新興木構造4

木造建築を動員せよ!|〈創造的代用〉としての新興木構造【1】

「しんこーもっこーぞー」ってご存じでしょうか。漢字では「新興木構造」と書きます。戦時中、建物に鉄なんか使ってられない状況にあって、木材、しかも細小材を使って大空間(飛行機の格納庫とか)をつくる技術です(図1)。

図1 新興木構造の施工例

この「新興木構造」の研究開発をめぐっては、鉄が使えないという消極的理由を積極的な意義へと読み替えていくアクロバティックな「語られ方」が見られるほか、そこでの努力が木造建築研究の大きな進歩へもつながったという興味深い史実を観察できます。

鉄が使えないから木でどうにかする

後に建築構造学研究で名をなす竹山謙三郎(1908-1986)が、大蔵省営繕管財局で働いていた頃、つまりは戦時中のお話。営繕管財局に所属する研究関係者一同が集められ、上司から次のようなお達しがありました。

国産の細小材を使ってどんな大張間の建物でも建てる方法を考えよ。もしその研究命令が成就すれば、かねて局内の研究営繕局の関係者が強く希望していた大蔵省営繕局内に国立の研究所を創立してやろう。
(竹山謙三郎「土壇場の囚人」『建築雑誌』1983.9)

日支事変からこのかた国内の建築事情は悪化の一途を辿っていました。輸入材の使用が禁止されたほか、「飛行機格納庫は物置みたいなもんで戦勝に貢献しないんだから、そんなものに鉄やコンクリートを使うな」と軍部から命令が下ります。そもそも鉄骨トラスやコンクリートのシャーレンなくして建てられないものだったのに。

そんなキビシイ状況のもと、先の上司の発言が飛び出したのでした。竹山たちはドイツから文献を取り寄せ、「国産の細小材を使ってどんな大張間の建物でも建てる方法=Freitregende Holz bautem」を研究。見事その研究命令を成就しました。

ちなみにドイツでこうした技術が開発されたのには当然に理由がありまして、それは第一次世界大戦による軍需資材の膨大な需要増。鉄骨造および鉄筋コンクリート造の大構造物を木構造へ転換する必要に迫られたのでした。そこでの技術蓄積が、巡り巡ってはるか東国、戦時の日本へ移入されます。

竹山たちの努力あって無事に研究開発された「国産の細小材を使った大張間の建物」は、戦時中には「新興木構造」と呼ばれました(図2・3)。ここでの知見は木造建築研究の進歩に大きな役割を果たします。

図2 新興木構造の施工例

図3 新興木構造の施工例

ちょっとばかし木造建築研究の主なできごとを追ってみましょう。

戦時木造建築研究の主なできごと
1925 陸軍戸山学校雨天体操場(日本初の新興木構造)
1932 神戸高等工業学校工業科学博物館
1934 森徹・南省吾 「木構造」『高等建築学8』
   建築学会・木造規準調査委員会設立
1935 名古屋市立工芸学校製図室
1936 軽井沢万平ホテル
1937 建築学会・建築資材に関する委員会設置
1938 『新建築』 木構造特輯
   東京府立第十高等女学校屋内体操場
   秋田日満技術工養成所
1939 『建築雑誌』 「新興木構造の話」掲載
   木造建築統制規則
1940 宇賀神行一 『新興木造建築』
   建築学会・木材規格調査委員会設置
1941 木材統制法制定
   堀口甚吉 『新興木構造學』
   『建築と社会』 新興木構造特輯
   宇賀神行一「新興木構造の理論と實際」連載開始
   満蒙開拓幹部訓練所大講堂
   岸記念体育館
1942 建築学会・木構造計画規準委員会設置
   宮坂栄二 『新興木構造計算要覧』
1943 『新建築』 新形式木構造特輯(竹山謙三郎ほか執筆)
   日本学術振興会編 『建築物耐震構造要項』
1944 『建築世界』特殊木構造特輯号
1947 木構造計算規準
1948 浅野新一・竹山謙三郎ほか 『新構造と計算規格』
1949 「木構造計算規準・同解説」
   堀口甚吉 『新木構造學』
1951 竹山謙三郎 『木構造』

戦時中にメキメキと木造建築研究が進展しているのが伝わってきます。一番最初に挙がってる「陸軍戸山学校雨天体操場」(1925)は、日本初の新興木構造として知られ、ドイツの影響を受けた内藤多仲(1886-1970)によって設計されたもの。でも、その後いったん新興木構造の活用は途絶えますが、非常時局がまたそれを呼び戻すことになったのです。

動員される木材、創造される建築

当時、建築学会誌『建築雑誌』に掲載された「新興木構造の話」(1939.5)では、「新興木構造」について「従来の経験的な木構造法に科学的検討を加え新たに構造理論を導入して産まれたもの」だと紹介しています。

従来の木構造は非科学的である。それが当時の通説でした。たとえば、『高等建築学・第8巻:木構造』(常磐書房、1936)には次のように書かれています。

木構造は古来わが国において極めてよく発達した建築構造ではあるが、この発達は主として美術的技巧的方面の発達であって、力学的見地からこれを見れば寧ろ幼稚であった。その多くは習慣、経験、目の子に基礎を置いたものである。元来構造力学に基礎を置いて居ない構造物は、構造物の最重要な要素である安全性を確保し難いのみならず、又時には材料の不経済な使用を免れない。
(森徹『高等建築学・第8巻:木構造』)

そんな木構造が戦争をキッカケにして科学技術の表舞台に引き摺り出されることになるのです。面白いことに、戦時下の資材統制を乗り切る秘策としてだけでなく、これからの木造建築の可能性を切り拓くものとして見なされます。

ピンチはチャンス。この言い訳じみて強がりなロジックは、戦時中に重要視された「代用物資」のロジックの延長線上にあります。

木造建物建築統制規則(1939)以後、各種建築資材の配給が開始。鉄筋は竹で、カーテンレールは段ボールで作られたいわゆる「代用建材」が続々とあらわれるなか、代用物資を「創造物資」と言い換える提言が登場しました。

それは川本鈞一「創造物資と意匠」(『建築雑誌』1942.12)。もはや「欲しがりません勝までは」+「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」の建築版みたいな主張。物資制限下の日本にあって川本はこう言います。

かかる課題の山積は建築意匠の立場からすれば、決して条件束縛や制約ではなく、むしろ創意と創造への直接の火花ともなるべき契機なのです。徒らに萎縮したり、ひるんだりしている時ではありません。創造物資へ常に最善の意匠をプランしてゆく事と建築の意匠に合一させるべく、たゆまざる情熱を注ぎ燃やすことが、現代に生きる建築技術者の責務ではないでしょうか。
(川本鈞一「創造物資と意匠」1942.12)

「創意と創造への火花となるべき契機」であり「新しい様式の樹立」をもたらすのだと。そこでは危機もまた好機へと転用されるよう求められるのです。 「新興木構造」もまたそうした契機から生まれた「創造的代用」の産物なのでした。

こうして、激化する戦争へ向けて、木造建築もまた戦時動員されていきます。戦勝に貢献する建築として、木造建築は科学化されていったのでした。

〈創造的代用〉という問題

さて、後日談をひとつ。

「新興木構造」の研究・開発に功をなしたらご褒美として約束されていた国立研究所の創立。これは戦後に発足した建設省内に国立研究所として実現します。いわゆる建設省建築研究所、通称・建研。現在の国立研究開発法人建築研究所です。

晴れて国立研究所創立をご褒美としてもらった大蔵省の研究者たち。竹山謙三郎も、研究所設立とともに研究員となり、1951年にはこれまでの木構造研究を一冊の本としてまとめ(図4)、さらに1955年には建築研究所の所長となります。

図4 竹山謙三郎『木構造』

その後、大病を患い、1968年から日本女子大学の住居学科で教壇に立っていた竹山は、安保問題で血潮湧く女子学生に追求を受けることになります。このエピソード、著書『物語・日本建築構造百年史』(鹿島出版会、1982)のほか、『建築雑誌』の「わが青春記」特集(1983.9)でも語っているので、よほど印象深かったのかと思います。

女子学生はこう言ったそうです。

先生は御自分でご設計になった格納庫から死に向って一直線に飛び立って行った若者たちのことをどうお考えですか。
(竹山謙三郎『物語・日本建築構造百年史』)

竹山はこのエピソードを書き留めつつ、でも、自らの戦争責任について反省の弁は述べていません。戦争と建築と技術の問題、総力戦下の根こそぎ動員の問題、さらには〈創造的代用〉の問題はそんなに単純に割り切れることじゃない。

竹山にしてみれば、女子学生に言われずとも、あのときから背負い続けた十字架だったでしょう。でも、その複雑な「問題」を真正面から書きとめるには、まだ心の整理もついていなかった。だからこそ竹山は、戦時の木造建築研究を回想するたびに、その女子学生をイタコにしたに違いありません。

(つづく)


図版出典
図1~3 『新建築』新形式木構造特輯、1943.2
図4   竹山謙三郎『木構造』丸善出版、1951

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竹内孝治|元・住宅営業マン

住宅産業や住宅計画、近代住宅史について教育たまに研究しています。noteにはあれこれ思いついたり考えたりしたことをメモ的に書き出しています。建築家・ハウスメーカー・工務店を対立構図ではなく、それぞれの存在意義を尊重しつつ、まずは個々の事例について考えていきたいです。

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