見出し画像

制作日誌⑦:実りの季節

ここでは本作の監督がつづった制作日誌を全7回にわたって掲載します。
本作のご鑑賞と併せて、是非ご一読ください!

**************

夏の撮影が終わり、後は秋の撮影を残すのみ。一年かけた撮影もいよいよ大詰めを迎えたのだが、大きな問題が発生した。

編集が進んでいないのだ。完成の締め切りから逆算すると、秋に撮影をするのはありえないと大学の講師陣に言われる。しかし秋の要素がなければ作品として成立しない。締め切りに間に合わなければ卒業できないと言われるも、そんな脅迫に屈せず僕らは高沢に向かった。

とは言え、不安だらけではあった。具体的撮影の内容の案が出せず、漠然とした喜純さんの「何か」しかスタッフにも伝えられなかった。そして、その何かを撮れるチャンスは二度もないだろう。僕は喜純さんの撮影を一度だけ、帰京する前日に決めた。この一度の撮影に喜純さんの思いを凝縮させるため、僕らはこの間喜純さんとの会話を控えた。喜純さんの僕らと話したい欲を焦らして、色んな話を引き出させる作戦だ。喜純さんに悪いと思ったがその思いは無視した。後ろめたさを感じている場合じゃない。必死だった。

喜純さんの撮影は2時間以上に及んだ。「これならイケるかも」と何回思ったか分からない。はっきりした手応えがなかったのだ。本気で「これならイケる」と思うことはその後の編集でもなかった。制作の終盤は怒涛すぎて作品を作った実感が湧かなかった。

それでも、作品が自分の手から離れ、誰かのものになることの喜びは味わった。完成後の上映会に始まり、映像祭参加、ケーブルテレビでの放映などによって、ささやかではあるが作品を観てくれた人から反響があった。大学を無事に卒業し、テレビ番組の制作で小忙しくする生活の中でも、「高沢」は僕の人生に良い刺激を与え続けた。

2020年の豪雨で高沢は甚大な被害を受けた。こんな強い刺激は全く必要ないのだが、これを期に高沢の人たちと再び連絡を取り合い、現地へ行き、拙作を配信することになったことは素直に嬉しい。  

そして今度は僕が、今回の取り組みによって高沢に良い刺激を与えたい。たくさんの人に「高沢折々」を観てもらい、少しで多くの人が高沢を想ってくれることを願っています。

 **************

そして、撮影から3年後に喜純さんが亡くなりました。喜純さんと出会えたから『高沢折々』を制作することができました。感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。

喜純さんは撮影以外の日も家にスタッフを家に招き、色んなお話をしてくれました(2014年撮影)
よく自宅の縁側から双眼鏡を使って高沢を見渡します(2014年撮影)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?