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睡眠の恐怖

昨日、娘が独り言でよく口にする「死」の話題は睡眠と結びついているのではという可能性に触れました。娘は眠りと「死」を相似のものとして受け止めているのかもしれません。

思い当たる節があります。

病気を告白した年の年末だったと思います。年中行事の雰囲気が大好きな娘は起きたまま年を越すのだと言って寝ないでがんばっていました。無事に年も明けてさて寝るかというタイミングで娘が寝ることに対する不安を言い出しました。寝たら死んでしまうのだそうです。そんなことはないよと言っても聞きません。寝たら死んでもう起きられないと娘は言います。なにを言っても無駄です。寝るのが怖いのです。寝たら死ぬ。何度もそう言っていた娘のそばで様子を見ていると怖くて目を閉じられないようです。目をつぶると死んでしまう。

かなりがんばった娘は布団をかけ直してもらって温かくなってからスウッと寝てしまいました。起こさないよう静かに移動したことを思い出します。

病気のことがなければ眠ったら死ぬという思い込みは可愛いエピソードに過ぎません。ですが、病気のことがあるので「死」を話題にされるとこちらも過剰に反応してしまいます。「死」に対する渇望、いわゆる希死念慮を懸念してしまうのです。

娘の中で睡眠と「死」が結びついているのではないかという出来事は他にもありました。ある日、やはり寝たら死ぬみたいなことを言っていた娘が気を失うように眠ってしばらくしてから目を覚まして言うには「死んでた」でした。こちらは死んでねえじゃんと笑うのですが本人は大真面目に「死んでた」と主張します。眠ってるのと死んでるのは違うよと言ってもやはり聞きません。

睡眠と「死」の結びつき、私も少しわかる気がします。私は子供の頃からそこそこ頻繁に「死ぬ夢」を見ます。夢の中での死は様々なシチュエーションで訪れますが、共通しているのは「死んだ」と思った瞬間の後のなにもない暗黒というか「無」です。死ぬと思いながら意識を失い完全な無が訪れます。音も光も意識も空間も、なにも認識されません。

そのあと、激しく息をしながら目覚めます。今体験した「死」が夢だったことを確認しますがやや不安です。

激しい息とともに目覚めるというのがポイントで、睡眠時無呼吸とか、そういうことなのかもしれません。実際、息が止まっていることはあるようです。子供の頃からそうだったのかもしれません。息が止まって脳への酸素の供給が減って意識が薄れるのを「無」と認識しているのだとすると納得です。

もしかすると娘も睡眠時無呼吸なのかもしれません。体重が増えると睡眠時無呼吸に至る可能性は高まります。そうでなくとも寝ている姿勢やのどの状態などで息が止まって意識が薄れることはありそうです。

娘が「死ね」とか「自殺した」とか「死んでもらった」とか言う時、希死念慮につながる何かはまったく感じません。睡眠と結びついているのだとすると色んな意味で納得です。

深夜や早朝の絶叫は寝入りばなや猛烈に眠いタイミングだったりすることが多いです。これも眠気に死を感じた娘による眠気が擬人化された睡魔なり死神なりへの必死の抵抗なのであれば少しはわかる気がします。

統合失調症は何らかの形で「睡眠」と関連しているのではないかという思いが常にあります。眠れないとか起きていないのではということだけではなく、眠ることに対する本能的な恐怖が死にものぐるいの絶叫や寝ないための独り言を呼び起こしているのかもしれません。さらにそうして頑張って寝ないことでますます妄想が加速するのかもしれません。

睡眠への恐怖と抵抗が妄想の原動力になっているのであれば世界中で言葉や環境が違っても妄想が似たような類型に落ち着くのもなんだかそんな気がしてきます。

まあ、こういうのはあまり思い込んでも仕方がありません。統合失調症の妄想や独り言、暴力衝動や希死念慮の原因については何も分かっていないのが現状です。私が考えて「そうか!」とはならないでしょう。そんなものです。

とりあえず、眠るのが怖いみたいな状況は作らないようにしたいと思います。

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