「ありがとう」と言うのは売り手ではなく買い手ではないか
なんでもやってみる母さんの投稿を読んでみた
きみのお金は誰のため
が非常に良かったので感じたことを書いてみます。
人に喜ばれる仕事がしたくなった
この本を読んで思った率直な感想。
自分はこれまで「なんのために働くのか」と言う問いが嫌いで、半期に一度の評価面談でこの手の質問を受けるのが嫌いでした。
(そういう上司に逆質問しても、ちゃんと答えてくる来る人は少ないのが悲しい)
しかし、↑の記事にも書いてる通り子供が生まれてからはっきりと「子供が働ワクワクして働ける社会にしたい」と思うようになりました。具体的には
先天的な特性、後天的なスキルなど個人を活かすことができる
時間、場所に囚われず働くことができる
たくさんの人に「ありがとう」と言われる
こんな働き方ができる社会に繋がる仕事を選ぶようにしています。
お金はありがとうを伝える道具
お金を渡すこと=ありがとう
こう思うようにしたい。
作中にも引用されているフリードマンの「鉛筆を作れる人はこの世の中にいない」という言葉。
改めて触れてみてその通りだよなと。
鉛筆を買う自分
鉛筆を組み立てる人
鉛筆の芯の素材(黒鉛・粘土)を作る人
枠の木を加工する人
木を切る人
鉛筆を組み立てる人は、大きな木を切ることは出来ない人が多いですよね。
だからこそできないことを人に依頼して、モノの代わりにお金を渡している。自分ができないことを誰かにお願いしてお金を渡しているのだから伝える言葉は「ありがとう」ですよね。
ふとジョージアのCMの「世界はだれかの仕事でできている」が脳内に流れてきました。笑
「ありがとう」と言うのは売り手ではなく買い手ではないか
この本を読んで自分なりに整理してみると、やはりお客様は神様である。
という言葉はズレていると感じます。
モノ・サービスを作り届ける人がいて初めて買うことができるのだから。
ただ、勘違いしてはいけないのは作り届けるのは「ありがとう」と言われる誰かが価値を感じるものでないといけない。
「ありがとうの総数が少ないモノ・サービスの淘汰」進められなかったことがお客様が神様。なんて言葉を生んでしまったと思っています。
「ありがとうの総数が少ないモノ・サービス」であればあるほど、自分が最も嫌いなものの一つである「執拗な営業電話」をしていると個人的に考えています。
100人に電話して99人が不要でも1人でも必要であればOKという考え。
99人が断るので買ってくれた1人はとても神々しく見えて神様のように見えてしまうのかもしれませんね。
ありがとうが少ない=お金が少ないので、営業電話をしている人の給料も低い。(これを補助金とかで補ってしまうせいで淘汰されない)
日本の人口は減ってるので、ありがとうが少ない仕事はしているべきではないですね。
今日も読んで頂きありがとうございます。
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