「墓」

 「墓は自分の為にあるのではなく、訪れる人の為にある」と最近はそう思う様になった。若い時は私が死んだら散骨にして墓など作る必要は無いと、よく言っていた。「若気の至り」と言うべき事だと今では反省している。「墓」を必要としないと思うのは何故だったか思い出してみると、単純に訪れる人の顔が見えないのが原因だと。

 若い頃から自分が死んだ後の事を考える方が変であるので、「墓はいらない」と言う人を非難したい訳では無い。しかし、老若男女に関わらず孤立無援で生きていると「墓」の必要性を感じる人は少ないのではないか。逆に「墓」を作ってみた物の誰も墓参に来ないなら、それはそれで「墓」の意味を成さない。

 個人的な体験では小学校入学前の幼少期、家の隣がお寺だった。私は記憶していないのだが、母が言うには墓場で遊んでいたそうな。「墓」を見ては手を合掌して拝む幼児。多分、大人の真似をしたかったのだと今ではそう思う。「墓」の意味など分からかったので電信柱を拝む事もあった。親類からは「礼儀正しい幼児」だと言われたのを母から聞いた。

 そんな事もあったので墓場に対する感覚が他人とは少し違う。はっきり言えば、今は墓場や寺の周辺で暮らしたいと思っている。大抵、墓地は深閑としているので世間の雑事に疲れている私には丁度良い安らぎを与えてくれる。それは死者を弔う為にある場所なので、最近ではパワースポット等と言うのだろう、私にとっては墓地が当て嵌る。

 そう思える様に成ったのは成人してからなので、物心がついた頃は「墓」に対して畏怖を持っていた。それが何故、消えたのかと言うと墓参りに行った時の感覚が忘れられないのである。父方の祖父母が土葬だったのが大きな理由であった。

 祖父母は早世だったので土葬が出来たのだろう。昔は埋葬を選べたのだろうが、土葬の「墓」は祖父母の物だけで、他は火葬にしていた様だった。墓参りの時に私の両親は「お爺ちゃん達が、ここに埋まっているよ」と言うのであった。正直、それが当たり前の事だと思っていたが「どうも他の家とは違うな」と中学生頃から感じていた。

 早い話、祖父母は貧しい暮らしをしていたので火葬をするお金が無かったのである。墓石を買う金も無く、本当に何処にでもある、大人なら持ち上げられる様な石が土の上に置かれていた。その下に祖父母と幼くして亡くなった父の妹が眠っているのであった。それが私にとっての「墓」なのである。

 墓参りに墓石とも言えない石っころの側に立ち、私の足下の土中深くにお爺ちゃん達が居る。骨は残っているのだろう。周りを見れば立派な墓石が立ち並び、草に覆われてしまいそうな地面を父が綺麗にしている。卒塔婆は立ててあるが、もう何年も前の物で朽ち果てていた。それは「死」が隣にあるかの如く私に教えるのであった。

 流石に今時そんな「墓」では恥ずかしいと父の姉が思ったらしく、土中から遺骨を取り出して供養した。墓石も立派な物になったが私としては「普通の墓」になってしまったのが、心なしか寂しくも感じられた。「墓があるだけましだ。貧乏が悪い」と父はよく言っていたのを思い出す。土葬は貧しき者の最後の証なのかと思えると、それも悲しくもなる。

 「墓」は墓参する為の物だから土葬でも火葬でも違いは無いと思いたいのだが、現代の感覚から言えば親族を土葬にすると言い出したら誰かしら止めに入るだろう。しかし、弔う行為をしない訳ではないので立派な墓石だとしても墓参りに誰も来なければ無意味な物でしかないと思える。例え漬物石の様な物でも弔う側が墓石と思って見れば良いだけだが、感覚的な話なので賛同して欲しくて書いてはいない。

 疑問に思うのだが土葬は現在では禁止されている。海や山に散骨をして「墓」を作らない人も居る。法律上は土葬はダメだが、散骨専門の粉砕機で粉状にしていれば法律上は問題ないそうだ。個人的な意見では散骨には抵抗がある。「海(山)に還った」と遺族はそう表現するかもしれない。どう弔うかは亡くなった本人の希望に添う様にすべきだとは理解している。

 しかし、散骨にはメランコリーな感覚なのではないかと。遺族が感傷的に故人に思いを馳せるのを否定はしない。けれど「墓」と言う概念を持つべきではと思っている。「墓」と言う概念が無い原始的な生活を送っている人達が居るのも知っている。原始的な暮らしをしていると故人を弔わない訳ではない。少なくとも「天国に行っちゃった」と言った感覚で死を捉えるのは良くない。

 アフリカ原住民では女性が産んだ子供が自分より先に死んでしまうと、手の指を切り落とす習慣がある。指と言っても爪先で根本からは切り落としはしないが、多産で長寿な人は両手の十本の指が切られている人も居る。それを野蛮な行為と非難するのは間違っている。アフリカ人の弔い方がそれなのだから。どう弔うかは宗教的な背景があるので「野蛮だ」と単純に割り切れない。

 ふと思うのだが私がアフリカ人だったらと考えてしまう。手を見ると指先が三本無い。小指は初めて産んだ子だったが直ぐに死んでしまった。薬指は女の子だったが病気で死んでしまった。中指は男の子で元気だったが戦に出て死んでしまった。と、そんな妄想をしてしまう。指を切り落としたアフリカの女性にとって手を見る事が弔いなのである。となると「墓」はこの場合、切り落とした指の「手」と言う事になる。

 この様に地域や文化の違いはあるが故人を弔う行為は何かしらある。要点として「故人を偲ぶ事が出来れば何でもいい」と言ったら「いい加減にしろ。ちゃんとお経を上げて墓を作って、墓参りしろ」と御年配の方からはお叱りを受けるだろう。ただ私は土葬も火葬も知っているので、世の中が変われば葬儀も変わると思っている。それなので「死者」と向き合う事が出来れば良いのだと言いたい。

 話を「土葬は何故しなくなったか」に戻す。詳しくは知らないが土葬から火葬に移行した時期は江戸時代頃かと思う。民俗学者では無いので飽く迄も私の推論でしかないが、人口密度が高いと土葬にするには色々と問題が出るのではないか。当時の記録があれば知りたいのだが、単純に考えれば墓地のスペースの問題なのかと。土葬の場合はある程度の面積がなくては出来ない。火葬によって遺骨だけならばそれ程、置く場所を取らないだろう。

 父の祖父母の場合は土葬が一番金の掛からない方法だったのだ。田舎なので墓地にする土地は都会と違って多い。一つ疑問に思うのだが祖父母の墓を見ると、宗教的に土葬と火葬を選べたのは五十年前くらいまでだったのかと思う。宗教的に土葬より火葬が広まったのは太平洋戦争後なのではないかと。戦時下の宗教観について語る人が居ない、と言うか語りたくない人が多いのは理解している。日本の宗教について書くと要らぬ語弊を招くので書きたくない。他国、キリスト教は土葬であるので火葬に対してどの様な目で見ているのか気になるが。

 「葬儀」程、身近な儀式はないのに日本は土葬から火葬にする事に違和感なく移れたのが不思議である。大概の人は外国で暮らせば「何の宗教に入っているのか」と聞かれると、一応は「仏教」又は「神道」と答えるだろう。しかし、普段から宗教を意識しているかと言えば殆ど無いのが現状である。「貴方の家に仏像はありますか?」と問いかける。そう言っている私の家には仏像は無い。辛うじて神棚があるだけだ。では宗教的には「神道」になるのか、と言えば私は意識した事が無い。

 宗教的な事に無頓着で「葬儀」をする人が多いのが現状である。親族が亡くなって初めて宗派を知る人も居るだろう。それで「弔う」事が出来るのか疑問である。普段から自分がどんな宗教的背景を持っているか気にする必要があると言いたい。宗教に対してアレルギー体質とでも言うべきか、必要がある時しか宗教を意識しないのでは逆に「墓」が欲しいと思った時に大きな失敗をすると言いたい。

 「墓」を必要だとは思わない人は別に「散骨でもいいだろ」と言い放つだろう。「神道」のお葬式に参列した事があるが「神様の所に行くので墓は作らない」と聞いた事がある。それでも神社内には名前を書いた札の様な物を置くそうな。感覚的には自分の死後に散骨を希望する人なら「神道」式な葬儀も考慮したら良いだろう。

 私は散骨に抵抗があると書いたが、それは宗教的な背景が見えないからである。「なら墓を作ったら宗教か」と意地悪な質問が出て来るだろう。これも「墓が必要だから宗教も必要」なのか「宗教によって墓が必要」なのかの問題かと。

 自分なりの「葬儀」を提案する事を否定する積りは無いが、残された遺族が「墓」を必要だと思うなら何かしらの墓参りの場所を提供する義務が故人にはある。それがヘリコプターから山中や海上に散骨したのでは何処を見て弔うのか分からなくなる危険性がある。それなので決まった場所に「墓」を立てる方が良いと言いたい。

 必要の無くなった「墓」はどうするのかと言った疑問も出るだろう。「墓」だからと言って何時までも残して置くのは変な話である。必要のない物は捨てる。誰も墓参に来ないならそれまでである。「自分が死んでも誰も墓参りに来ない」人なら好きな様にすれば良いが、それでは惨めなのではと言いたいだけである。

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