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仕事も社会も生活も複雑怪奇になりすぎてひと昔前なら優秀だとされたはずのヒトでもついていけなくなりはじめているのでは

自分もいい加減にいい年齢なので自分より若い皆さんと仕事をすることのほうが多くなっています。優秀な方と仕事をできる機会が多いのはこの業界のいいところだと思います。自分はもうどうでもいいのですが、若い方にはもっともっとそういう機会を作ってあげないとなあと思いつつ生来の貧乏性が遺憾なく発揮されるおかげで業務の外注などは激減してしまいました。まあでもそのおかげでなんとかかんとかやっていけてるという実状もあるのでなんとも言えませんが。

コロナ以前から気になっているのは、特に若い方に顕著ですが、ものすごく優秀です。あれもこれも出来て当たり前、そんなことまでできるんだ、みたいな。自分より上の世代はけっこう味のあるボンクラも多くて、それはそれで嫌いではなかったのですが、最近はそういう味のあるボンクラの入り込む余地がどんどん少なくなっています。ボンクラのように見えてもしたたかに計算していたりするのを見ると怖ろしいとすら思います。生き馬の目を抜く弱肉強食の世界。怖い。

そんな風に思うようになったのはいつからだったか、正確なことは思い出せません。ですが、私より上の世代にはダメ人間がたくさんいたことを思うと、私より少し下ぐらいの世代から何かが変わったということなのかもしれません。先輩に当たる業界人の皆さんの適当な仕事っぷりを見て「これならオレにもなんとかできそうだ」と思ってこの業界に足を踏み入れた自分などもボンクラのほうです。ボンクラのまま定年です。厳しいようなホッとするような。

で、そういう優秀な若い皆さんを見て思うのは「ああ、私や上の世代のぼんやりとした仕事っぷりでは今の時代を生き抜けないんだろうな」ということです。いや、昔は残業自慢で働き通しだったじゃないかと言われそうですが、連日残業と言っても会社で寝てたりしてましたからね。深夜残業とか、非効率もいいところだったし。ひとり暮らしで家に帰っても暇な若者とか遅くまでなんとなく仕事してたりだったしなあ。正直、残業しないでカチッと仕事をしている今の皆さんのほうがキレッキレで仕事していると思います。昔のヒトはダルダルです。

若い皆さんがキレッキレでピキピキ仕事をしているのは全然いいんですが、そういうありとあらゆることに細かく気を使って広く知識を得て様々な作業も厭わずポジティブにこなしていく姿を見ると、そういうスーパーな皆さん以外は生き残れないんだろうなと。なんか適当にチカラを抜いてなんとなく仕事をこなしてじゃあ同じ空気を吸うことも厳しくなるのだろうなと、最近はそんなことばかり考えています。

仕事に限った話ではありません。今回も「年金分割」なんてこれまでの人生で耳にしたことも目にしたこともありませんでした。こんなこと、誰でもしっかり把握してサクサク処理できているのでしょうか。すごいな。

実際には全然そんなことはなくて、例えば年金分割の場合は、知らなかったり知ったのが遅かったり当事者同士でのやり取りがうまくいかなかったりなんだりでその恩恵に預かれないという事態も少なくないそうです。

知っていたりちゃんとできたりするヒトは困らないのに知らなかったりちゃんとできなかったりするヒトだけが一方的に困ってしまう話は多いです。福祉の関連の申請などはほとんどがそう。すべてを把握して過不足無く申請できるヒトのほうが少ないのではないでしょうか。福祉の場合は必要なヒトのほうが知らなかったりちゃんとできなかったりする場合が多いというのも考えものです。

これから先AIや機械が単純労働を担うようになると、そこで働いていた人々の働き先が無くなると言われています。逆にそういう仕事のほうこそ人間が担うようになり、知的労働と言われていた仕事のほうが危ないという見方もあるようです。どちらにせよ、人手不足の問題もあり、様々な職種や業種でAIや機械(自動運転車など含む)がヒトの代わりに働く例は増えることでしょう。

人間に残るのは機械に指示するような仕事だという方もいます。なるほど。でも、指示を出すのって大変じゃないですか。苦手な方も多いです。指示された通りに作業をしているのが楽だという方は指示する側に回りたいと思うでしょうか。なかなか難しい問題です。

人手不足と言われている現状でも仕事に対する需給のバランスはおかしなことになり始めています。比較的給与が安い割にキツイ仕事で人手不足が叫ばれていますが、給与を引き上げたところでヒトが集まるかどうか。稼げるヒトはもっと楽な仕事を探すんじゃないでしょうか。

そして、ここで問題なのは、給与が安くても一所懸命に働きたいと思っていても、仕事が複雑怪奇になりすぎてついていけないという層です。一昔前なら家族経営の職場で働いたりもできたのに、今はそういうところがありません。だからと言って働きに出ても優秀な仕事っぷりを求められると続きません。

昔、その頃はまだ珍しかった店内調理のあるコンビニで深夜にバイトしていました。基本的に暇で楽な仕事でしたが、早朝に少年野球の一団がやってくると途端にひとりではさばききれない絶望的な忙しさになりました。アレはキツかった。書店でバイトしていた頃は各種資格試験の申し込みを覚えなければならず、あれも面倒でした。プリペイドカードなどが使われ始めた頃はカードごとに機械の操作を覚えなければならず、チケットカウンターもあったのでそちらの対応も複雑怪奇で、バイト期間が長くなってからもわからないことが多くて大変でした。

今のコンビニバイトはさらにやることが多そうです。しっかりしたマニュアルやレジでの自動化が整備されているとは言っても、覚えることが多いと大変です。日本語を覚えたての留学生がコンビニのレジに立っているとその苦労と努力に頭が下がります。普通に日本語話せてもコンビニの店員できないヒトは多いんじゃないかな。自分もあやしいです。

世の中が複雑になりすぎるとついていけないヒトは増えます。もしかするとこの世の様々な事柄はひとりの人間の限界を越えてしまったのではないかという気もしています。インボイス導入で事務処理が大変だという話があります。クリエイティブな才能を持っていても事務処理が苦手だったりするのはよくある話ですが、複雑怪奇になるとそこで脱落するヒトは増えます。そういうのは税理士なり会計士なりに頼めという方もいますが、他人に頼むのも苦手なヒトは苦手です。というか、ひとりでやるのが性に合っているヒトは「頼む」のではなく「(全部信頼して)任せる」でないと難しいはず。そうなると信用できるかとかなんとかとまた別の問題も出てくるはず。

なんかもう、普通に暮らすとか普通に働くということの大変さを思います。ちょっとボンクラで怠け者だけどなんとなく働いて暮らしていけるだけの収入を得てそれを無駄に使わず少しは貯めて、たまに自分の好きなことや大事なことにお金と時間を費やして。

書いていて思いますが、それって大変じゃないでしょうか。

んー、(元)妻がよく言ってた「普通ってすごいよ」の気持ちがちょっと分かるような気がしてきた。確かに普通すごいな。

すごいよ、普通。

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