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衛生観念の難しさ

しばらく前から牛乳を飲んだコップをすすいだり洗ったりせずに放置してまた使っているのを見て「お腹壊すからちゃんと流して」と頼んだのですが、衛生観念というものがまったくない娘にとっては「ちゃんと洗う」とか「ちゃんとすすぐ」というのはものすごい難問です。それよりだいぶ前は水だろうがジュースだろうがコップを使い捨てのように使ってキッチンに並べられていたのです。それだと洗い物が増えるので、水とかお茶を飲んだコップはすすいでまた使ってと頼んだのです。お茶や水なら大丈夫だろうと思ったら牛乳でそれをやるわけです。しかも、本人もちゃんと流したつもりはなさそうですが、チャッと流しただけでそのままだから、コップの中に水で薄まった牛乳が残っているのです。それで平気でまた水や飲み物を飲むのです。

やめてくれええええええええええええええええええ。

叫びはしませんが、見つける度に毎回そんな気分です。気持ち悪いと思うんだけど全然平気なんだよなあ。牛乳に味の素大量にぶちこんで飲んだりもしてたし、味がおかしくてもあんまり気にしないんだよなあ。どうにもならん。

もう以前のように毎回新しいコップを使ってもらってもいいかという方に気持ちは傾きつつあります。その方が安心です。考えてみると娘はしょっちゅうお腹を壊して下痢をしています。原因はコップかもなあ。今朝もそういう状態のコップを見つけて洗いました。コップの中はぬるぬるでした。これで飲み物飲むとか考えられないよ……。

コップの汚れだけでなく、娘は食べている最中にこぼしたものを拾って食べます。やめなさいと言ってもやめません。なにがなんでも拾って食べたいようなのです。なんか発達障害的なこだわりでもあんのかなあ。百歩譲って家の中なら諦めます。小学中学高校と学校でもやってたんだろうなあ。テーブルの上はともかく床に落ちても拾って食べるからなあ。海外で暮らしてたら案外平気なのかもしれません。でもここは日本です。

キレイにしたくないということではなく「汚い」とか「汚れ」という概念がピンと来ていないようです。子供の頃からずっとなのでこっちも慣れてしまっていますが、たまに、上述のコップの中の薄まった牛乳みたいな状態で、はっと思い出すのです。

食事に関することだけではありません。それこそ生理の血がパジャマに付いていても本人は全然平気です。気にしたくてもできないので仕方がありません。ただ、これは(元)妻の指導の賜物で、生理が始まったら洗濯という流れが習慣づけられています。ありがたい。

娘の病気は状態が悪くなると衛生観念が失われてしまう傾向はあるそうです。暇な時にネットであちこち読んだ記録では、着替えも拒絶して何年も同じ下着で過ごしたせいで下着が肌に癒着して大変なことになってしまったみたいな事例もありました。汚れが気にならなくなるとか着替えができなくなるというのはやはりどこか病的な状態だということのようです。

さすがに娘はまだそこまでひどくはありません。ですが、最近はお風呂に入らないとか着替えないというタイミングが増えています。一週間以上風呂に入らなかった日々も発生しています。(元)妻がいた頃は娘の状態が落ち着いているタイミングで朝風呂とか昼風呂を勧められたので、それが風呂に入らない状態が長期間になってしまうのを防いでいました。今は私のワンオペなので平日の日中に風呂に入ってもらうのは無理です。

以前は長風呂で疲れてよく眠れるようにと湯船のお湯の温度をややぬるめに設定していました。しかし、最近になってぬるい風呂でも熱い風呂でも娘の入浴時間に変わりがないのに気がつきました。なので、最近は以前より熱めに設定しています。その方が汗をしっかりかいて汚れも落ちそうです。

そんな娘ですが、風呂に入ったらアイスの習慣は定着しました。逆に風呂に入らない日は食べません。その辺はこだわりというわけでもなさそうです。謎です。

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