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自#033|人は、人を裏切ります(自由note)

 ジェイソンムラーズは、ヴァージニア州の出身です。高校を卒業後、ニューヨークに出て、演劇のスクールに通います。ニューヨークでは、アコースティックの路上ライブをやったくらいで、たいして爪痕を残さず、西海岸にやって来ます。まず、サンフランシスコに行きますが、その後、サンディエゴに落ち着きます。ニューヨークもヴァージニアも東海岸です。東海岸から西海岸までの距離は、ざっと四千キロです。四千キロの距離感がつかみぬくいかもしれません。東京から敦煌(西域の入り口)くらいの距離です。インドヨーロッパ語族は、基本、ノマドです。どこかに行こう思ったら、しゅっと行っちゃいます。

 サンディエゴのJava Joe'sと云う店で、毎週木曜日に歌うようになります。ライブを始めた頃の観客は、10人ちょっと。まあ、誰もが通過する道です。

 ファーストアルバムに、Absolute Zeroと云う曲が収録されています。absolute areaでは ありません。そういう絶対領域のカケラもない、まったくのゼロです。暗い、ブルージーな曲です。暗い曲を、カッコ良く聞かせるだけのスキルを、まだこの頃のジェイソンムラーズは備えてなかったと言えます。

I'm too hard work.
I'm sorry for wasting your time.

仕事が忙しくて、人を裏切ったと言うことです。もっと、具体的に言うと、音楽で上に行くために、恋愛を切り捨てたってことになるのかもしれません。が、青春時代に、誰かを裏切らないなんてことは、まず絶対にないです。人は、人を裏切ります。これが、漱石の「こころ」のテーマです。人を裏切ると、当然absolute zeroに陥ります。全部、チャラして、またそこから這い上がって来る、青春時代なら、それができます。もっと、正確に云うと、20代なら可能です。30代になって、それをやってしまうと、つまり、お役所言葉で云う所の「信用失墜」してしまうと、失った信頼は、もう二度と、取り返せません。

 3枚目のアルバムの6番目に「Love for a child」と云う曲が収録されています。その前の5番目の曲は「Live High」と云う曲です。これは、ジェイソンムラーズが書いた、アンセムです。Live Hige、Live Might、Live righteouslyと、堂々と歌い上げています。これに対し、「Love for a child」は、懺悔の曲です。歌詞のcontentを、私流に多少、想像も付け加えながら、解説してみます。

 キッチンの壁に写真が飾ってあります。イエス様と、その仲間たちって感じに見えます。イエス様っぽく見えるのは、つまりジェイソンムラーズの父親です。いつだったか、ガラスや瓶が割れて、部屋が修羅場になって、結局、母親は父親を追い出してしまった。今、庭で、パーティが始まって、車の中では、sexをしていて、母親が、新しい彼氏を連れて来て、人生をenjoyしている。こういう光景を見るには、自分はちょっと、まだ若すぎる。で、プールのとこに行って、ドラッグをでたらめに混ぜて、そのドラッグで頭をやられて、自分がおかしくなり、目が覚めたら、排水溝のとこにぶっ倒れてた。そのヘンから、人生のどん底のどん底に落ちてしまった。
 両親の離婚の後、それは、別にどうってことない。クリスマスは二度祝える。誕生日ケーキは、2回食べられる。こっちは、勝手にドラッグに手を出し、女の子と寝て、成績もぼろぼろ。
 What a fool I'd be start complaining now.
が、今さら文句を言うなんて、それほどバカじゃない。
 When you're young, it's Okay to be easily ignored.
親だって、若かった。子供は、ネグレクトされても、全然、OKだから。

 ネグレクトされて、OKな子供なんて、世界中、どこにもいません。ネグレクトされて、傷ついて、地獄の底に落ちて、そこから這い上がって来る若者と、這い上がって来れない若者がいるだけです。ジェイソンムラーズは、3枚目のアルバムで、偉大なる魂の復活劇を見せた、まあそう云う風な言い方もできます。

 3枚目のアルバムの半分くらいの曲は、メールのやり取りで、こしらえたそうです。このアルバムが出たのは、いまから12、3年前ですから、SNSは、まだ一般的ではありません。が、SNSじゃなくても、メール通信でも、送られた来たデーターをアレンジし、付け加え、加工し、何度かやり取りをしている内に、楽曲の形になって行きます。

 今、オンライン飲み会が、ブームです。アナログの生の人間ではなく、ネット上の画像を通して、情報交換をするので、いつもだと言えないことが、ふわっと言えちゃうみたいなとこも、きっとあります。データーのやり取りの場合だって、面と向かってはなかなかできない、思い切ったアレンジとかに、challengeできそうです。

 3枚目のアルバムの中で、一番、キャッチーな曲は、コルビーキャレイとコラボして作った「Lucky」と云う曲です。
Lucky was written via email with Colbie Caillat.
と、英文のライナーノーツに書いてありますから、この曲も、メール送受信で作った曲です。ラブソングですが、ベタベタしたとこがなくて、sea breeze 、海のそよ風のように、さわやかで、さっぱりしています。つまり、濃くないんです。恋人と云うより、my best freindと一緒にいて、happyみたいなニュアンスの曲です。私はメールもSNSも詳しくないです。インターネットには、フェイクは、いっぱいあるんだろうと思いますが、正直、重くはないだろうなと云う気はします。ヨハネの黙示録のような地獄を、インターネットで表現するのは、ちょっと難しい気がします(もっとも、これは私の個人的な根拠のない感想です)。軽いノリで、人類が平和と福祉をshareして生きて行く、そう云う所を目指せるツールだろうと勝手に思っています。どっちにしても、それほど深入りはしないので、安全なとこから喋っている、幼稚な発言かもしれませんが。

 ところで、代表曲の「I'm yours」。
There's no need to complicate. Our time is short.
This is our fate. I'm yours.
複雑に考える必要は、全然ない。人生は短い。これは運命。僕は君のものだから。
まあ、ここは、解り易いverseです。
It's our god-forsaken right to be loved loved loved.
解りぬくくはないけど、やっぱり解りぬくい。神に見捨てられた権利。神に見捨てられることが権利だとは、キリスト教徒は、絶対に考えません。to 不定詞から先に修飾して行って、愛されるための神に見捨てられる権利。うーん、これも、どうなんだろうって感じです。
 We're just one big family.
これは、バガバッドギータではなく、ウパニシャッド哲学なんじゃないかって気もします。が、まあヒンズー教のバガバッドギータは、バラモン教のウパニシャッド哲学も、別に、どーんと来いやってことなのかもしれません。

 ジェイソンムラーズの3枚目は、キリスト教的ではなく(つまりヘブライズムではなく)ずっしりと東洋的なアルバムです。

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