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制作日誌②:ゲートボール

ここでは本作の監督がつづった制作日誌を全7回にわたって掲載します。
本作のご鑑賞と併せて、是非ご一読ください!

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「高沢に行く人を乗せるなんていつぶりだろ」

タクシーの運転手さんがつぶやく。熊本県八代市の八代駅から鹿児島県霧島市をつなぐJR肥薩線の一勝地駅から車で15分。山道を上った先に高沢地区がある。都会で生活してきた僕にとっては、この時点で不便な場所だと思った。さらに進むと道路脇に立てられた「ケータイ利用できます FOMA」の看板が視界に入る。人が寄り付こうにも無理な話だ。

浄土真宗が盛んな地域に毛坊主の文化があると言われている。その一つが熊本県球磨村高沢地区だった。

高沢に到着。タクシーを降り、集落の中央を通る道を歩く。人が暮らす気配のない家や閉店した商店、古びた理容室などが目に入る。村人にも出くわさない。11月の曇り空と枯れ木も相まって暗然たる雰囲気。限界集落、過疎地といった言葉が頭に浮かぶ。

ひとまず、高沢の元祖毛坊主と思われる高沢徳右衛門の墓を見ようと丘を上る。

すると、集落に来てから皆無だった人の声が聞こえてくる。丘に上がると、そこは広場になっていた。そして10人ほどのおじいちゃん、おばあちゃんがゲートボールをしている。ボールを打つ音とその後に湧き上がる歓声が曇天に響く。さっきまでの暗い気持ちはどこかへ消え去った。

これがきっかけだった。閑散とした集落の風景とそこに暮らす賑やかな人たち。この相反する二つが共存している場所が僕には魅力的に映った。

結局、毛坊主の取材は上手くいかなかったのだが、あの妄想していた「肩書きのない普通の人たち」をここなら撮れるかもしれない。僕の妄想は膨らみ続け、卒業制作の企画を変更することに。そして運よく制作が決まったのだった。

こうして、幾ばくの期待と不安を抱えて、高沢に通う日々が始まった。

ちなみに現在は大体の携帯キャリアは繋がる模様。不安定ではありますが……(2014年撮影)
冬は寒さが厳しく、皆さん着膨れがすごいです(2014年撮影)


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