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ロックよりも、ヒップホップが好き

そんなに詳しいわけではないが、最近聴く音楽といえば、日本のヒップホップばかりになっている。
中学生になってすぐ、マイケル・ジャクソンの「スリラー」にやられて洋楽ロックに夢中になった。高校生になったらより刺激を求めて「ヘビーメタル」を聴いた。大学生のときはボブ・マーリーの「レゲエ」に傾倒して、社会と音楽の関わりに興味を持った。社会人になってからは特にジャンルには拘らず洋楽を中心に聴いていたが、40代からは日本のヒップホップばかり聴いている(いわゆるMCバトルのことではない。ヒップホップの一形態ではあると思うが、私はあまり興味はない)。

私が日本のヒップホップを聴くようになったのは、stillichimiya(スティルイチミヤ)との出会いがあったからだ。
彼らは山梨県笛吹市一宮町を拠点に活動する5人のヒップホップグループだが、その起源は「平成の大合併」への反対運動だった。ふるさと一宮町が合併によってなくなってしまうことに憤った若者たちが、その想いをラップに乗せて、ヒップホップという音楽で世間に異を唱えた。その後も「おれらの現状」をローカルから発信し続けている。そんな彼らと出会ったのは、2011年公開の映画「サウダーヂ」の制作のときだった(私はこの映画の制作集団「空族」でプロデューサーを務めた)。この映画の舞台は私たちの住む甲府で、ここの現状を「土方・移民・ヒップホップ」の群像劇を通して表現しているが、この映画のキャストとしてstillichimiyaに参加してもらったのが、私と彼らとの出会いだった。

私が高校生まで夢中だったロックは、「田舎を捨てて都会で一旗あげる」という志向が強い音楽だと思っている。日本では矢沢永吉がその典型的イメージ。成り上がり文化、アメリカンドリーム。ロックは東京に集まっていて、全国の聴衆の憧れも東京に集中する。田舎でロックやってる若者たちも、ロックスター目指して上京する。まさにロックには中央主権的音楽の一面がある、とこれは私の偏見だが、勝手に思っている(勿論そうではないロックのあり方も知っています)。
一方、ヒップホップはその起源からして地方分権的音楽だと思っている。アメリカの黒人ゲットーで生まれ、各々の地域に根ざした表現をその地域に拠点を置いたまま、全国の/世界の地域に向けて発している。メジャーとマイナー、都会と田舎の差別は感じない。このあり方は、stillichimiyaから学んだものだから、ヒップホップというジャンルでどこまで普遍的なものかは分からない。ただ、彼らを通して同じようにローカルに根付くヒップホップグループやラッパーを多く知り、やっぱり若い頃に私が憧れてきたロックとはだいぶ違うな〜と実感する。また、若い世代だけではなく、私と同世代で札幌を拠点にしてきたTHA BLUE HERBには、その典型を見て取れる。

そして今、私がヒップホップばかり聴いているのは、その音楽のあり方が今の自分の生き方に近いからだろう、と思っている。
50歳を過ぎて、高校の同級生の集まりがいくつかあった。進学校だったから、ただ一つの価値観「勉強していい大学に入って、いい会社に入る」をガッツリ共有した同級生たち。卒業から25年経ち、もうそれぞれ生き方は固まってきたかな。当初の目的どおりいい大学に入った者も、まあまあの大学に入った者も、会社ではそれなりの立場になって、今ではみんな部下の教育に苦労している。そして多くの同級生たちの仕事と生活の拠点は東京。自分の子どもの進学先や就職先もみんな東京。ここでは「地域」や「ローカル」なんてワードはひとつも出てこない。いい歳して、ヒップホップ聴いてるやつなんていやしない。やっぱり今でもみんなロックを聴いているんだ。みんな東京を目指して努力してきて、そこでそれなりの豊かな暮らしを実感している。高校生のときの価値観は今でも疑いようがない。そして、それは彼らの子どもにも引き継がれているだろう。ヒップホップは野蛮な音楽に聴こえちゃうのかな。
そんなことを同級生たちの酔っ払って赤くなった顔を眺めながら思っていると、ふと気づく。おれだって山梨にいながら、ちょっと前までロック一辺倒だったじゃないか。ワインツーリズムで一躍有名になったり、そのあと選挙に出たり、そして今のペレットストーブ事業でも、頭の中は全国展開でいっぱいだった。地元そっちのけのロックスター気取りだったな。
その高校の同級生の集まりで、私が近況報告で「あえて地元に根付いて、そこから甲府の現状や価値を表現する」と言ったとき、彼らはそのこと自体に理解はしてくれた。でも、その生き方の意味とか価値とかまでは、どこまで理解されたかは疑問だ。少なくとも、自分の子どもに勧めることはないだろう。ただ、彼らが都会で生活しているから理解が乏しいのか、と言えばそうではない。(私もそうだったように)田舎で生活していても、東京のロックは一流で、山梨のロックは二流だと信じている人々はたくさんいる。いや、大多数の価値観、つまり常識だな。だから、アメリカ資本や東京資本が地元に初出店するというニュースは、いつでも田舎のトレンド1位になる。

全ては生き方の選択だと思う。
あんなに憧れていた東京だったけど、地域やコミュニティを実感できる生活が欲しかった。あんなに憧れていた政治の世界だったけど、信頼関係の上に成り立つ選挙ができなかった。あんなに憧れていた事業拡大だったけど、そんなことよりも、ひとつひとつ確実な成果を残す仕事の方が大切だと知ってしまった。私はロックの生き方をやめました。
stillichimiyaの音楽は、彼らの生き方の表現だ。空族の映画も、彼らの生き方の表現だ。そして芸術だけじゃなくて、仕事やお店だって生き方の表現だ。オーナー自ら支那そばをつくり続ける「蓬来軒」、まちの一角を丁寧に彩る「寺崎コーヒー」、ネットに負けないアウトドアショップ「エルク」、今や自然派商材のメッカ「有機村」、地域を暖める我が「studio pellet」。たくさんある。ビジネスは小さいけれど、ここの主体になって、ここで信頼勝ち取って、ここで自立する姿を世間に見せている。ヒップホップなお店、ヒップホップな生き方。
勿論、山梨を去って東京で暮らす同級生の仕事も、彼らの生き方の表現だ。山梨にいながら多店舗展開する経営者にだって、生き方の表現がある。大きな市場でビジネスを大きく育てて、全国/世界を股にかけたい生き方、ロックな生き方。

そりゃあローリング・ストーンズのロックはいつ聴いたってカッコいい。久しぶりに聴くBOØWYにはシビレる。アメリカンドリームの映画にもつい涙しちゃう。でもやっぱり、おれはヒップホップを聴く。

ということで、現在、当社では上記のような生き方の表現に興味のある社員を募集しています。一緒にやってみませんか?


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