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文化国家の子どもたちへ|田辺平学の児童書『世界の家:21のナゾ』を読む

1922年、東京帝大建築学科を卒業した若き建築学者・田辺平学は、同年9月、建築構造学の研究を深めるべくドイツ、イギリス、そしてアメリカへと2年間留学する機会を得ました。日本から遠く離れたドイツの地で田辺は後の人生を大きく変える2つの体験をしたと、後に著書『耐火建築』(資料社、1949年)に書き留めています。

ひとつ目の体験は、留学先でたまたま遭遇した火災現場でのこと。「火事だッ!」と叫び声が上がり、消防車が到着。無事鎮火に至るその一連の光景に田辺は衝撃を受けます。しかし、野次馬が少ししかいない。そして、火災現場となった集合住宅の住人が避難しない。とどめは、消火作業中にもかかわらず老婆が火事場の建物1階に入っている八百屋さんで買い物を済ませているではありませんか。

これら光景への衝撃と違和感は、すべて「耐火建築」ゆえの安全・安心からもたらされていることに田辺は気づきます。木造家屋が密集する日本では到底ありえない光景です。もちろん学術的な知識としては十分に理解していたものの「これが本当の耐火建築だ!」と圧倒的なリアリティのもとに実感する体験となったのです。

もう一つの体験は、留学2年目の1923年に日本を文字通り揺るがした関東大震災。田辺はドレスデン大学で震災の第一報に触れます。しかも、その内容とは「大阪から仙台まで家屋全滅、死者3百万人以上」というものでした。「万里の異郷の地に在って、真に祖国が消えて無くなったような心細さを感じた」といいます。

その後、この第一報は多分に誤りを含むことを田辺は知ります。とはいえ実際の被害状況もやはり予想以上に甚大なもの。そして、震災被害を拡大させた原因が、耐震的にも耐火的にも「無価値」な木造家屋にあると強く確信した田辺は、ドイツの地にあって自身の研究テーマを建築構造学のなかでも「防災」へと絞り込むことになりました。

「耐震」「耐火」建築の実現。そんな田辺の研究テーマは、世界がその後、戦争の時代へと突入していくなかで「防空」へと移行していくことに。相手は地震や火事といった天災から、米軍による焼夷弾爆撃という戦災(というか人災)へと移る。しかも、依然として日本の都市は、建築・都市の不燃化をなんら実現することなくこの事態を迎えることに。

「不燃都市なくして文化国家なし」。これは1949年に出版された田辺の著書『耐火建築』(資料社)の扉に掲げられた言葉。天災と戦災という二つの都市破壊を受けて、不燃都市建設へ情熱をかたむける田辺平学は、『耐火建築』と同年、平和国家日本を担う小中学生へ向けて児童書『世界の家:21のナゾ』(扶桑書房、1949)を出版します。

そのお話の内容はというと。主人公・春雄君は、父である大学の先生・片山正彦博士から「21のナゾ」を出題されます。それはこんなかんじ。

問1 世界一の木造建築物 (答:日本・法隆寺)
問2 世界一の大きな建築物 (答:エジプト・ピラミッド)
問3 世界一の高い建築物 (答:アメリカ・エンパイヤステートビル)

建築・土木に関する「世界一」はなにか?の問いが続きます。そして、幸運にも春雄君は父の海外出張に同行して、謎解きの世界旅行に旅だつことになります。各地で見聞きした内容をびっしりと『世界一周手帳』に記録して。この世界一周の旅、そして記録は田辺自身が大学卒業後と戦時下に二度にわたって海外出張した際の記憶と記録が役立てられています。

そんな『世界の家:21のナゾ』で春雄君に出題された「世界の家のナゾ」の最後は、田辺の真骨頂ともいえるもの。「問21 世界一の危険な都市」はどこか?です。その答えは言うまでもありません。まさに、これこそが片山博士に仮託して田辺が未来を担う子どもたちに伝えたかったこと。

すべての謎を解いた物語は、一気に50年後の未来へ飛びます。そこは不燃都市を実現し、「火事」が一切なくなった日本が舞台です。挿絵は「これからの日本の都市」と題された不燃都市の透視図が掲載されています。これは田辺が敗戦直後の1947年に出版した『明日の都市』(相模書房)の表紙にも掲げられたものです。

春雄君が海外旅行から帰国してから半世紀の間に何があったのか。日本はどうして都市の不燃化を実現できたのか。そこにはどんな困難と、どんな成因があったのかが語られます。そこで語られるのは子どもたちの活躍です。春雄君は力作『世界一周手帳』を友だちたちに見せ、世界の建築のすばらしさを説いてまわったといいます。

「大きくなつたら、りつぱな建築家になろう。」という考えを持つた子供たちが、大ぜい現れて来るようになつた。(…)婦人の中からも、一流の建築家に数えられるようなりつぱな人たちが現れて来た。(…)春雄も、一生けんめいにべんきようしたおかげで、父の片山博士にもおとらぬりつぱな建築学者になつた。

田辺平学『世界の家:21のナゾ』

田辺平学の『世界の家:21のナゾ』はもともと1947年~48年にかけて月刊『こども朝日』に連載されたものが単行本化。田辺のモットー「意志ある所、必ず道あり!」を少年少女たちに向けて物語仕立てで描き切った名作です。

(おわり)

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