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西山夘三の嘆き/加古里子の願い|高層アパートと持ち家・一戸建てをめぐって

1974年12月27日。帰宅した西山夘三(1911-1994)は家に残されたメモ書きを発見します。「子供がアパートから落ちたのででかける」。それは西山の最愛の孫ふたりが、高層アパートのバルコニーから転落したことを伝える娘からの書き置きでした。

西山の孫はそれぞれ5歳長女と3歳長男。高層アパートの最上階である11階からの転落で、長男は即死、長女はかろうじて一命をとりとめました。孫を亡くすというだけでも大きな悲しみを伴う惨事である上、実は、高層アパートに住まうことをアドバイスしたのは、住まいの研究に関するエキスパートである西山自身だったのです。

遮音性能を考えると最上階がよいだろう。夏は暑いかもしれないが、日照・通風もよい。11階建てという高層アパートに居住経験のない西山は、「息子のすまいを通して住み心地を実験してみるいい機会」だと、研究者らしく考えたのだそう(『住み方の記[増補新版]』筑摩書房、1978)。

「一九七四年は、私にとって暗く苦い年であった」。そう書きつける西山の心中は察するに余りあります。この1974年は、孫を失っただけでなく、最愛の妻もガンで亡くしていたのですから。

明るい光・新鮮な空気につつまれた高層住宅

敗戦から2年たった1947年、建築学者・西山夘三は新しい日本の復興と建設へ向けたヴィジョンを書き連ねた著書『これからのすまい―住様式の話―』(相模書房、1947)を出版します。

その内容は戦前の日本ではなかなか実現できなかった住まいの改善を、焦土からの再建、敗戦からの復興をキッカケに前に進めようという野心的な提言となっています(図1)。

図1 復興建設住宅の計画基準案

この本には「復興建設住宅の計画基準案」(1946.4)と題した西山の提案も収録されていて、冒頭、その提案内容を示す図が掲げられています。そこにはこうあります。

将来の都市住宅は・・・・・・
ゴミゴミした低層のイエから
明るい光・新鮮な空気につつまれた
高層住宅へ

焼夷弾が雨あられと降り注いだ戦時下日本の都市部において、都市や住まいの不燃化は悲願でした。また、人口増加による住宅難は、焼け野原になったことで最悪の状況になります。そんななか西山は、新しい都市住宅は当然に不燃化された高層住宅であるべき、と考えたのです。

そんな西山の判断は、その背景に社会主義国家ソビエトへの羨望がありました。都市部にせよ、農村部にせよ、西山の提言・提案には常にソビエトの色合いが混ざりこんでいるのです。それゆえに、その後の日本がたどる自民党政権による持ち家政策や、住宅産業が誘導する個人主義かつ資本主義的な戸建て住宅幻想には敵意を隠しませんでした。

だからこそ西山は、長男夫婦とその子供ふたりの住まいについて助言を求められたとき、高層アパート最上階を薦めたに違いありません。とはいえ、高層住宅の住み心地実験はあまりに高い代償を伴うものでした。

あきこちゃんのうち/あきえちゃんのいえ

科学絵本作家として膨大な数の絵本を生み出した加古里子(1926-2018)は、住まいをテーマとした絵本も描きました。なかでも『あなたのいえ わたしのいえ』(かがくのとも:福音館書店、1969)は住まいに求められる基本性能を分かりやすく、かつ科学的に描き出した科学絵本の名作として知られます。

ところで加古は、『あなたのいえ わたしのいえ』とは別に『あきえちゃんのいえ ジロのいえ』(童心社、1984)と題した絵本も描きました(図2)。この絵本は主人公のあきえちゃん一家が一戸建て住宅を建設し、そこに引っ越す過程を描いた内容。

図2 あきえちゃんのいえ ジロのいえ

あとがきには次のように書かれています。

私は家についての本を何度か書いてきましたが、もう一度この大切な家を新しい見方でとりあげてみました。(中略)最もおくれ貧しい状態におかれているのが「住」であるからです。しかもただ広ければとか便利であればよいのではない重要な点を、ぜひしっかり考えてほしかったからです。
(加古里子『あきえちゃんのいえ ジロのいえ』1984)

バブル景気突入前夜、加古はこの絵本にどんな思い=新しい見方を託したのでしょうか。それを探るには、加古が手がけたもう一つの絵本、『あたらしいうち』(こどものとも:福音館書店、絵・村田道紀、1960)が有効な手掛かりになるのでは中廊下と思うのです(図3)。

図3 あたらしいうち

『あたらしいうち』の主人公は、「あきえちゃん」ならぬ「あきこちゃん」。まだ更地の建築予定地を家族で眺める場面から新築工事がはじまり、そして竣工・引っ越し。サイドストーリーとして、近所に住むたみおちゃんと仲良くなるお話しも並行して描かれます。

『あきえちゃんのいえ ジロのいえ』と『あたらしいうち』。主人公である女の子とその一家が新しい住まい(木造在来工法)を新築する過程を描くというもの。そのなかで家の造られ方が丹念に描かれること。そして、近所の男の子(前者はたみおちゃん、後者はサブちゃん)が仲良くなること。強い雨風が新築現場に被害を与えないかと主人公が心配すること。これらの内容は両著に共通したものです。

それら共通点はたまたまではなく、やはり、加古が「住」について伝えたいエッセンスがその展開に含まれるからでしょう。そして、あとがきに記したように「もう一度この大切な家を新しい見方」でとりあげた、その「新しい見方」は、両著の共通する点ではなくって、異なる点にフォーカスすることで見えてくるはずです。

加古が願ったこと/西山が願ったこと

『あたらしいうち』では、住宅新築の動機は描かれず、唐突に家づくりはスタートします。ところが『あきえちゃんのいえ ジロのいえ』ではかなり具体的に説明がなされています。その動機とは、現在住む6階建ての団地(あきえちゃんは4階に住む)が、体の弱いあきえちゃんに不向きなこと、そして、ひとり暮らししている祖母と同居するため。

新築する住宅も木造在来工法は共通するものの、平屋建てから2階建てへ。そして、どうやら土壁ではなくなっているし、内装も左官仕上げはグッと減少している模様。外壁もリシン吹付に。このあたり、1960年代と1980年代というオイルショックの前と後という時代の違いでしょう。

さらに異なる点として「おかね」=住宅資金に関する発言がチラホラみえるのと、犬の存在があります。『あたらしいうち』には登場しないその犬は、サブちゃんがあきえちゃんにプレゼントしたもの(たみおちゃんのプレゼントは花束でした)。それが本のタイトルにもなっているジロ。

あきえちゃんのお父さんは通勤距離が長くなったのが大変。でも、休日には日曜大工でジロの犬小屋を作ってくれます。

こうしてみえてくるのは、高層住宅の団地住まいでは享受できない住まいの質といえましょう。ちょうどバーバパパたちが鉄筋コンクリート造のアパートを出て、自分たちで住まいをセルフビルドしたように、あきえちゃん一家は団地を出るのです。そうして実現する、おばあちゃんとの時間=三世代同居や、ペットとの交流、自然や庭での遊び、日曜大工の実践といったことは、団地住まいでは得られない体験なのでした。

加古の言う「最もおくれ貧しい状態」である「住」に足りないもの。広さや便利さではない「重要な点」とはまさにそうした住まいの質だったのです。そんな加古にとって、住宅建設の工業化はさして問題ではなかった点もまた、技術者出身の加古らしくて微笑ましくもあります。

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ところで、突如おそった孫の死という悲劇を受け、西山夘三は住まいのあり方について考え直すに至ります。

より根本的には、小さな子供のある家庭は高層住宅に住まないことである。家人の監視下で自由に外で遊べるように、一定の成長段階の子供のある家族では、緑の庭をすぐ家の前にもてるようにしたい。高層アパートの小さな子供たちは、家の中や廊下、エレベーター・ホールなどで遊んで外に出たがらないことも指摘されている。彼らにとって高層アパートは非人間的な「欠陥住宅」なのである。
(西山夘三『住み方の記[増補新版]』1978)

家族構成に応じて住まいを替えていく、そんな「住みかえシステム」を西山は力説します。その実現に向けて「住宅の社会的管理」が必要だと考えました。

住宅は人々の生活の本拠ではあるが、もともと土地と同じく個人の私有物であるべき筋合いは毫もない。(中略)個人が自分の責任で住宅をつくり、私有物としてしがみついているなどということはバカげたことである。(中略)いずれ国民の住宅を全国土的規模で合理的に社会的に整備し管理するシステムがつくられることになるだろう。
(西山夘三『住み方の記[増補新版]』1978)

孫の死を経てもなお、ソビエトの呪縛から西山が解放されたわけではありませんでした。国民の住宅を全国土的規模で合理的に社会的に整備し管理するシステムという社会主義的な仕組みが依然として理想に掲げられるのです。

それは西山夘三と加古里子それぞれの「住」に対する願い、求める「住まいの質」の距離としてあらわれているようにも思えます。

そして、より現実の複雑さを感じるのは、高層アパートでの住み心地実験を助言し、自民党政権や住宅産業の持ち家・一戸建て主義を非難する西山は、実は持ち家・一戸建て住宅に寝起きしていたということ。

老いた西山はこう書きます。「子供たちをふくめて、若い人が老人のすまいに来てくれるのは有難い。老後のすまいとは訪問者を待つすまいなのかもしれない」と。たくさんの子と孫に恵まれた西山です。本当は庭付き一戸建ての持ち家で、皆で一緒に暮らしたい。そう言いたかったはず。でも庶民住宅研究の大家にとって、それは容易なことではなかった。そう思います。

(おわり)

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