建築文化1964_真鍋博_

雑誌『建築文化』:1964年の未来-建築|イラストレーター真鍋博の未来都市【2】

高度成長期の「未来都市」イメージを決定づけたイラストレーター・真鍋博(1932-2000)。そんな彼にとって、未来の建築や都市を描くことがどんな意味を持っていたのかを、以前、真鍋自身の言葉をもとにあれこれ考えてみました。

真鍋は未来の社会を描くため、常に自ら未来の建築や都市をイメージし、描いていたといいます。

車一台の未来を描くことは、その車の流れる未来の道路を考えることであり、その道路の走る未来都市の姿を創造することであり、そこの住む人々の生活、結局は社会全体を想定することになる。だから、ぼくはかねがね自分の考える未来を一部でなく、社会のすべてにわたって描きたいという欲望にかられつづけてきた。いまぼくは未来の都市の姿をおこがましくも〈創造〉するといった。未来のイメージを手っ取りばやく伝えるのは建築であり、都市計画なのだが、いままでいくつかの空想科学小説のさしえを描いたが、宇宙人やロボットが登場するSFは未来ドラマでいっぱいでも、こと建物について記述した作品は皆無といってよく、いつも自分のイメージだけで建物を絵の上でつくらねばならなかった。
(真鍋博『絵で見る20年後の日本』、日本生産性本部、1966)

そんな真鍋にとって、建築業界へ向けて、彼の未来建築イメージを提示する機会がやってきます。それは建築専門出版社による月刊誌『建築文化』の表紙イラストを1年間担当するというものでした。

『建築文化』の真鍋博まつり

建築専門出版社・彰国社が毎月刊行していた雑誌『建築文化』(現在、休刊中)には、たびたび真鍋のイラストレーションが掲載されてきました。単発でいくつかの挿絵や扉絵、表紙イラストなどを担当した後に、1964年には1年間まるまる全12回にわたって表紙イラストを担当しています。

真鍋が彰国社と関わりをもつようになった経緯はわかりませんが、たぶん、建築評論家・川添登(1926-2015)が口添え登したのでは中廊下、と思います。

もともと、『建築文化』掲載の川添登のエッセイに挿絵を提供することもあった真鍋は、ここぞとばかりに、未来の都市・建築イメージを表紙イラストとして創作したのみならず、毎号に「表紙のことば」を附して、作品解説を試みました。

以下、そのラインナップです。

1月号 森林台地 1964.1
2月号 支柱住宅 1964.2
3月号 植物都市 1964.3
4月号 メリーゴーランド・スタジアム 1964.4
5月号 レンコン道路 1964.5
6月号 夢のスリーピングタワー 1964.6
7月号 4Sタイプのレクリエーション施設 1964.7
8月号 卵殻シェルター 1964.8
9月号 蛇の目ターミナルビル 1964.9
10月号 「クモノス型」別荘 1964.10
11月号 都市空間制御タワー 1964.11
12月号 ひまわり型農地 1964.12

それでは真鍋の描いた未来建築をみていきませう。

12の未来建築

真鍋は雑誌『建築文化』での1年間にわたる表紙イラスト担当にあたって、初回のイラスト解説で「建築のイメージをひろげることは未来にたいするビジョンをはっきりともつことである」と書いています。

未来の建築を考えるのではなく、建築のイメージをひろげることが未来へのビジョンを持つことだというのが真鍋の考えでした。そういう意味では。「未来建築」ではなくって「未来-建築」とでも言ったほうがいいのでしょうか。では1月号から12月号まで順番にみていきます。

※「 」内は真鍋によるイラスト解説文からの引用。

1月号 森林台地

衛星都市や山麓都市ではなく、森林台地とすることで交通アクセス問題も解決するという発想。「文字通り支柱の上のあらゆる植物が、めまぐるしくひろがった都市の空に、巨大な建築の森をかたちどり、宇宙のオアシスをつくっていく」。

2月号 支柱住宅

支柱住宅と呼ばれるこの家は、夜は駐車室が一階になり、居室は夜空に浮きあがることで「眠りの城」をつくる。暴風雨には全階が地下に沈む、といったように状況に応じて建物が浮き沈みする。「現代の限られた空間のなかで、人間性を回復するのは住まいの内部のマチエールを変えることでなく、外部を、つまり次元を変えることである」。

3月号 植物都市

かつては土地の上、つまり植物の上に建物を建ててきたけれども、建物自体を植物のように成長させる。建造物は「茎をのばし、葉をひろげてからみあい、祖先の植物をおおいかくしてもとの土地にかえしてゆく」。そして次の世代は植物都市の上にさらに新しい植物都市をつくる。「未来の都市計画とは面積の計画ではなく、面積の層を推積させてゆく」。

4月号 メリーゴーラウンド・スタジアム

ふつう、競技場はスタンドの内部しか見ることができないけれども、複数のグランドや観客席が変形していくことで、いろいろな競技観戦の体験が得られるという。「周囲の全競技を展望させたり、いくつかの人気競技場の上部で回転をとめて、その増設スタンドに早替わりさせたりする」。

5月号 レンコン道路

歩道、乗用車道、輸送車道、電気、通信孔、水道、下水道をコード状に内蔵した「蓮根道路」。「水中、地中、空中を都市の成長にしたがって自由に伸ばしてゆくことができる。(中略)道があるということは、はじめからそこにあらゆる都市生活が可能であるという条件を満たしたものだ」。

6月号 夢のスリーピングタワー

スリーピングタワーは都市の中心部にあっても、防音さらたドーム内で一定の明るさ・温度・湿度・空気量を保ち、現代人の高い質を伴う睡眠空間をつくる。「人びとは時間ごとに分類された支柱からつるされたカプセルにこもり、冬眠のみのむしのように深い眠りの空間にぶらさがれる」。

7月号 4S タイプのリクリエーション施設

海上に浮ぶ大海水プールこと「貝殻プール」。「どんな条件の海岸にも浮んで海のバカンスを可能にし、海辺の貝殻のように海面のあちこちに散らばって浮び、限られた海岸線を海岸面に広げてゆく」、「急激な気候の変化には蓋をしめて安全」を守ってくれる。

8月号 卵殻シェルター

大地震に耐えるだけでなく、震災後の設備や用途の建築物も考慮された卵殻シェルター。「卵の中には莫大な量の水がたたえられ、その中に卵黄のような球形シェルターがつながり、この中に周囲の全人口を長期間収容できる施設がある」。「シェルターの窓の外には都市や農村の四季おりおりの風景が投映され、ここに住んでいても疎外感は全くない」という。

9月号 蛇の目ターミナルビル

空港を着陸空港と離陸空港にわけた「蛇の目ターミナルビル」。着陸空港についた旅客機は、翼をたたんで滑走しながら地下道をくぐって都心のターミナルの傘の翼にあがって出発準備をととのえる。「滑走路は傘の骨のように何十本も並列していて数十機が同時に出発できる。さらに雨のしずくをとばすようにこの滑走路は回転しているので滑走路は極度に短縮されている」。

10月号 「クモノス型」別荘

「クモノス別荘」は、未開発な場所や建築不可能な谷間や沼地や森林の上に、毎年場所を変え蜘蛛の巣のようにワイヤーをはりめぐらし別荘住宅を吊す。「都会人は露のしたたる高山植物や、靄のたちこめた沼地、水鳥のとびたつ湖上に住宅を自由に移動させ、降ろし、浮べて、一人、二人、そして家族で社会と完全に遮断されて、“大地”に帰る」。

11月号 都市空間制御タワー

超高層ビルの屋上にあっても風圧を気にする必要がない「都市空間制御タワー」。「この高層風圧タワーは、衛星都市の四方周囲に100mの高さで立ち、台地を中心としたエリア全体の強風を電子力ではねかえし、エリア内の一定に保たれた空気の流れの温度や湿度調整までを目的とした空間制御の役目をはたしている」。

12月号 ひまわり型農地

「ひまわり農地」は支柱にささえられた「パネル農地」が建ち並び、太陽の動きに合わせて向きを変える。「建築を考えることは都市を考え、エリアを考え、風土を考え、国家社会を考えることであり、未来にとって農業は食料をつくる巨大な工場であり、土地であり、企業であるからだ」。

未来-建築の行方

さて、どうだったでしょう。

雑誌『建築文化』の表紙に描かれたイラスト群は、精緻な未来予測図というよりも、どちらかといえば子ども向けの荒唐無稽な未来画に近い表現がなされています。ダジャレやパロディ、アナロジーを駆使しながら発想を膨らませた真鍋の「未来-建築」。でもそれは、未来はこうなりまっせ、という予測図ではなく、これからの建築を考えるための発想法を指南しているように見えるのです。

とはいえ、1964年に描かれたこれらの未来-建築は、半世紀以上を経たいまになってみると、度肝を抜かれる発想力!とは思えません。あ~、はいはい、そういうやつですね、みたいな。それは真鍋の発想力の凡庸さではなくって、むしろ時代がようやく真鍋に追いついたと言えるかも知れません。

真鍋は未来のイメージを表現する効果について、「SFアセスメント」なる造語を使って説明しました。

テレビにしろ、ロケットにしろ、ジェット機にしろ、考えてみればSFに描かれたものである。が、原子力発電も、代替エネルギー開発も、古典的SFには描かれていない。ということは夢として語られ、想像されたものは人間はいつか抵抗なく受け入れる。まして絵になるというのはこういうものができてほしいと多くの人が望んだからで、結果的にイメージが浸透し、社会的に認知されていくのである。つまり予告篇効果。(ただし、予告篇の方がいつもおもしろいが――)
(真鍋博『発想交差点』、実業之日本社、1981)

真鍋の披露した1964年の「予告篇」は、半世紀の時間を経て、いまその「本篇」をスタートさせているのかもしれません。

当時、真鍋は川添登の口添え登もあってか、メタボリズム・ムーブメントとも併走していました。それこそ、メタボリズム・グループが企画した唯一の展覧会「都市計画と都市生活展:あなたの都市はこうなる」(1962.10.12~17)(図1)では、高山英華、丹下健三、大谷幸夫、大高正人、菊竹清訓、槇文彦、磯崎新、黒川紀章らが出品するなか、川添登、粟津潔とならんで真鍋が「協力」として名を連ねイラストレーションを展示しています。

図1 都市計画と都市生活展

とはいえ、真鍋自身、メタボリズムを標榜する建築家とは一定の距離があったように思われますし、後に川添自身、真鍋が馴染んでいなかったことを回想したりしています。

たしかに、真鍋の繰り出す植物や生物のメタファーは有機的で躍動感に富みますが、メタボリズムの諸提案はいまからみると、当人らが思っていた生物学的なメタファーよりか、よっぽどメカニカルでカッコイイ路線に見えてしまいます。当然、真鍋はそれに不満だったはずです。

当時としては、メカニカルでカッコイイ路線にならざるをえないメタボリズム的発想を乗り越えるべく、建築家ではない真鍋は、建築学的には実現し難い構造・構法を、イラストレーションの力で表現した、と言えるかも。

あと、真鍋が『建築文化』に描いた「未来-建築」は、とこどころ現代社会で浮上しつつある社会問題を風刺するような表現・言及も多々みられました。もともと風刺画家出身だった真鍋にとって、未来を明るくのほほんとのみ描くことはありえなかったのでしょう。

いま、わたしたちは何かと難しい問題が錯綜するなか、ちゃんとした「本篇」を描くことばかり求められているのではないでしょうか。もちろん、それはそれで大切な仕事です。でも、そんな「本篇」の制作と併せて、もっともっと、「予告篇」を描き出していかねばならない。そんな気持ちを真鍋のイラストレーションは掻き立ててくれます。

もっとダジャレを、もっとアナロジーを、もっとちがう未来を。硬直した思考を解きほぐし、人々の未来を拓く「予告篇効果」を発揮していきたいものです。

(おわり)

図版出典
・『建築文化』、1964年1月号~12月号、彰国社、1964
・森美術館監修『メタボリズムの未来都市』、新建築社、2011

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