見解を言えば赤穂浪士は、今で言うテロリストなのではと思ってしまう。そうとしか理解できないのである。誰か異論があれば聞いて正したいのだが、今の所その様な人に出会った事は無い。

 ここで注目して欲しいのは「忠臣蔵」が歌舞伎など物語として語られる様に成ったのは実際の討ち入りから五十年後であった点だ。江戸時代の五十年だから討ち入りの様子を詳しく知っている人は誰も居ない状況で、「忠臣蔵」の物語は作られた。そこには「願望」によって作られた物語として機能する様に成ったのではと、私は思っている。忠義を貫いた英雄として赤穂浪士を称えたいとの作為を感じてしまうのだ。

 長く語られた物語には多くの「願望」が紛れ込んで来る。それは何も歴史の中だけではなく、日常的に見られるものだ。死んだ人の事を悪く言うのは禁忌としてあるが、それでは正確にその人物を理解できなく成ってしまうのではと危惧する。偉大なる業績を残した人は崇めなくてはいけないとすると、恐ろしくも感じてしまう。「死人に口無し」なので、如何様にも語ることが出来るが、後人がとやかく吝嗇を言うのは咎められる風潮がある様だ。

 敢えて逝去された人を上げて書いてみる。漫画の神様と言われた手塚治虫に付いてだが、色々な武勇伝とも伝説とも言える逸話が残っている。その中から気になった話を上げて考察してみる。

 ストーリー漫画としての才能は私が指摘しなくても多くの人達に称賛されているが、手塚治虫が描けなかったジャンルとして真っ先に思い浮かぶのはスポ根漫画だろう。手塚治虫自身もテレビのインタビューで「スポ根漫画は漫画ではない」と言って居たのを記憶している。何分、昔の事なので記憶違いかも知れないが、手塚治虫の多くの作品にスポ根漫画に該当する要素が思い浮かばないのは確かな事だと思える。

 「努力」「友情」「勝利」などの少年向け漫画の題材は手塚治虫の作品からも読み取れるが、それだけで漫画の神様と崇める気持ちには成れない。「夢」のある作品が今でも愛されているのは分かっているが、苦言を言う人も居なければ漫画の発展にどう寄与したのか分からなく成るだろう。手塚治虫はアニメの分野でも先駆者であるのだが、こんな逸話が残っていた。

 勧善懲悪物のアニメ作品だったが悪役達が村人を皆殺しにすると言った内容であった。それを知ったスタッフが「皆殺しにしなくても問題はないのでは」と手塚治虫に進言したが「皆殺しの方が盛り上がる」と言って聞き入れなかった。そこには物語の作者として、絶対の神の様に振る舞う手塚治虫の姿が浮かんで来るのだった。そこには視聴者の目を釘付けにしたい「願望」があると私には思えて来る。

 手塚治虫の生い立ちに若干触れて置くが、子供の頃から絵を描くのが好きで漫画を描き出したが、太平洋戦争中は漫画を書いても発表する場が無かった。当時、学生の手塚治虫は学校のトイレに貼り付けて同級生達に読んでもらっていたそうな。漫画家として驚異的な作品数を誇る手塚治虫にも下積み経験があったとしたら、教師の目を盗んでは漫画を描き続けた学生時代こそ当てはまるのではないかと思える。

 手塚治虫はヒューマニストと言われる事が多いが、個人的にはニヒリズムの塊の様な人だと思っている。当の本人が言っていたが「私は絶望している。そこら辺にいるニヒリズムを気取っている人よりも」とテレビのインタビューに答えていたのを覚えている。その言葉通りだとすれば手塚治虫が持っていた原動力は「願望」だったのではと思える。ここで指摘する「願望」とは、「自分の運命に逆らってまでもやり遂げる必要がある事」だとする。

 その意味に於いては手塚治虫は強靭な精神力を持っていたと推測できる。「運命」は変えられるかとの問に、私は毅然とした答えを用意できない。始めに書いた通り「夢を叶える為に人は生きている」とは誰にでも当てはまり、その実、誰でも達成できるものではないとの考えで居るからだ。手塚治虫を慕って漫画家を目指した所で、自分の才能の無さに嫌気が差して筆を捨てた人は沢山居る。それならば「叶わぬ夢」として傍観者の様に自分を見ている方が楽なのではと思える。

 近所を見れば「昔は良かった」と言う老人達。働かない夫を持っても「離婚は面倒くさい」と言い放つ妻。歴史を見れば捏造した内容を恰も真実の様に伝えてくる。死者を崇める事を勧める世間。そう要求するのは「願望」に取り憑かれた人達の群れなのかも知れない。自分にはできなかった「夢」を他人に託す事で、一時の安らぎを得ようとしているのだ。それを悪いとは言わない。現実に目を向ければ凄惨たる世界が広がっているのだから。

 しかし、何時までも目を閉じて「夢」を見ていられる環境ではない。その様に私は感じて居るので、自分が結婚出来る訳がないと「現実」的に考えてしまう。それを誰かのせいにして逃げる事はしたくないので、恥を偲んでこの様な事を書いているのだった。そこには「願望」によく似た「希望」があるのかも知れない。真っ暗闇の中に居たなら僅かな光さえ目に映る。その光の先に「夢」や「希望」があると信じたい。

 これは私がそう在りたいと願っている事で、誰かに望んでいる訳ではない。「願望」と口にする度に私は思う、「願いを叶えるには何をすべきか。そして高望みはしない。地に足を着けて生きていく。たまには夢を見るのも悪くはないが、押し潰されない様に気を付ける」と。そう思って居ればハッピーエンドには成れなくてもバッドエンドは避けられると。

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