たかぴい商店=出張ハトヤ

⁡長町一丁目フラワー通りにある昭和43年創業の駄菓子屋さん「ハトヤ」が、アートな福祉施…

たかぴい商店=出張ハトヤ

⁡長町一丁目フラワー通りにある昭和43年創業の駄菓子屋さん「ハトヤ」が、アートな福祉施設「アート・インクルージョン」のアーティスト・たかピーとコラボレーション。だがしの出張販売・⁡昭和のおもちゃあそび⁡などの出店活動のほか、ハトヤの記憶を発掘する「ハトヤ・アーカイブス」も展開中。

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  • ハトヤ・アーカイブス(Archives of Hatoya)

    仙台市長町一丁目・フラワー通りにある駄菓子屋さん「ハトヤ」(2024年末閉店)をとりまく、まちの記憶とちいさな物語。ハトヤ店主ノブ子さんと常連さんへの聞き取り、文献調査、単なる滞在をベースにしたのんびりとしたかかわりかたで、「ハトヤとはどのような場所だったのか」を調べ、記録します。

最近の記事

08 駄菓子と子ども #ハトヤ・アーカイブス

たかピーさんは元自衛官。後方支援担当として、護衛艦「ゆうぐも」に乗り込み、日々300人分の食事をつくっていました。(すごいですね!と言うと、いやーーもちろん1人でやっていたわけじゃないですよー!と笑い返すたかピーさん。) その後、八木山ベニーランドの職員、ほっぷの森スタッフを経験し、現在はアート・インクルージョンのスタッフとしてアーティスト活動をしています。 アート・インクルージョンでは長年描き続けてきた「アルマジロくん」等のキャラクターイラスト、雄勝石を用いた作品、ミュ

    • 07 たかピーさんと駄菓子 #ハトヤ・アーカイブス

      アート・インクルージョンのアーティスト・たかピーは昭和49(1974)年生まれ。 たかピーさんのおばあちゃんおじいちゃんは、むかし若林区文化町で駄菓子屋さん(兼牛乳屋さん)を営んでいました。たかピーさんも小学生くらいのころ、両親と一緒によく訪れてはそこで駄菓子を食べていたそうです。 「牛乳屋さんがメインだったのかも。牛乳配達してました」 (たかピーさんもそこで駄菓子を食べたり?) 「『(駄菓子)持ってって!』って言われるもんだから、調子こいてたくさん食べてましたね。馬

      • 06 仙台市電から地下鉄へ #ハトヤ・アーカイブス

        かつて、仙台のまちなかを路面電車が走っていました。「仙台市電」です。 1936年に市電長町線が開通し、青果市場ちかくに「長町一丁目」停留場ができました。1964年に市場が閉鎖され、いまのフラワー通りができると、市電に乗ってやって来るお客さんで商店街は賑わったそうです。 しかし、1976年に市電は廃止されました。すでに自動車が普及していたため、周囲に駐車場のなかったフラワー通りは少しずつ人通りが減っていきました。 「地下鉄南北線が開通(1987年)するまでに昼のお店はどん

        • 05 フラワー通りができるまで #ハトヤ・アーカイブス

          2023/06/20(火) 今日はハトヤが入っている商店街「フラワー通り」について話を聞きました。 * この通りができた当初は、いまのような看板もなく、「フラワー通り」という名前もありませんでした。最初、かまぼこ屋さんの「鐘崎」がこの商店街に店を構えていて、立ち退く際に「看板を残していくので使いませんか」と提案し、フラワー通りの看板の原型ができたそうです。 その後、お店の数も増えて通りが賑わってきました。いま「ヒルズエステート」という不動産屋さんがはいっている建物のと

        08 駄菓子と子ども #ハトヤ・アーカイブス

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        • ハトヤ・アーカイブス(Archives of Hatoya)
          8本

        記事

          04 宿り木 #ハトヤ・アーカイブス

          インタビューをつづけていると、ぞくぞくとお客さんがやってきます。 もう20年以上の付き合いだと言う方。最初はOh!バンデスでハトヤの看板犬をみて、犬に会いに来たのだと言います。 たくさんのうまい棒をカゴに詰めこみながら思い出を語ってくれたあと、「いつもこうやってお供えしてるんだ」とドッグフードを犬の写真のまえにそっと置いて、店をあとにしました。 つづいていらっしゃったのは今年91歳になるというおばあちゃん。近くのスーパー「モリヤ」に行くためにフラワー通りを杖つきながら歩

          04 宿り木 #ハトヤ・アーカイブス

          03 おもちゃハトヤ、はんぶんこ #ハトヤ・アーカイブス

          ハトヤにむかし来ていた少年が22、3歳になってお店にやってきました。彼は「おばちゃん、お店半分貸してくれない?そこでお好み焼きとかつくって子どもに売ってみようとおもう」と言いました。 ノブ子さんは、ちょうど品物も売れずに困っていたこともあって、家賃収入で立て直しを図ろうと、快く承諾しました。しかし、2年も経たずにその少年は体調を崩し、お店を休業、家賃も滞納するようになってしまいました。 その後あらためてテナントを募集したところ、いまから20年くらいまえに、いまの居酒屋さん

          03 おもちゃハトヤ、はんぶんこ #ハトヤ・アーカイブス

          02 ハトヤ閉店危機…? #ハトヤ・アーカイブス

          旦那さんが平成2(1990)年に亡くなったとき、おもちゃも売れないし、会計はずっと旦那さんに任せていて自分はできないから、もうお店を閉めようかしら、とノブ子さんは考えました。1か月くらい休業して悩みました。 ある日、お店に来てみると、ハトヤのまえにひとりの子供が立っていました。 「おばちゃん、いつお店あけるの?」 その子の姿をみて、「続けなさい!と言われているように感じた」とノブ子さんは言います。会計士さんの後押しもあって、ついにお店の再開を決意します。 (つづく)

          02 ハトヤ閉店危機…? #ハトヤ・アーカイブス

          01 おもちゃハトヤ、開店! #ハトヤ・アーカイブス

          2023/06/12(月) 長町一丁目フラワー通にある駄菓子屋さん「ハトヤ」と、一番町にあるアートな福祉施設「アート・インクルージョン(Ai)」の共同プロジェクト。 今日は、Aiのアーティスト・たかピーさんと一緒に、ハトヤ店主のはなしを聞きに行ってきました。 * 昭和43(1968)年におもちゃ屋さんとして創業した当時、店主・ノブ子さんは23歳でした。最初はいまのフラワー通ではなく、表通(奥州街道)沿いにお店があったようです。 4年ほど経って、大竹茶舗の大竹さんから

          01 おもちゃハトヤ、開店! #ハトヤ・アーカイブス