見出し画像

旅人の僕が実際に目にしてきたシリア難民についての一大レポート(前編)

(このレポートは、シリア難民問題が大きく取りざたされていた2015年9月当時に僕のTwitterアカウントにアップした文章を、note用に編集しなおしたものです。リアルタイムではありませんが、今でもたくさんの方に目を通していただきたいお話なので、どうか最後までお付き合いください。)


最近インターネットのニュースやこちらのテレビなどで頻繁に取り上げられている「シリア難民」に関する問題。

そして、偶然にも今僕がいる国は、その難民問題で揺れる渦中のハンガリーです。

ただ、今回僕がスペインからはるばるここハンガリーにやってきたのは、歯医者さんに通うという目的のためであって、難民問題に関する目的などでは全くありませんでした。

所詮は僕もただの旅人であり、ただの部外者。

たまにインターネットなどでは目にしていたものの、この問題について深く考えたことなどなかったんです。

渦中のハンガリーに滞在していてもなお。

僕が今泊まっている安ホステルでも、各国からやって来た若い旅人たちがこの問題について話し合うことなどほぼありません。

僕も含め、彼らが話すのは、ここブダペストの見所や食べ物の情報。

薄情かもしれませんが、これが現実です。

多分日本でもそうじゃないでしょうか。
ニュースでたまに取り上げられはせよ、どこか遠い国でのどこか遠い出来事。

もちろん深く考え深く憂慮する方もたくさんいるとは思いますが、やっぱり大半はそういった感じだと思います。

何度も言いますが、僕もそうだったんです。
情けないですが、こうして長年世界を旅しているはずの僕ですら。


そんなある日、僕はたまたまブダペストの東駅に行く機会がありました。
ヨーロッパ各国への国際列車が発着する大きな駅です。

ここは、最近ドイツなどの国へ向かう難民達が押し寄せて大きな混乱となり、この間まで一時的に駅自体を封鎖していた場所でもあります。

国際列車を利用する何人かの旅人が足止めをくらって困惑していたので、僕もそのことだけは知っていました。

でも、聞くのと見るのではやっぱり何もかもが違い、実際に駅構内に足を踏み入れた僕は衝撃を受けました。

もう駅の封鎖は解かれていて、コンコースにはたくさんのテントが張られ、何百人もの難民の人たちがたむろし、列車を待つ長い列を作り、ある人は怒鳴り合い、ある人はここまで来た安堵からか笑顔が絶えず、ある人は深く考え込み疲れた表情で、自分たちの状況を理解しているのかしていないのか子供達が楽しそうに走り回り、ボランティアが歩き回り、食事や衣服を配給し、柱にアラビア語と英語の情報が貼られ、そこら中にゴミが散乱し、かなりの腐敗臭が鼻をつき、そんな中をキャリーバッグを引いた一般旅行客が縫うように歩く。

それはまさにカオスな状況でした。

でも、それはテレビやネットの世界ではなく、まさしく「現実」の世界でもありました。

ああそうか、僕は今偶然にもそんな渦中の国を旅して、まさにそんな場所に来ているんだなあ。

ようやくそれを実感したんです。


ただ、正直な所、心の準備の全くできていなかった僕は、初めのうちはかなり怖じ気付きもしました。

なんだこれは、と。僕はここにいていいのか、と。

でも僕は結局そこに何時間も滞在しました。
何を言ったところで、やっぱりどうしても全てから目を離せなかったから。

そしてなにより、写真を撮りたいと強く思ったから。


僕がいた何時間かだけでもやはり色んなドラマや発見がありました。

ただ、この駅での話は後で書けたら書くことにして、今は話を前に進めます。


とにかく、僕がたまたまこのブダペスト東駅に行ったことが全ての始まりでした。

宿に戻った僕は、まるで人が変わったように今回の難民問題について調べ始めました。

えっと、もうすでにしっかり理解されている方も多いでしょうが、僕みたいな人のためにも、一度ここで、僕が自分自身で調べたり、この数日間で色んな人から聞いた話などから(難民の方々から直接聞いた話も含む)、今のヨーロッパの難民問題について少しおさらいしてみたいと思います。


ご存知のように、今世界情勢はとても不安定です。
特にシリアやイラクなどの中東諸国やアフガニスタンなどでは内戦や圧政が続き、状況はとても深刻です。

それにより、多くの国民がなんとか生き延びるために家族と一緒に国から逃れるわけです。

そして、逃れて目指す先というのがドイツやスウェーデンといった西ヨーロッパや北ヨーロッパの国です。

特に多くの難民がドイツを目指します。

なぜならドイツはヨーロッパの中でも一番の経済大国ですし、難民の受け入れにも寛容と言われているからです。

ドイツならば、住む場所も食事も一定のお金も与えられ、語学の勉強までさせてもらえると聞きます。

他の国々とは圧倒的に待遇が違います。
だから彼らは、とにかくドイツに向かうのです。

でも、ドイツまでの道のりは気が遠くなるほど危険で壮絶で長い長い道のりです。

まず、今のこういう状況を利用した悪徳業者が存在していて、トルコなどから劣悪な密航船やゴムボートを出して、難民たちをギリシャに渡します。

そして、悪徳業者は切羽詰まった難民の状況に付け込んで法外な値段を請求します。

でも、逃げて生き延びるためにはそれしか方法がないので、難民たちは全財産をはたいてでもそのお金を払わざるをえません。

中には、国に残る人たちから大きな借金をして渡る人もいます。
いつかお金を貯めて、残った彼らもこちらに連れて来れるようにと夢見て。


そして命からがら何とか無事にギリシャに到着した彼らは、今度はバルカン半島を北上していきます。

他にもルートはありますが、ドイツまでは大体こういう感じです。


ただ、もちろんバルカン半島北上も苦難の連続です。

ギリシャや次のマケドニアやセルビアでも難民申請の手続きは出来るには出来ますが、それは施設の劣悪さや各国の経済状況から見ても非現実的なので、これらの国は通り過ぎるだけです。

でも、ビザを持たない彼らが正式に国境を越えれるわけではないので、国境警備隊や警察に見つからないように森などに身を隠しながら時には数十キロも歩き、警備が手薄な場所を探して国境を越えます。

そんな中、今の混乱を狙って難民を襲い、なけなしのお金を奪う強盗集団もいます。人間のクズ共です。

実際に多くの難民が被害に遭っています。

だから難民たちは、少しでも危険を回避するために大体がグループで行動します。

今の時代は携帯やフェイスブックなどがあるので、グループがあれば、先に国境越えに成功した仲間から、どこが危険だとか、どこから国境を越えればいいかとか、越えた後はどうすればいいかなどの情報も交換できるので。


とにかく様々の苦難の末、ようやくバルカン半島を北上してたどり着くとても重要な国がここ「ハンガリー」なんです。

そのポイントは「シェンゲン協定」。

シェンゲン協定っていうのは、ヨーロッパの国家間で誰もが国境審査なく自由に国を往来できる協定で、バルカン半島北上の後は、ここハンガリーがそのシェンゲン協定の始まりの国なんです。

つまり、ハンガリーに入ってしまえば、もうドイツや他のヨーロッパ諸国まで国境審査がないということ。

ただ、この後ドイツで難民認定を受けて生活したいとはいっても、EU(欧州連合)内には、難民に対してはEUの最初の到着国でまず難民登録をしなければならないっていうルールがあるので、

とにかくまずここハンガリーで一旦難民登録をして、それを受け入れてもらう必要があります。

だから、ハンガリーに到着した難民たちは、まず難民登録のためにまずハンガリー内の難民キャンプに送られます。

でも、最近その難民の数が半端なく激増しているわけです。

おそらく、シリアなどの国では情報が広がり、もうそういう流れができてしまってるんでしょう。
自分たちの国を逃げ出すなら今だって。生き延びるのは今しかないって。

そして、内戦のシリアや中東だけじゃなくて、この機に乗じて、今はアフリカなどからも貧困によって逃げてくる人がたくさんいます。

とにかくヨーロッパに押し寄せる難民全体の数が凄いことになってるんです。


で、困り始めたのがハンガリー。

ハンガリーはもともとEUの中でも裕福ではない国で、経済に余裕もありません。

他の国と同じで、一応ハンガリーで難民申請も出来るんですが、この仕事も少ない経済の厳しい国で申請する人はほぼいません。

やっぱりドイツや北に行きたいんです。

それなのに、まずハンガリーに難民が殺到してくる。
そしてEUのルールに従って難民登録をしなければいけない。
でも、治安や警備の諸問題もあるし、もちろん財政もひっ迫する。

そのジレンマの中、もうこの難民問題は完全にハンガリー政府の処理能力や許容範囲を越えてしまいました。

そこで政府は、これ以上の難民の流入を防ぐために、セルビアとの国境に有刺鉄線や4メートルのフェンスなどを設置しました。

これには他のEU加盟国から非難が相次ぎましたが、ハンガリー政府は「他に代替案があったら教えてほしい。国境管理の強化は我々の義務だ。」と押しのけました。

しかしそれでも、ここまで決死の思いでやってきた難民は有刺鉄線などもくぐり抜けてハンガリーに入国しようとして、警察に拘束されたりします。

この前、ハンガリーの女性カメラマンが殺到するシリア難民の人々を蹴って国際的な問題になっていたのが、この国境です。

一方、すでにキャンプにいた難民たちも、早く動きたいのになかなか進まない登録作業、劣悪なキャンプ環境などに耐えかねて、自分たちの足でドイツへ向かおうと大勢がキャンプ地を脱走して警察と衝突、高速道路を占拠して歩き出したりもしました。

そして、難民登録を終え、ようやく首都のブダペストに到着した難民たちも今度はさっきの東駅で足止めをくらいます。

そして、北の国に向かう列車に乗り込むチャンスを待つため、何百人もの人々が駅構内にテントを張って何日間も泊まり込むのです。

で、この状況を打破しようと、政府は数日間国際列車の発着を止め、駅自体を閉鎖したりもしたわけです。


とにかく、このように今ハンガリー内では、増え続ける難民に対する問題で何もかもが大混乱しています。
(それでも、ただブダペストだけを旅行する一般の観光客にとっては、その東駅にでも行かない限り、こういう難民問題を全く感じることなく普通に楽しく観光できてしまうのが現実だけど)


そして今、ヨーロッパ内の国々の難民受け入れに対する姿勢も、各国民の世論も完全に割れています。

ドイツは元々難民の受け入れに対して寛容で、それもあって今難民が押し寄せているわけですが、一昨日ついにそのドイツですら、増え続ける難民の数が完全に許容範囲を越えて、今後ずっとか一時的なものか分かりませんがとにかく一旦難民の受け入れ停止を決定。
シェンゲン協定からも一時撤退して、今後は国境審査を始めると発表しました。

つまり、ここまで来てもう難民は自由にドイツに入国することができなくなったのです。

これはとても大きな事態です。


ハンガリーの首相は、ここまでの対応を見ても分かるように難民問題に対しては強硬姿勢を取っていて、

「これはEUの問題ではなくて、ドイツの問題だ。誰もハンガリーやスロバキアやポーランドにとどまろうなどとは考えていない。みながドイツを目指しているわけだから。」

と、ルールがあるからしかたなく難民の登録をしているだけだと強調しています。

そして、はっきりと「難民は欧州に来ないで欲しい」とも述べています。

政府報道官に至っては、

「隣国に逃げた人を難民と呼ぶのは理解するが、そこから何カ国も経由して欧州に来るのは彼らが『よりよい生活』を求める『不法移民』だからだ」

だとさえ言い切ります。

しかし、これには国連の難民事務所や人権団体などが、「欧州以外に受け入れ先が見つからない難民たちの現状を無視した理論だ」と激しく批判し、

もう元々の紛争を止めるか、各国で協調して受け入れ態勢を整えない限り、国境に壁を築こうと、警備を強化しようと人々の流れを押しとどめることは出来ないと主張しています。


そして、ヨーロッパ内の世論も割れていて、今各地で、移民を受け入れるべきだというデモや、受け入れは反対だというデモなど、どちらも行われています。

反対派にしてみれば、移民が増えれば自分たちの仕事が奪われてしまうかもしれないという不安や、治安に対する不安、後、どうしても偏見や差別もあって、

シリアの難民はやはりイスラム教徒がほとんどなので、ヨーロッパの人の中には「イスラム教=イスラム国(IS)」じゃないかという間違った解釈の漠然とした不安なども持っている人もたくさんいて、テロなどに対する不安もあるようです。

しかし実際に、この大量の難民移動のどさくさを利用し、そこにISの情報部員などが紛れ込んでいて、何かを企てている可能性もないとは言えないわけです。


と、まだまだ細かい話は山ほどあるんですが、とにかくこのように今ヨーロッパはこういった難民問題で揺れに揺れています。

その中でも、難民にとってヨーロッパの玄関口であるここハンガリーは特に。

そして僕は数日前にブダペスト東駅に行って衝撃を受け、その後こういう事情を大まかに知ったわけです。

自分が今まさしくその渦中の国にいるんだということも。

そして、何だか気持ちのざわつきが抑えられなくなってきて、僕はこの問題で今一番重要な場所である、ハンガリーとセルビアの国境地点について調べ始めてしまいました。

いや、この時点ではまだ別に本気でそこに行こうなんて考えていたわけではありません。
ただどの辺りにあるのか、ブダペストからどのくらい離れているのか、とにかく調べるだけ調べてみようと思っただけです。

すると、問題になっているのは「ロスケ」という村の外れの国境地帯だということが分かりました。

地図で見る限りとても小さな村です。

ハンガリー自体がそこまで大きな国ではないので、ブダペストからも南に170Kmほどの距離でしょうか。

うーん、もしかしたら…。

ただ、写真や動画があれほど撮られているということは各国の報道機関はきっと車でそこに向かっているんでしょうが、他に公共交通機関で行く方法はあるんでしょうか。
僕には車なんかないですし、そもそも旅が長過ぎて日本の免許の期限もとっくに切れてしまっているので。

すると、これは調べるのが本当に大変だったんですが(小さな村なので英語のサイトすら情報がほぼない)、本数は少ないですが列車を乗り継げば何とか「ロスケ」までは行けることが判明しました。

しかも、広いブダペストには列車の駅がいくつかあるんですが、「ロスケ」に行くための最初の列車は、なんと僕が今泊まっているホステルから徒歩数分のものすごく近い駅から出発することが分かったんです。

ただ本当に行くとなると、行きに3時間半ぐらいかかりそうなんですが、本数も少ないことから1日で往復というのはあちらの滞在が短くなってしまうので、「ロスケ」からまた少し離れた町で一泊することになります。
(ロスケに宿などはないから)

でもこれも偶然なんですが、これが僕がブダペストに到着したばかりの数日間なら、僕は連日歯医者に通わなければいけなかったので、「ロスケ」に行って帰ってくるのに2日間も取られるっていうことは無理そうだったんですが、

この時僕はちょうど歯医者の手術が終わったばかりで、次の抜糸の回まで何日間も時間に余裕ができたところだったんです。

こうなってくるといつも僕はなにか運命みたいなものを感じずにはいられません。

ああ、僕はどうしても「ロスケ」に行かなくちゃ、って。


ただ問題は、いくらロスケに行く方法が分かったといっても、実際は今国内の列車網は混乱が続いているので、ちゃんと運行するのか、ちゃんとたどり着けるのかは、はっきり言ってその日に行ってみないと何も分からないということ。

そして例えロスケに着いたとしても、そこからは何の情報もありません。

国境といっても広いので、一体どこへ向かえばいいのかとか、そもそも一般観光客が近づけるのかとか。

それでも行きたいと強く思ったんです。

きっと行けば全ては分かります。
無理なら無理、大丈夫なら大丈夫。それでいいです。

もちろん危険なことが起きる可能性もないとは言い切れませんが、全ては僕の自己責任です。

そして誤解してほしくないので先に言っておきますが、僕がそこに行けたところで一体どうするのか、何をするつもりなのかというと、特に大義な目的はありません。

善いことをしようとか、悪いことをしようとか、そういう思いもありません。

ただただ、その機会があるのなら自分の目でもっと現実を確かめたい、それを自分の手で写真に収めたい、という自分個人の強い欲求です。

でも、僕はいつもそうやって旅をしてきました。


というわけで、4日前の9月12日朝5時、僕はハンガリーとセルビアの国境の村「ロスケ」に向かうべく、ブダペストの宿を出たのです。


中編につづく…。

(スマホのTwitterアプリから来られた方は、リンクが作動しない時があるので、お手数ですがこの下の「次のノート」をクリックするか、SafariやChromeなどのブラウザに切り替えてお読みください。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?