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「あのモーレンジィに」─バーテンダーの視(め)

「あっ、あの瓶すごく綺麗!なんのお酒ですか?」

 そんな質問に「これはですねぇ……」と目の前のバーテンダーが得意げにお答えする。新しいお客様への会話では定番の流れである。

「ボトルの形やラベルのデザインに統一感のある物が並んでいると目立ちますよね。これは”グレンモーレンジィ”と云うスコットランドのウイスキーで、オレンジ、赤、白、藍色などカラーによって味が違うんですよ。ほら、ここ見てみてください」

 と、ラベル下部を指差しながら

「オリジナル、ラサンタ、キンタルバン、ネクタードール、アルタ……など、サブタイトルが付いています」

「へぇ、本当だ。ウイスキーは興味があるけど、どうやって飲んだら良いですか?」と、ここまでは良し。

「全てストレートで楽しんでもらえるランクのお酒ではありますが、オレンジ色のオリジナルはソーダで割ると柑橘系の香りがたって美味しいです。他は香りと甘みに伸びがあるのでロックスタイルが合いますね」

「1番甘めなのは?」

「赤のラサンタ」

「じゃあ、それをロックでください!」

 営業前に削っておいた丸い氷をカランとグラスへ入れウイスキーをトクトクトクと注ぎ入れれば、はい完成。ごゆっくりどうぞ。

 普段の接客サービスの流れを文章におこすのは少し難しいのだけれど、ここまで読んでいただいた紳士淑女の方々にはこの一連のやり取りに違和感を覚えた方もいるかもしれない。僕は『グレンモーレンジィ』の魅力について、ほとんど触れていないからだ。

「お前のお酒の説明なぁ、ちゃんと伝わってないぞアレ」

 僕にBARの接客を叩き込んでくれた人はそう言った。随分前の事になるが、印象的な一言だった。それに対して「キチンと説明できてると思うのですが、どういう事ですか?」とすぐに返してしまったのは当時まだまだ若かったからだろう。

「違う違う。”お客様が聞いてない”んだよ。知ってる事を全部話すのが良いわけじゃない」

 次の日から意識して反応を見ていると、なるほどと思わされた。確かに、全く人の話を聞いていない人がいる。そもそも酔っているのが前提であるのがBARだ。カップルや会社の同僚と来ている人達は隣に気を使っていたりもする。バーテンダーの話に100%注力出来ている人はごくわずかだった。

 『グレンモーレンジィ』はスコッドランドのハイランドという地域のウイスキーで売り上げ世界一を経験した事のある最も人気なウイスキーの1つだとか、一定の熟成の後に貴腐ワインの樽やシェリーの樽に詰め替えて味に変化をつける”ウッド・フィニッシュ”が最大のウリであるとか、それに関して昔は批判する同業者が多かったけれど貫いた事で世界中にこの技術が広まって今では日本でも使われている手法だとか、以前の僕であれば全ての方にこの説明していた。

「ここまでは良し」と心の中で何度も確認しつつ、お客様の興味の続く深度で会話をする。これがBAR接客の基本なのかもしれない。

 しかしながら”小うるさくて勉強してますアピールをするバーテンダー”は誰しも一度は陥る通過儀礼みたいなものなので、見かけた際にはまだそこの段階にいるんだなと生温かい目で見守ってあげてくださいな。

 何年やってもそこから抜け出せない方々も、おりますけれどね。

『バーテンダーの視(め)』はお酒や料理を題材にバーテンダーとして生きる自分の価値観を記したく連載を開始しました。 書籍化を目標にエッセイを書き続けていきますのでよろしくお願いします。